番外編 二度目の結婚初夜

 ジュリエットとオスカーの結婚式が行われたその日、アッシェン城では結婚を祝うための晩餐会が行われていた。

 親交のある貴族や騎士団の面々、そして親類。大勢の人々が、ふたりの結婚を祝うためにアッシェン城に集まり、料理や美酒に舌鼓を打ちつつ、和やかに会話を楽しんでいる。

 この日のために楽団や歌姫も手配し、会場は華やかな祝賀ムードに包まれていた。


 しかし、そんな空気に水を差す者があった。


「よぉ、オスカー。久しぶりじゃないか」


 宴の途中で現れたその男性に、ジュリエットは見覚えがあった。

 

『彼女を人前に出す気はない』

『何でだよ? やっぱり噂通り、人に見せられないような顔をしているからか?』

『……出したくないからだ。お前たちにも会わせる気はない』

『だけど、ならなんで王女との縁談に頷いたんだよ? 断ればよかったのに。あ、実は王女のこと気に入ってたりとか? お前って地味系の女が好きだったっけ』


 リデルが剣帯を送ろうとオスカーの部屋を訪ねたあの日、リデルのことを馬鹿にしていたあの男性。

 前世でオスカーが友人づきあいをしていた内のひとりだ。

 ただ、あの時に比べて随分と老け込み、身なりも貧相なものになっているのが気にかかるが――。

 ひとまずジュリエットは口を噤み、静かにオスカーの動向を見守った。


「……ブライアン――いや、コリー準男爵。貴殿を招待した覚えはないが」


 オスカーと友人たちとの間に何があったのか、ジュリエットは詳しいことは知らない。

 ただ、リデルの死後、彼らとの付き合いをきっぱり止めたということだけはなんとなく聞いていた。


「そう冷たいこと言うなよ。わざわざ遠くからお前の結婚を祝いに来てやったんだぜ?」


 口ではそう言っているが、彼の身なりを見るに、恐らく昔の友人に金の無心でもしにきたに違いない。

 オスカーも、それは分かっているのだろう。


「そんなことは一切頼んでいない。今すぐ出て行け」

「なんだよ、つれないな。もしかして前妻の葬儀の後、ちょっと喧嘩しちまったこと、まだ根に持ってるのか? 俺たち親友だろ?」


 冷ややかな目を向けるオスカーの肩に、ブライアンがぽんと手を置く。

 オスカーはそれを、まるで羽虫でもはたき落とすようにすぐさま振り払った。


「貴殿を親友と思ったことなど一度もない」


 とりつく島もない態度に、準男爵はつまらなさそうな顔をしたが、オスカーの側にいるジュリエットの存在に気づくと、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら近づいてきた。


「ああ、アンタがオスカーの新しい奥さんってわけか。ふぅーん? 前妻とはタイプが違うけど、中々可愛いお嬢さんじゃないか。身体つきはちょっと貧相だけど、悪くない」


 ここに来る前に酒を飲んできたらしく、彼の吐く息はぷんぷんと酒臭かった。

 にたついた赤ら顔と値踏みするような視線が不快で、ジュリエットは思わず後ずさりしてしまう。


「また随分と若い女を捕まえたんだな。しかも、フォーリンゲン子爵家って言えば結構な資産家だろ? 持参金もさぞがっぽり――」

「準男爵、妻に無礼な態度を取るのは許さない」


 きっぱりと言ったオスカーが、ジュリエットを庇うように前に出る。

 表情は見えずとも、彼が相当腹を立てていることが声や雰囲気でわかった。


「それで、本当は何の用だ」

「いやぁ、実は賭け事で借金作っちまってさ……。昔のよしみで、いくらか都合してもらえないか? このままじゃ、借金取りに殺されるかもしれないんだ」

「……話にならないな」


 呆れたように呟いたオスカーは周囲を見回し、使用人や騎士たちに呼びかけた。


「誰か、酔っ払いが紛れ込んでいる。敷地外に放り出してくれ」

「お、おい待てよオスカー! 昔なじみを追い出すつもりか!?」


 何年も付き合いがなかったにもかかわらず、突然金の無心にやってきた相手を歓迎するとでも思っているのだろうか。騎士たちに周囲を取り囲まれた準男爵が、俄に慌て始める。

 

