28、勘違い

 翌日。授業が終わり、電車に乗ってショッピングモールに移動したボクと西条先輩は、一時間ほどかけてそれぞれ揚羽への誕生日プレゼントを買った。

 すっかり遅くなってしまったので夕食をすませてしまおうという話になり、フードコートに入る。


 ボクは石焼きビビンバを、西条先輩はちゃんぽんを携えて席に着く。

 互いに手を合わせてからそれぞれの料理に手を伸ばして暫く黙々と食べていると、突然西条先輩が軽く頭を下げてきた。


「いやぁ、ありがとう。今日は本当に助かったよ」

「いえ、そんな。どの道ボクも買いに来る予定でしたから。むしろいいプレゼントを選べたか不安なぐらいです」

「大丈夫だ、これならきっと気に入ってくれるだろう」


 西条先輩はそう言って、空いた椅子の上に置いてあるピンク色の紙袋を軽く持ち上げた。

 ボクも、テーブルを挟んで反対側の椅子に置いてあるクリーム色の紙袋に視線を向ける。


 西条先輩はああ言ってくれているけれど、ボクの中ではまだ不安があった。

 自分の中で揚羽にとってベストだと思うものを選んだつもりだけれど、それを彼女が気に入ってくれるかどうかはわからない。


 ……去年までは抱くことのなかった奇妙な緊張感だ。


 とはいえ、悪い気はしない。

 緊張と期待がない交ぜになった静かな高揚感が胸の内にある。

 早く明日になって、このプレゼントを渡したいと、そう思う。


「それにしても、君は、やっぱり相沢さんが言っていたとおりだったな」

「可憐が?」


 どこか儚い面持ちで、西条先輩がポツリと呟いた。


 そういえば、前にもそんなことを言っていたような気がする。

 可憐が、西条先輩にボクの話をしているとかなんとか。

 どういう話をしていたのかは、聞けなかったけれど。


 ボクが反応に困っていると、西条先輩は一口だけ水を呷ると、「ああ」と小さく頷いた。


「相沢さんと二人でいるとね、よく君の話がでてくるんだ。たとえばお昼を一緒に食べているときは、君の好き嫌いの話とか。下校のときなんかは、君との昔話をね。それを聞いていると、ああ、君はきっと優しい人なんだろうなということがわかってね」


 ……よかった。少なくとも愚痴とかそういうことを話していたのではなかったらしい。

 ボクが胸を撫で下ろしながら、同時に照れくささを覚えていると、西条先輩は不意に視線を上に上げた。


「まあ、俺も初めは相沢さんの話を何気なく聞いていたんだけど、君の人となりが浮き出てくるにつれて少しずつ焦りがでてきてね。なんだろう、自分で思っていたよりも独占欲が強かったのかな」

「焦り? 西条先輩が、ですか?」

「……ああ。相沢さんの思い出の大部分が、俺ではなくて他の男で形作られているんだからね。そりゃあ焦るよ」

「気にしすぎですよ。今までは幼馴染みだったから付き合いが長かったというだけですから」


 そうだ。ボクと可憐はただ単に近くにいたというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 恐らく西条先輩が抱いているような不安は、ただの杞憂だ。


 むしろボクにとっては、西条先輩ほどの人がそんなことを気にするというのが少し意外だった。


「あまりこういう話をするのは失礼かもしれないんですけど、可憐には西条先輩から告白したんですよね」

「ん? ああ、なんだ、知っていたのか」

「まあ、結構噂になってますから。すみません」


 西条先輩が可憐を放課後に校舎裏へ呼び出したことは知る人ぞ知る話だ。

 そこで何が行われたのかを直接知る者はいないけれど、その後二人が付き合い始めたのだから言うまでもない。


「いや、いいんだ。俺も知られることを承知の上で相沢さんを呼び出したんだしね。うん、君の言うとおりだよ。俺から告白したんだ」

「それを、可憐は受けた。なら、西条先輩が気にするようなことは何もないですよ。好きでもない男と付き合わないでしょう、普通」

「そう、だろうか……」


 テーブルの上で、西条先輩が堅く手を握る。

 その声音は、不安で揺れている。


 ボクは小さく溜め息を零すと、一度目を閉じて、瞼の裏にあの日の光景を再現する。


 クリスマスの一週間前。

 近所の河川敷で、嬉しそうにボクを見てくる可憐の姿。


 ……あの頃は、思い出したくなくても思い出してしまって、幾度となくその光景を想起しては胸を痛めた。

 けれど今、それを思い出しても何も思わなかった。

 そのことに、心底安堵した。


 ボクは口角を上げながら閉じていた目を上げて、不安そうにこちらを見てくる西条先輩を見返す。


「可憐は、西条先輩と付き合うことになったのを本当に嬉しそうに喜んでいましたよ。もし西条先輩がボクと可憐の関係を疑っているとしたら、それは杞憂です。可憐もボクも、お互いただの幼馴染みですから」

「……そうか」

「はい」


 ボクにとっては揺るぎない事実でも、やはり西条先輩はまだ不安なようだ。

 恋というのは、人の心を弱くするらしい。


 ……まあ、西条先輩にばかり赤裸々に恋愛事情を話させるのもフェアじゃないし、何より変なことを気にして可憐との仲が険悪になるのもよくない。

 ここは、少しぐらいボクの気持ちも伝えておこう。


 納得したように俯く西条先輩の視線をもう一度こちらに向けるために「それに」と付け足して、椅子の上に置いてあるクリーム色の紙袋を掴むと、僅かに掲げてみせた。


「ボクには、好きな人がいますから」


 西条先輩はぽかんと呆気にとられた表情を浮かべてから、すぐにふっと口角を上げた。


「いい人だな、君は」


     ◆


「はー……」


 西条先輩と駅で別れて家に帰り自室に入ったボクは、扉を閉めると同時に盛大な溜め息を零してしまった。

 校内一の人気者といって差し支えのない西条先輩に、まさか勘違いとはいえライバル視されているとは思えなかった。


 どうやら誤解は解けたようだけれど、とにかく今度可憐に会ったら一つ文句を言っておこうと思う。

 ……大体、勘違いされないように一緒に帰らないようにしていたのに、これでは意味がないじゃないか。


 ひとまず、揚羽への誕生プレゼントをそっと机の上に置いて部屋着に着替える。

 そうしているうちに、西条先輩からニャインが届いた。


『今日はありがとう。それと、すまなかった』

『こちらこそありがとうございました』


 西条先輩の謝罪の意味がわからなかったので、そこには触れないでおく。


 ボクの返信に既読がついたものの、それ以上のメッセージは届かなかった。

 これで元通りかなと思いながらニャインを閉じようとすると同時に、新たにメッセージが届く。


『また今度、遊べないだろうか。今日のお礼も兼ねて』


 よくある社交辞令だろう。

 また機会があればー、と言って実際にその機会が訪れることがあまりないように。


 まあ、ここはその慣習に則ることにしておく。


『もちろん、機会があればよろしくお願いします』

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