第53話

「私は反対ですわ!」


 寝台の上で、マデリーンが声を張り上げた。

 予想はしていたが、いざそうなってしまうとやはり少々面倒な気分になるものだ。見舞いがてら彼女の部屋を訪ね、新しく家庭教師を迎えることになった旨を伝えるなり、彼女は拒絶感をあらわにした。


「これまでの家庭教師は、いずれもすぐに解雇なさっていたではありませんか。旦那さまに色目を使ったとか、物を盗んだとかで……。それを今更、農園主の娘なんて」

「農園ではなく果樹園だ。それに私がエミリアの家庭教師に関して望むのは、身分ではなく能力だ。それは男爵夫人、貴女にもご理解頂いていたと思うが」

「っ、わかっておりますわ!」


 男爵夫人の頬がさっと紅潮する。

 少し意地悪な言い方ではあったものの、身分が一番重要だというのなら、そもそも男爵夫人はその条件に当てはまらない。

 今でこそ男爵夫人の称号を持つ彼女だが、元々の出自は貴族ではなく平民だ。準男爵の妻になった際、散々その出自を叩かれてきた彼女は、ジュリエットの身分に対してあまりどうこう言うべきではない。

 

「ですが、そのような年頃の娘がまともに教育などできるものですか。家庭教師をした経験もないのでしょう」

「やってみないとわからない。これまでの家庭教師は皆エミリアとは親子……あるいは祖母と孫ほど年齢の離れた女性ばかりだったし、年の近いほうが上手くいくということもありえる」


 なおも拒否反応を示そうとする男爵夫人を抑えるために、オスカーはあえて付け加えた。


「それにエミリアは、その女性のことをとても気に入っている」


 言うか言うまいか迷ったが、恐らくこれを伝えておかなければ男爵夫人はオスカーが折れるまで反対するだろう。そして今回の件に関しては、オスカーは絶対折れないと決めている。

 案の定、マデリーンの顔から怒りが抜け、ついでに全身から力が抜けたようになった。


「奥さま、お水を」


 彼女の未婚時代から仕えてきた中年の侍女が、横から手慣れた様子でコップを差し出す。受け取ったマデリーンはそれを一気に飲み干し、小さく呟いた。


「私では、役不足でしたのね」

「いいや、貴女は一生懸命やってくれている」


 相性はあまりよくないようだが、マデリーンなりに精一杯エミリアを立派な貴婦人にしようとしてくれていることは、オスカーも認めている。

 ただ、恐らく今のエミリアでは、マデリーンの熱意に応えることはできない。


「今回貴女が怪我をしたことで考えたんだ。これまでエミリアの淑女教育を貴女ひとりに背負わせてきたが、もうひとりくらい、その役割を分担する相手がいてもいいのではないかと」

「私はひとりでもっ、」

「だがその足では、座学ならともかくダンスや乗馬の稽古は付けてやることができまい。ジョエル王太子の誕生日パーティは一年後。貴女はエミリアが、十分パーティに参加できる礼儀作法を身に着けていると思うか?」


 これまでエミリアの淑女教育を一手に引き受けてきた彼女に対し、酷な言い方であることはわかっている。しかし一刻の猶予もないことは、他ならぬマデリーンが一番わかっていることだろう。。

 運良くジュリエットが家庭教師を一年続けてくれたとして、その間きっちり教育を受けたところで、本当にエミリアが間に合う保証もない。


「それは……大変申し訳なく思っております」

「いや。あなただけのせいではない。元はと言えばこれまでずっと、あの子に甘くしてきたのが悪かったのだろう」


 母親を亡くした不憫な娘を、守ろうと思った。エミリアだけは何を差し置いても大切にしようと。

 それが正しいと思っていたのだ。

 実際、エミリアはとても明るくいい子に育った。曲がったところもなく素直な性格で、世界一可愛い娘だとも思う。

 けれど伯爵令嬢としての客観的評価がどうかと問われれば、オスカーは沈黙するしかない。


「ともかく、これはあくまで臨時措置だ。貴女の怪我が治るまでの間を試用期間とし、後のことはまたその時に考えようと思っている」


 ジュリエットには男爵夫人の怪我が治るまで、というようなことを言ったが、結果如何によってはそのまま一年後まで家庭教師を務めてもらいたいと思っている。

 もちろんそれも、ジュリエットが承諾してからの話にはなるが。


「フェナ・ジュリエット・ヘンドリッジに担当してもらうのは、座学以外の全ての科目だ。安心してほしい。平民とはいえ、彼女が高い能力を有していることは確認済みだ」

「そう、ですか」

「伏せっているところ誠に申し訳ないが、彼女が城へ来たらエミリアの教育に関する進捗状況を教えてやってもらえると助かる。もし体調が悪い際は、座学もジュリエットに任せてくれていい」

「……かしこまりました」


 そうは言うものの、やはりマデリーンの表情は優れなかった。

 無理もない。彼女は彼女なりに、自分の仕事に矜持を持って取り組んでいたのだ。恐らくは生徒がエミリアでなくもっと素直な娘であれば、マデリーンの思惑通り立派な貴婦人として成長するに違いない。

 その時、扉が大きく開き、バタバタとふたりの女児が駆け込んでくる。


「おかあさま」

「おかあさま!」


 この子たちは、マデリーンと先代エヴァンズ男爵の間に生まれた双子の娘たちだ。

 髪を一つに結んだほうがジェーン、二つに結んだほうがキティというのだが、髪型が入れ替わっても恐らく気づくことはあるまい。鏡写しのように瓜二つな姉妹なのだ。


「ほらあなたたち、扉を開ける際はきちんと声を掛けるか扉を叩いて知らせなさいと言っているでしょう。ご主人さまがいらっしゃっているのよ、ご挨拶を」

「はぁいおかあさま。はくしゃくさま、ごきげんよう」

「ごきげんよう、はくしゃくさま」


 姉妹は一人前の淑女のように、スカートの裾を摘まんでちょこんとお辞儀をする。

 普段はおてんばで、城中の人間から『小さい野獣』『歩く騒音』などと言われているが、オスカーの前では無害で可愛らしい女の子たちだ。


「よくできたな。キティ、ジェーン。君たちのお母さまはお怪我をなさっておいでだ。暴れたりわがままを言ったりせず、いい子にしているんだぞ」

「はぁい、はくしゃくさま」

「キティ、いいこにするー」


 オスカーはそれぞれの頭を軽く撫でると、椅子から立ち上がる。

 そして部屋から出る直前、改めて寝台の上のマデリーンを振り向いた。


「貴女はこれを期に、少し身体を休めたほうがいい。里帰りする以外はほとんど休暇もとらず、無理をしてきただろう」

「でも……」

「これ以上アーサーに恨まれたくはない。彼が生きていればきっと、私を怒鳴りつけただろう。妹をきちんと休ませろ、と」


 くしゃりと、マデリーンの顔が大きく歪んだ。

 けれど彼女は鼻の頭を赤くするに止め、極めて平静を装った笑顔で告げる。


「兄は。……兄はきっと、感謝していますわ。私を救ってくださったご主人さまに……きっと」

「……そうだといいが。それでは、失礼する」


 苦い笑いを浮かべ、オスカーは双子が開け放していた扉から外に出た。

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