「今の貴殿は不法侵入者以外の何者でもない。抵抗するなら、罪人として裁くことになるが」

「な、なんだよ! いいのか!? お前が昔、前妻にしたことをそこの新妻にバラしても! 知られたら困るだろう!? 初夜を迎える前に離縁されるかもなぁ!」


 初めから、オスカーが話に応じなかったら脅すつもりで来ていたのだろう。

 ジュリエットがリデルの生まれかわりであるが故に、その脅しが一切通用しないことを、当然彼は知る由もない。


 しかしその悪意のこもった言葉は、オスカーの心に毒を盛るには十分な言葉であった。


 オスカーが言葉に詰まったのを確認し、招待客たちがざわついているのを見て、準男爵は勝ち誇ったような顔をしていた。


 気づけばジュリエットは前に進み出て、オスカーの手を握っていた。

 かつての過ちを当てこするような準男爵の言葉を受け、彼の手は少し強張り、冷えていた。

 だからジュリエットはオスカーの手を強くにぎりしめる。手のひらのぬくもりで、大丈夫だと伝えるように。

 

「ご心配ありがとうございます。ですが、お気遣いはご無用ですわ」


 そして一切迷いのない声で準男爵に告げる。


「もし、旦那さまがかつて何か過ちを犯したとしても、わたしはその過ちごと旦那さまを愛すると決めて嫁いだのです。それは決して、他人の言葉で揺らぐような決意ではありません」


 その言葉に、オスカーの手のこわばりが徐々にほどけてゆくのがわかった。

 彼の心に未だ刻まれたままの、リデルジュリエットへの贖罪の気持ち。恐らくこの先も、その痛みが完全に消えることはないだろう。

 けれど、自分が側にいることで、自分が言葉を発することで彼が少しでも楽になるのなら――。誰に何を言われようと、もう気にすることはない。


「ああ、そうか……。そうだったな」


 ジュリエットの伝えたいことをしっかりと汲み取ったのか、オスカーの声は穏やかだった。

 彼はジュリエットの手をしっかり握り返すと、毅然とした態度で準男爵と向かい合う。


「コリー準男爵。確かにかつての私は妻を独占したい気持ちから、心にもない愚かな嘘をついた。あちらこちらに愛人を作るような好色な男が、少しでも妻に興味を持ったら困ると思ったからだ。だが、それは大きな間違いだったと今はわかっている」

「な、なんだよ急に……」

「貴殿と友人づきあいをしていたのも、父が急逝し急にアッシェン領を治めなければならなくなった私にとって、よい商売相手だったからに過ぎない。利用していたことについては謝罪するが……実のところ、貴殿のような男は私がこの世で最も軽蔑する類いの人間だ」


 オスカーの言葉に、準男爵は呆気にとられたような顔をしていた。

 だが、やがてその顔が怒りで真っ赤に染まっていき、唾を飛ばしながら喚き散らし始める。


「ひ、人が下手に出てやってれば調子に乗りやがって……! どうせそこの新妻だってアッシェンの財産目当てだろ!? お前みたいなつまんねぇやつ、どうせすぐ愛想尽かされるだろうよ!」

「準男爵。私の忍耐が持つ内に、早々にお引き取り願おう。それから……次にアッシェンに足を踏み入れたら、もう容赦はしない」


 酷薄な表情で準男爵を突き放したオスカーが、騎士たちに視線で合図をする。

 準男爵は瞬く間に拘束され、城の外へ引きずられていった。彼はそれでも何かわめいていたようだが、やがてその声も遠ざかっていき、すっかり聞こえなくなった。

 


§


「昔の知人が、本当に申し訳なかった……」

 

