第129話

 こうして両家の家族にその仲を認められたふたりだったが、最後にもうひとつ、乗り越えなければならない壁があった。

 エフィランテでは貴族同士の婚姻に、国王の承認が必要なのだ。

 どんなに互いに想い合っていたとしても、国王が反対すれば、ふたりがこの国で正式な夫婦として認められることはない。


 大抵の場合は問題なく承認が下りるのだが、これが普通の婚姻とはわけが違うことは、誰よりジュリエットたちが一番よく分かっていた。

 不安な思いを抱えるジュリエットにとって救いとなったのは、そんな自分をオスカーが力強く励ましてくれたことだろうか。


「大丈夫だ。何度反対されようと、承認されるまで説得し続ける。何せ私は、リデルを妻にするために危険な討伐任務に赴いた男だ」

 

 そうして先んじてオスカーが王家へ書簡を送ったところ、後日、返信と共にジュリエット宛でジョエル王子の誕生日会への招待状が届いた。

 社交界デビュー前の娘が王族に謁見するのは極めて異例なことだが、王と王妃にとってエミリアは実の孫にあたる。その継母となる娘を、直接自分の目で確かめたいと言ったところだろう。


 急遽決まった参内に向け、ジュリエットの周囲は俄に慌ただしく動き出した。

 謁見用やパーティー用、その他、王都でも見劣りしないドレスや装身具が用意され、次々と王都にあるフォーリンゲン子爵家の街屋敷タウンハウスへと送られた。


 ――そうして迎えた、王子の誕生日会前日。

 その日、ジュリエットは御前に相応しい清楚で上品な空色のドレスを身に着け、オスカーやエミリアと共に王城を訪れていた。


 迎えの侍従がやってきた時、てっきりそのまま謁見の間に通されるのかと思っていた。

 しかし彼がジュリエットたちを先導して向かったのは、もっと私的な空間――王妃が内輪の茶会をするのに好んだ一室だった。


「アッシェン伯爵オスカー・ディ・アーリングさま、及びご令嬢エミリアさま。フォーリンゲン子爵令嬢ジュリエット・ディ・グレンウォルシャーさまがいらっしゃいました」

「お通ししてちょうだい」


 王妃の声を合図に扉が開かれ、長椅子に腰掛けた国王と王妃の姿が見える。

 ふたりとも、公的な場で身に着けるより楽な服装に身を包んでいた。最後にリデルが目にしたふたりと比べ、白髪も皺も大分増えた。


(おふたりとも、少しお痩せになったかしら……)


 面影はそのままに、記憶より年を取ったふたりの姿は、十二年という時の流れをひしひしと感じさせた。


(だけど、お元気そうでよかった……)


 背筋を伸ばし、長椅子に腰掛けるふたりの姿は以前と変わらず凜としており、その眼差しには為政者らしい威厳が宿っている。

 安心する一方で、臣下としてかつての両親と向かい合う緊張で、思わず身が固くなった。


「アッシェン伯、エミリア。それにフォーリンゲン子爵令嬢。よく参った。こちらへ」


 声をかけられ、三人は国王の前に進み出る。


「国王陛下、王妃殿下に拝謁の栄誉を賜りまして恐悦至極に存じます」


 慣れた様子のオスカーの隣で、ジュリエットはややぎこちなく臣下の礼を取る。


「ここは謁見の間ではないゆえ、堅苦しい挨拶はよい。それよりまずは……」


 国王の目が、ジュリエットに向けられた。


「フォーリンゲン子爵令嬢よ。まずはクレッセン公の件についてそなたに謝罪したい。こたびは我が甥がそなたに危害を加えるような真似をして、本当に申し訳なかった」

「わたくしからも、謝罪させてください」

「いけません……! 頭をお上げください、陛下、妃殿下」


 悲鳴にも似た響きで、ジュリエットは頭を下げる国王と王妃を止める。

 既に使者によって王室からの謝罪文がもたらされ、アッシェンとフォーリンゲンに対して王室より十分な見舞の品も与えられていた。

 それでなくとも国王が頭を下げるのは、冠を戴く時か冠を奪われる時だけだ。だから、国王は絶対に他者に頭を下げてはならないと昔から決まっている。

 それでも彼は、頭を上げなかった。


「……あやつの狂気に気づけず、長い間王太子の側近として重用し続けた。我が愛しい娘を死に追いやった、仇であったにもかかわらずだ。そのせいで、他人の身まで危険にさらしてしまった。こうでもしなければ、余の気が済まぬ」

 

 淡々とした、静かな声。しかしそれは彼が、自身の中に吹き荒れる後悔や激情を抑えている声であると、元娘であるジュリエットにはすぐにわかった。

 娘の仇を、それと知らず側に起き続け信頼し続けていた国王の後悔は、いかほどのものだろう。


「きっと――」


 リデルも安心している。

 そう言いかけて、ジュリエットは口を噤んだ。国王は、他者からの慰めや気休めを望みはしないだろう。


「……いいえ、陛下並びに妃殿下のご厚情に感謝いたします。あまりお気に病まれませんよう」


『娘』としてふたりに声をかけられないことを寂しく思いながら、ジュリエットは今自分が言える精一杯の言葉を口にした。

 ジュリエットの言葉を受けて顔を上げた国王と王妃の顔は、ほんの少しだけ和らいでいるように見えた。


「……エミリアから聞いていた通り、優しい令嬢だ」

「ええ、本当に。この方なら安心ですね」

「え……?」


 思いも寄らぬふたりの言葉に、ジュリエットとオスカーは揃ってエミリアのほうを見る。

 エミリアは意味深な、そしてどこか得意げな笑みを浮かべていた。


「実は先日、エミリアが手紙をくれてな。父親の相手がいかに優しく素晴らしい女性かということを教えてくれたのだ」

「ジュリエット嬢のおかげで、アッシェン伯が明るくなったことや、淑女として必要な作法を学ぶことができたのだとを教えてくれたわ。自分にも、父親にも、ジュリエットの存在が必要なのだと」

「エミリアさまがそんなことを……」


 きっとエミリアは父と友人のことを応援しようと思って、こっそりとそんな手紙を書いてくれたのだろう。

 子供なりに、ジュリエットやオスカーの立場をくみ取って、少しでも自分が力になれればと考えてくれたに違いない。

 その思いやりや優しさに、ジュリエットは胸がいっぱいになる。

 思わず涙ぐみそうになっていると、王妃が優しい眼差しを向けてきた。


「リデルの死によって、長らくアッシェンは逆風に晒されてきました。そろそろ、春風が訪れてもいい頃でしょう」

「ああ。それに、可愛いエミリアが賛成しているのだ。我々が反対する理由などどこにもなかろう」

「陛下、それでは……」


 ジュリエットとオスカーは顔を見合わせ、そして期待に満ちた眼差しで国王を見つめた。

 国王はたっぷりと蓄えた白い口髭を指先でいじりながら、高らかな声で宣言する。


「エフィランテ王国第四代国王の名において、今ここにアッシェン伯爵オスカー・ディ・アーリングとフォーリンゲン子爵令嬢ジュリエット・ディ・グレンウォルシャーの婚姻を承認する」

 

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