自転車センパイ雨キイロ

悠生ゆう

第1話

 バスの窓から見える雨に濡れた街が流れていく。そのスピードがゆっくりと落ちてピタリと止まった。

 再び景色が流れはじめたとき、私は座席の横の通路に立っていた女の子に「良かったら座って」と声を掛ける。一本のシワすら付いていない真新しい制服とリボンの色で、彼女がウチの高校の一年生だということはすぐに分かった。

 彼女はキョトンとした顔で私を見た後、キョロキョロと辺り見回す。おそらく自分に掛けられた言葉だと確信が持てなかったのだろう。だから私は、笑顔を作ってもう一度「どうぞ」と声を掛けた。

 彼女は少し戸惑ったような、恐縮したような表情で「ありがとうございます」と頭を下げて私の隣に座った。肩をすぼめて窮屈そうに座る姿に思わず笑みが浮かぶ。

 彼女の態度の理由は考えるまでもない。私のリボンの色で三年生だと分かったからだ。私も一年生の頃は彼女と同じだった。

 多くの生徒が登校するよりも一時間以上早い時間のバスは比較的空いている。それでも座席はほぼ埋まるので、二人掛けの座席に相席するのは当たり前のことだ。しかし面識のない学校の先輩との相席は気まずいだろう。

「朝練?」

 私が聞くと彼女は「はい」と固い声で返事をした。

「えっと、あの、先輩も、朝練ですか?」

 聞き返す彼女の声には緊張がにじんでいる。初対面の先輩と話すのは緊張するよね、と少し申し訳ない気持ちになる。

「私は人混みが苦手だからいつも早めに登校してるの」

「あ、そうなんですね」

 そこで会話が途切れてしまった。私はそれほどコミュニケーション能力が高い訳ではない。このまま黙っていた方がいいだろうか。それとも何か話題を振った方がいいだろうか。そんなことを考えていたとき、スマホからメッセージの着信を伝える音が聞こえた。

 私が鞄からスマホを取り出すと、隣に座る後輩からホッと息を付く気配を感じる。やはり無暗に話し掛けない方が正解かもしれない。ここは学校に着くまでスマホでも眺めながらやり過ごそう。

 そんなことを思いながらメッセージアプリを開くと『おはよう』という一言だけが表示された。一年以上、ほぼ毎朝届いているそのシンプルなメッセージに私は早速返事を打つ。

『こんにちは。今日は何か面白いことがありましたか?』

 すると時間を空けずにすぐに返事が来た。

『今日は雨?』

 そのメッセージに思わず吹き出しそうになる。会話がちぐはぐなのは一年以上やり取りを続けても変わらない。多分、知らない人が見たら首を捻るだろう。

 私は普段は駅から自転車で登校している。そのため、この時間にメッセージをもらっても返信は学校に着いてからだ。だが、雨の日はバスを使うからすぐに返信を打つことができる。私の返信が早かったから天気を確認するメッセージが届いたのだ。

『当たりです。梅雨真っ只中ですからね。そっちのお天気は?』

『快晴』

 センパイから届くメッセージはいつも文章に満たない単語のようなものばかりだ。

 私は頬にかかる髪を耳に掛けながら、メッセージアプリを閉じて時計アプリを開く。世界時計の画面を見ると『東京 七時四十分』と『バンクーバー 十五時四十分』と表示されていた。時計を確認しなくても、バンクーバーの時刻が分かるようになっていたけれど、なんとなくその数字を見た方がセンパイを近くに感じられるような気がする。

 三月にバンクーバーがサマータイムになった。時計を見たとき一時間分距離が近づいたような気がして心が弾んだものだ。逆に十一月には一時間分センパイが遠くなったような気がして何日も落ち込んでいた。

 私は少し迷って『お誕生日おめでとうございます』とメッセージを送る。

『ありがとう。でも、今日じゃないよ』

『日本で生まれたんですから、日本時間でお祝いした方がいいかなと思って』

『なるほど。頭いいね』

『誰かにお祝いしてもらったんですか?』

『今が初めて』

『それじゃあ、私が一番乗りですね!』

『去年はドベだった』

『それはセンパイが誕生日を教えてくれなかったからでしょう』

 私がセンパイの誕生日を知ったのは、誕生日を二週間くらい過ぎてからだった。センパイが素直に教えてくれれば、ちゃんと当日祝うことができたのだ。ところがセンパイはなかなか教えてくれず、クイズにして私を振り回した。三六五分の一だから一日ずつ消していけば必ず当たる。そんなのんきな気持ちでメッセージ遊びに興じた私がいけなかった。効率を重視すればもっと早く誕生日を当てられた。でも、当日お祝いはできなかったけれど、センパイも楽しんでいたみたいだからそれはそれで良しとしよう。

 そのとき少しバスが揺れて隣に座る一年生に肩がぶつかった。

「あ、ゴメン」

「いえ」

 彼女は小さく笑みを浮かべて会釈する。その姿を見たらちょっとだけ好奇心が湧いた。スマホに視線を落としてワクワクしながらメッセージを打つ。

『隣の席に一年生が座ってます。初々しくてかわいいですよ』

 さて、センパイからどんな反応が返ってくるだろう。画面を見つめてメッセージの着信をじっと待った。

『懐かしいね』

 センパイからの返信は期待していたものとは違った。けれど自然と頬が緩む。

 私は窓の外に目を向けた。雨足が少し強くなったようだ。私とセンパイが出会ったのも二年前のこんな雨の日だった。

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