32、待ち合わせ

 二度寝、もとい仮眠から目を覚ますと外はすっかり明るくなっていた。

 時計の針は八時を示している。


 早々にベッドから離れると、熱いシャワーを浴びて、寝る前に決めた服を身に纏った。

 洗面台に立ち、癖毛をいつもよりも念入りに整えてから家を出る。


「晴れてくれてよかったなぁ、本当」


 少し雲のある青空を見上げながら、歩き慣れた道を進み、駅へ向かう。


 ゴールデンウィークということでいつもよりも人通りの多い駅前。

 待ち合わせ場所としてよく使われる時計塔の下には、結構な人だかりができていた。


 時間を見る。八時四十五分。早すぎず遅すぎずの時間だ。

 あまり早く行くと「もしかして楽しみにしてたの?」とからかわれるに違いないし、遅いと揚羽に悪い。

 十五分前ぐらいが丁度いいというのは、ボクの持論だったりする。


「まだ来てないかな」


 辺りをキョロキョロと見回しながら、揚羽の姿を探す。


 十五分前でもそれなりに早い気がするので来ていなくてもおかしくない。

 適当にベンチにでも座って待っておこうと思ったその時、駅の片隅でコンビニの窓を向き、隠れるように何かをしている揚羽の姿を見つけた。


「揚羽、お待たせ」


 歩み寄ってそう声をかけると、揚羽はビクリと肩を震わせて振り返ってきた。

 驚かそうとしたつもりはなかったけれど、どうやら周囲の喧噪に紛れてしまったせいでボクの気配に気付かなかったらしい。


 揚羽はボクを見て一瞬固まると、すぐにパッと顔を背けて両手を向けてきた。


「ハ、ハルくん! ちょっと、まだ待ってて!」

「な、なに、どうかした?」

「いいからっ、向こう見てて!」


 全くもって訳がわからないけれど、朝から機嫌を損ねるのもあれなので大人しく従うことにする。


 窓を向いて何やら忙しなく動く音に耳を傾けながら、上空を揺蕩う雲の流れを目で追う。

 少しして、恥ずかしそうにかけられた「もういいよ」という揚羽の声に振り返った。


 何やら前髪を押さえて、落ち着きなさげに視線を彷徨わせている。

 今日の揚羽の服装は、いつもよりは少し大人っぽい。


 紺色のオフショルダーに、明るめのゆったりとしたデニム。

 そして、肩に小さな茶色のバッグをかけている。

 髪型はいつも通りツインテールだけれど、揚羽らしいといえばらしい。


 そんなことを思ってボクが笑うと、揚羽はむっと頬を膨らませた。


「笑わないでよっ。朝、頑張って直したんだから……」

「え、なにが?」


 戸惑いながら聞き返すと同時に、揚羽の前髪がぴょこんと跳ねた。

 それは揚羽自身もわかったのか、「あー、もう!」と慌てて押さえている。


「……もしかして、さっきからずっと寝癖を直そうとしてたの?」

「……だって、折角のデートだもん」

「ボクは気にしないよ」

「あたしが気にするの!」


 ハルくんは女心がわかってないなーと、少し怒った様子で揚羽が膨れる。


 ……まあ、揚羽の言葉を否定は出来ない。

 わからないから今があるんだろうし。


 それはそれとして、このまま揚羽を拗ねさせるのもまずい。


 ポリポリと頬をかきながら逡巡し、言うことにした。


「揚羽、その服よく似合ってると思うよ。大人っぽくて少し新鮮かな」

「っ、ど、どうしたの急に。はっ! そうやってあたしの機嫌を取り戻そうという魂胆だね! そうはいかないからっ」

「いやいやいや、本心だよ!」


 一瞬固まったかと思いきや、上擦った声で怒濤の論理を展開してみせる揚羽に僕は舌を巻いた。

 相変わらず鋭い。

 けれども、本心というのも本当だ。


 本当のところは服装を褒めるのがなんだか気恥ずかしくて、機嫌をとるという言い訳を後から都合良く用意しただけで。

 ……前は、もっとすんなりと言葉にできたのだけれど。


 鋭い揚羽は、僕の言葉が嘘ではないということも感じ取ってくれたらしい。

 小さく「そっか……」と呟くと、前髪を弄りながら俯いた。


「ハ、ハルくんも似合ってるよ。その、うん、……いつも通りで」

「無理して褒めようとしないでいいから」


 こんなことならもう少しぐらい張り切った服を選んでくればよかった。

 揚羽の気遣いが逆につらい。


「そろそろ駅に入ろうか」


 時計塔を見上げれば、長針が丁度11のところに重なっている。


 僕が言うと、揚羽は小さく頷いた。

 そのまま駅構内に向かって歩き出す。


 目的地までの切符を買って改札を通ったとき、くいと袖を掴まれた。


「ん?」

「ハルくん、その、ありがとね。服、褒めてくれて」

「う、うん」


 恥ずかしげに、しかし弾んだ揚羽のその声に、思わずその場で立ち尽くす。

 一歩先に進んだ揚羽の耳は後ろから見てもわかるぐらいに真っ赤になっていた。

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