彼氏ができた初恋の幼馴染の妹が最近やたら絡んでくる。

戸津 秋太

第一章

1、クリスマス一週間前の失恋

 はー、と吐き出した白い息は、やがて大気の中に溶けて消えてゆく。


 来週にはクリスマスを控えた今日、ボクは幼馴染みの相沢可憐に呼び出されて、近所の河川敷に来ていた。

 なだらかな斜面に腰を下ろし、ボクはふいと隣を見る。


「それで、話って?」


 ボクと同じようにして地面に座り込み、ボーッと青空を見上げていた可憐はボクの呼びかけにハッとすると、何やら恥ずかしそうに頬を染めてモジモジとし始めた。


「……その、ね? 改めてハルに報告するのも、なんだか気恥ずかしいんだけど」


 チラッとこちらを見ては、すぐに視線を逸らす。

 彼女の羞恥に満ちた、しかし嬉しそうに弾んだ声を聞いて、ああ、やっぱりその話かと密かに嘆息する。


 よりにもよってこのボクにその報告を口にすることの残酷さを、可憐は知らない。

 彼女は鈍感だから。鈍感だけれども、優しいから。

 幼稚園のころからの付き合いであるボクに隠し事はすまいと、心の底からの善意で告げようとしている。


 腰ほどまで伸びた濡れ羽色の黒い髪、整った鼻梁。校内でも美少女と名高い相沢可憐に彼氏ができたという話は、すでにボクの耳に届いていた。


「あのっ、そのぅ……っ」


 そうとも知らない可憐は、意を決して、今までボクに見せたことのない表情で口を開いた。


「わ、私! 西条くんとお付き合いすることになったのっ」

「――――」


 西条くんは、ボクらが今年から通う淀岸高校サッカー部のエース、西条徹のことだ。

 エース、という肩書きの通り、彼は県内でも屈指のプレイヤーで二年生にしてすでにエースナンバーである「10番」を背につけている。

 その上、モデル並のスタイルに顔つき。女性のファンは数知れない。


 ……勝てるわけがない。

 ここまで差があると、いっそ諦めがつくのかもしれない。


「…………」


 一度伏してしまった視線を上げて可憐を見ると、彼女は真っ赤なリンゴのような顔でこちらをジッと見つめていた。

 ボクの言葉を待ち望んでいる様子だ。ボクの――幼馴染みである神田春人の言葉を。


 ……ボクの気も知らないで。


 一瞬、胸の奥でチリッと何かが燃え上がった感覚を抱いたけれど、すんでの所で飲み込む。

 可憐が善意でボクに伝えてくれた以上、ボクもまた、善意を返さなければならない。

 ボクの身勝手な感情で彼女を傷つけてしまうことだけは、絶対にあってはいけないんだ。


 だから――、ボクは祝福の言葉をかけようとして口を開いた。


「――っぁ」


 掠れた、声ともとれない声が零れる。

 ともすれば、冬の風に一息にさらわれてしまうような情けのない声だった。


「……ッ」


 一度口を閉じる。


 いつまでも、うじうじするな!


 自分に活を入れて、もう一度、今度はゆっくりと口を開いた。


「おめでとう、可憐。西条先輩っていえば、サッカー部のエースじゃないか。いやぁ、幼馴染みが女子の憧れを射貫くだなんて、ボクも鼻が高いよ」

「もー、ハルは大袈裟だよっ」


 笑いながら、可憐は軽くボクの肩を叩いた。

 凄く、痛かった。


「じゃあ、今日はお赤飯を炊かないとね。おばさんにはもう伝えたの?」

「お母さん? ううん、まだ。なんだか照れくさいし、それに最初に伝えるならハルかなって思って。帰ったら伝えるつもりだよ。って、お赤飯ってなに? 今時古いよ」

「まあ、お赤飯は冗談としてもさ。幼馴染みとして、少しぐらいは祝わせて欲しいな。何か欲しいものとかある?」

「えー、いいよー。恥ずかしいし。……あ、そうだ。クリスマスなんだけど、今年は西条くんと、その、……デ、デートすることになったから」

「言われなくてもわかってるよ。楽しんで来なよ」

「うん!」


 満面の笑顔が咲いた。


 クリスマス。毎年、ボクは可憐と彼女の妹である揚羽の三人でクリスマスパーティを開いて過ごしていた。

 だがもう、今年それはない。

 当たり前だ。彼氏ができたんだから。


「じゃあ、登下校も一緒じゃないほうがいいのかな。あんまり勘違いされるようなことをするのもあれだしさ」

「う、うん。ごめんね?」

「どうして謝るのさ。残念ながら、カップルの邪魔をする趣味はボクにはないよ」


 申し訳なさそうにこちらを覗き込んでくる可憐に笑い返す。

 ボクは今、上手く笑えているのだろうか。


 可憐がホッとしたように息を吐いた。

 ……どうやら、上手く笑えていたようだ。


「あー、ハルに話せてスッキリしたー! ありがとう、寒い中来てくれて」


 可憐は満足げに両の手を伸ばして快活に笑うと、それからゆっくりと立ち上がった。

 可憐を見上げてから、ボクは正面を流れる川に視線を向けた。


「折角だから、ボクはもう少しここでのんびりしていくよ。可憐は早くおばさんに報告してあげなよ。きっと喜ぶよ」

「どーだろ? うん、じゃあ先に帰るね」


 バイバイ、と手を振って、可憐は軽い足取りで斜面を駆け上がっていく。

 その背中が見えなくなってから、ボクは空を見上げた。


 先ほどまで晴れていた空を、灰色の雲が覆っていく。

 今日は風が強いんだなぁと、雲の動きを眺めていて思った。


 やがて。ひらひらと、真っ白な雪が天上から舞い降りてくる。

 目で追えるぐらいに、ゆっくりと。

 それは空を見上げているボクの頬の上にそっと落ちて、そして体温に溶けて消えた。


「……あれ?」


 つーっと、頬を何かが伝った。

 手を触れると、そこには一筋の雫がある。


 そんなに大粒の雪だったろうかと、再び空を仰ぎ見る。

 両頬に、雫が垂れる。

 目頭が熱い。


 きっと、大気の埃が目に入ったんだ。


「くぅっ、くふぅ……っ」


 何かが喉元に競り上がってきて、必死にかみ殺す。

 膝を抱き寄せて、顔をその間に埋める。


 地面にポタポタと水滴が滴り落ちる。

 もう、これ以上自分を誤魔化せはしなかった。


 ――ボクの初恋は、あっさりと砕け散ったんだ。

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