56、夢

 鈍い頭痛と僅かな吐き気に抗いながら学校に登校したボクは、先生が来るまでの間机に突っ伏していた。

 結局考え事をしているうちに夜が明けていて寝る機会を逸してしまった。

 随分と久しぶりの徹夜状態での登校は精神的にも身体的にも来るものがある。


 それでも休まなかったのは今がテスト前だからだった。


(……いや、でも休めばよかったかな)


 この状態で授業を受けても何も入ってこない気がする。

 早々に後悔しながら少しでも頭を休めようと目を瞑っていると、教室の扉が開かれる音と共に室内のざわめきが鳴りを潜めた。


 先生が現れたその特有の空気感に、ボクは重たい頭をなんとか上げる。

 教壇に立ち、ホームルームを始めた先生の話をぼんやりと聞きながら、ボクは教室内を見渡した。


 今日も、可憐は来ていないようだった。


     ◆ ◆


 なんとか一日の日程を終えて、放課後となった。

 西条先輩からのニャイン通り、いつもの喫茶店へ向かう。

 カランカランという音と共に店内に入る。

 まだ西条先輩は来ていないみたいだ。


 店員の案内に従って奥のテーブル席に座る。

 ひとまずこの眠気を覚まそうと、アイスコーヒーを頼んだ。


 ここ数日の状況とこれからボクがやろうとしていることを考えれば、西条先輩と会うことに緊張とか不安を抱いていいものだけれど、睡魔がそんなものを抱く余裕を消し飛ばしていた。

 目の前に届けられたアイスコーヒーにミルクとシロップを入れてストローを挿す。


 グルグルとかき混ぜてからチューッと吸い込む。

 苦みと甘みが染み渡る。


 はぁと一息吐いてから出窓の額縁部分に肘を乗せ、外を眺めながら頬杖をつく。

 気持ちのいい陽光に、段々とうつらうつらとしてくる。


 店内の雑音や、外の道路を走る車の音が段々と遠のいていく――。




「――ハルくん、あーそぼ!」


 窓の外から自分を呼ぶ声に、ボクはベッドから体を起こした。

 外を見れば、ランドセルを背負った揚羽が右手をぶんぶんと振っている。

 彼女の隣には、揚羽の左手を掴んで困ったような笑みを浮かべている可憐の姿もある。

 ボクは飛び跳ねるようにしてベッドを降りると、階段を駆け下りて家を出る。


 前を走る揚羽の後を追うように、ボクと可憐が続く。

 時折くるりとその場で回ってボクたちがついてきているか確認する揚羽に、ボクと可憐は顔を見合わせて小さく笑い合う。

 その様子を見て、揚羽はむっと拗ねた様子で駆け寄ってくる。


 最終的には三人で横並びになった。


 公園に着くと、揚羽がおもむろにランドセルの中からカラーボールを取り出した。

 三人で三角形を作って、ボールを投げ回す。

 揚羽のやりたいことにボクと可憐が付き合っている形だけれど、ボクたちはそれで満足していた。

 何をするかよりも、この三人でいることに意味があったんだ。


 やがて揚羽が満足すると、別の遊びに変わる。

 それを四回繰り返したころ、辺りが暗くなり始めてくる。


 もう少し遊ぼうよーと駄々をこねる揚羽を可憐が宥めながら帰路へ着く。

 行きと同じく三人横並びで、明日の話をしながら。


 カァカァとカラスの鳴き声がする。

 ふと空を見上げた。

 赤く染まった夕空をぼんやりと眺めていると、左の袖が引っ張られた。


 視線を下ろして左を見ると、可憐の姿がぼんやりとぼやけていた。

 もう見慣れた笑みを浮かべている。


「……ぁ」


 反射的に手を伸ばそうとして、何か声をかけようとして、だけれどボクは押し黙る。

 気付けば可憐の姿は消えていた。


「ハルくん、どうかしたの?」


 揚羽の声に振り向く。

 大人っぽい服で身を包み、長い髪を背で纏めている。


 気遣わし気に覗き込んでくる揚羽に、ボクは「いや……」と頭を振って、彼女の手を取った――。




 カランカラン――というドアベルの音で、ボクはハッとした。

 一瞬眠ってしまっていたみたいだ。

 グラスの中では氷が溶けて涼し気な音を立てた。


 入口の方を見ると、西条先輩がいた。

 店内を窺うような様子を見せてからボクの姿を認めると、いつもの柔らかな物腰でさっと手を挙げてきた。

 ただ、その表情はどこか固く見える。


 店員と言葉を交わしてからボクの方へ近付いてきた。


「やあ、待たせてしまったかな」


 西条先輩の声を聞いて、今更ながらにボクの中でも緊張が走った。

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