 宴が終わり、寝支度を終えてようやくふたりきりになった寝室で。

 ふたり向かい合いながら、オスカーが呟くようにそう言った。

 蝋燭の明かりに照らされている彼の顔は、少し疲れているようだった。


「せっかくの晴れの日に、貴女には不愉快な思いをさせてしまったな。過去の私の愚行が、今もなお貴女を苦しめることになるなんて、謝罪してもしきれない」

「いいえ。旦那さまは不躾な視線や言葉から、わたしを守ってくださいました」

「あなたがリデルだった時にも、そうすべきだった。いや、初めからあんな男と付き合うべきではなかった。そうすれば、今頃――」

「旦那さま」


 ジュリエットはオスカーの唇に指先をあて、その言葉を遮る。


「〝ジュリエット〟ではご不満ですか?」

「いや、もちろんそうではない……! だが――」

「わかっています。だけどもう、わたしリデルのことで後悔しないでほしいと申し上げたでしょう? それに、今夜は結婚初夜ですし……その……」


 せっかくの記念すべき夜なのだから、あんなつまらない男の言葉で頭を悩ませるべきではないと言いたかったのだが、なんだかとても大胆な発言をしてしまった気がする。

 自分で言っていて段々と恥ずかしくなり、声が小さくなった。


 そう、結婚初夜。

 ジュリエットは今、薄い絹の寝衣シフォラ姿で、灯りを極限まで落とした寝室でオスカーと向かい合っていて、気を利かせた使用人たちによって人払いがされていて。

 しかも寝台の上には赤い薔薇の花弁が散らされている上に、甘いアロマまで香っている。

 新婚夫婦のため万全のお膳立てがされたこの状況で、迂闊なことを言うべきではなかった。


「わ、忘れてください……」


 顔を真っ赤にして俯くジュリエットだったが、オスカーはなぜ彼女がそうなっているのか、今ひとつわかっていないようだった。


「なぜ、そんな顔をしている?」

「な、なぜって、それは……」


 ジュリエットにしてみれば、むしろこの状況で平然としているオスカーのほうが信じられないのだが、それが男女の違いというものだろうか。


「は、恥ずかしくて。それに、少し怖くて……」


 消え入るような声で、伝える。


 もし、ジュリエットが何も知らない普通の乙女であったら。家庭教師や母親から、『旦那さまにすべてをお任せすればよいのです』という曖昧な教えだけを受けた娘だったなら。

 それならまだ、単純な緊張だけで済んだかもしれない。

 だけどジュリエットは、無垢な身体でありながら、この先に何が起こるか全部分かっている。


「……そうか。そうだな」


 彼は独り言のようにそう呟くと、片手でジュリエットを抱き寄せ、もう片方の手で無防備に下ろされたままの茶色い髪を撫でた。遠慮がちだが、優しい手つきだった。

 密着している胸から伝わる鼓動を聞いている内に、彼の香水のかおりを嗅いでいる内に、ジュリエットの心も段々と落ち着いてくる。


「――貴女の望みなら、すべて叶えよう。してほしいことがあるなら、なんでも言ってくれ。怖がらせたくはないんだ」


 身体を離しながら、オスカーが言う。

 その言葉に込められた彼の気持ちが、ジュリエットには痛いほど伝わってきた。

 だから勇気を出して、彼の目を見ながら小さく告げる。


「……大切に、してください。優しくして、わたしを、ひとりぼっちにしないで……」


 すれ違ったまま、心の通わない悲しい触れあいをするのはもう嫌だ。

 朝目覚め、寝台に一人取り残されていたあの時のような寂しい思いはもう、二度と味わいたくない。

 ジュリエットの願いに、オスカーが胸を突かれたような顔をした。かつての自分の行いを思い出し、リデルの痛みに思いを馳せたような、そんな顔だ。

 でもそれは、ほんの一瞬のことだった。


「承知した。何もかも、姫君プリンシアの、お望みのままに」


 そう言うと、彼はジュリエットを横抱きにして、そっと寝台の上に横たえる。

 ぎしりと寝台を軋ませながらしかかかってくる彼の表情は静かでありながら、その瞳には確かに熱が浮かんでいて、もうジュリエットは何も言えなくなった。


 その後、彼はじっくりと長い時間をかけて、ジュリエットを翻弄した。

 優しい口づけと繊細な指先の動きに甘やかされ、息も絶え絶えになりながら、ジュリエットは暗闇の中でまたいくつかの願い事をした。


『もう少し手加減してほしい』

『赦してほしい』

そして『もう眠らせてほしい』だ。


 オスカーは、ジュリエットの望みなら全部叶えてくれると言った。確かにそう言ったはずだ。

 けれど結局叶えられたのは、最初に告げた三つだけ。

 オスカーは終始優しかったし大切にしてくれた。リデルの時の、自分本意だった行為と違うのは確かだった。

 けれど彼は決して手加減はしなかったし、赦してもくれなかった。そして空が白み始めるまで、ジュリエットを手放してくれなかった。


「旦那さまの、う、う、嘘つき!」


 翌昼、荒れた寝台の上で寝坊した新妻が夫に抗議をしたのは無理もない話だった。

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拝啓『氷の騎士とはずれ姫』だったわたしたちへ 八色 鈴 @kogane_akatsuki

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