第11話

「――というわけで、どうかお断り申し上げてください。お祖母さま」


 応接間で祖母と向かい合いながら、ジュリエットは真剣極まりない表情でそう訴えた。

 しかし祖母は、ほほほと上品に笑いながら、孫娘の訴えを退ける。


「無理よ。もうアダムからお礼にと、大好物のフォビア茶葉までいただいたのですもの」


 祖母の指先が、すっとティーカップに伸びる。田舎町にはあまりに似つかわしくない、ひと目で高級品とわかるデザインだ。

 ジュリエットの目の前にも似たようなティーカップが置かれ、中を満たす熱い紅茶が湯気を立てている。

 林檎のような爽やかな香りと、繊細な味わい。緑がかった黄金色という特徴的な色合いは、間違いなくフォビア紅茶特有のものだ。


 アッシェン領は国内唯一の紅茶の産地であり、海から流れてくる暖かな風と肥沃な大地によって育てられる紅茶は、上流階級の間でも大変評判が高い。

 実のところ、祖母がこのフォビアの町を終の棲家に選んだのは、紅茶目当てだったのではないかとジュリエットはにらんでいる。


「わざわざ贈ってもらわなくても、お祖母さまが望めば茶葉なんていくらでも手に入るではありませんか」

「いやね、ジュリエット。この年になって若い男性から『貴女のために』と贈り物をされるのは、たとえどういう理由であれとても貴重な経験なのよ」

「……お祖母さま。まさかとは思いますが、そのアダムさまと仰る男性に、何か特別な感情を抱いていらっしゃるわけではありませんよね?」


 恐る恐る、ジュリエットは祖母に問いかける。

 背後でメアリが慌てたように咳払いを落としたのは、聞こえないふりをした。 


 祖母は今でこそこうしてのんびりとした生活を送っているが、ジュリエットくらいの頃は求婚者が殺到してそれは大変だったそうだ。

『恋多き侯爵令嬢』と呼ばれ、上は八十歳から下は十七歳まで、ありとあらゆる男性たちを魅了してきた。社交の場に顔を出すたび決闘騒ぎが起こるものだから、一時期祖母は、さまざまなパーティーで出入りを禁止されたのだとか。

 ちなみに巷では、当時第二王子であった現大公――つまりリデルの叔父と、結婚するのではという噂まで流れたらしい。

 しかし実際に祖母の愛を射止めたのは先代フォーリンゲン子爵であったため、こうしてジュリエットがこの世に存在しているわけだが。


 そんな数々の武勇伝を持つ祖母のこと。たとえ四十ほど年の離れた男性相手とはいえ、決して恋愛感情を抱かないとは限らない。

 エフィランテ王国貴族の間では年の差結婚は特に珍しいことではなく、三十歳程度年の離れた夫婦など探せばいくらでも見つかるものだ。

 そんなジュリエットの杞憂を、祖母は心外そうな顔で否定する。


「あら、そのような勘ぐりを受けるいわれはありませんよ。一体私の孫娘は、いつからそんなひねくれた考え方をするようになったのかしら。昔は素直でいい子だったのに」


 きっとジェームズに似たのね、と祖母がいかにも嘆かわしげに父の名を口にする。

 祖母は疑り深い父の性格に、前々から閉口気味なのだ。


「あいにくですが、アルバートはお父さまのことを、若い頃のお祖母さまにそっくりだといつも口癖のように申しておりますわ。もちろん顔ではなく、性格について」


 大きなためいきをつく祖母へのささやかな意趣返しとして、ジュリエットは祖父の代からフォーリンゲン子爵家に仕える忠実な家令の名を出した。

 アルバートによると、祖母は恋多き女と謳われていたが大層注意深い性格であり、いつも猛禽のような鋭い目で結婚相手を見定めていたそうである。彼女がこういった性格になったのは後年、鷹揚だった祖父の影響によってだ。

 まさか反論されるとは思わなかったのだろう。祖母はたちまち渋面になり、紅茶を啜る。

 そして気を取り直したように、改めてジュリエットに視線を向けた。


「ジュリエット、あなたの気が進まない理由はわかっていますよ」


 真面目な表情に、ドキン、とジュリエットの心臓が大きく鼓動を立てる。

 ――まさかお祖母さまは、わたしに前世の記憶があることを、何らかのきっかけで気づいたの?

 そんな緊張を表に出さないよう、注意しながら祖母の言葉の続きを待った。


「あなたはまだ社交界デビュー前ですものね。妙な噂が立つのを心配しているのでしょう」

「えっ?」

「え?」

「あ、そ、そう! そうです。さすがお祖母さま! ご慧眼感服いたしました」


 動揺からつい素っ頓狂な声を上げてしまったことを隠すため、ジュリエットは大げさなまでに祖母を褒め称える。

 そして密かに胸を撫で下ろしながら、それもそうかと小さくため息をついた。

 普通の人間は目の前にいる相手を見て、この人は前世の記憶があるに違いない、なんて思わない。そんな発想至ることすらないだろう。

 もし思わせぶりな態度でも取ったのだとしたら話はまた違ってくるだろうが、ジュリエット自身、前世の記憶を取り戻したのはつい先日。祖母に気づかれるはずがなかった。


「いきなり褒められるなんて、なんだか気味が悪いわね」

「そ、そんなことありませんわ。ジュリエットはいつでもお祖母さまのことを尊敬しておりますのよ」


 ジュリエットは大仰なよそ行きの言葉使いで、ぎこちない微笑を浮かべた。

 祖母のことを尊敬しているのは本当だが、一連の態度があまりにわざとらしすぎたことは、自分でもわかっている。

 祖母はそんな孫娘を、肩眉を上げてしばらくじっと観察していたが、やがてやれやれといった様子でかぶりを振った。


「まあいいでしょう。あなたの妙な態度はさておき、私だってかつて少女だった時代がありますからね。もちろん何もなんの対策もせず、あなたをアダムのパートナーにしようなんて考えたわけではありません」

「いえ、あの、できれば対策とかではなくパートナー自体をお断りしていただきたく――」

「トーマス! トーマス、応接室へ来てちょうだい!」


 ジュリエットの言葉を遮るように、祖母が大きな声を上げて知らない男性を呼んだ。

 近隣の家々と比べればだいぶ広いものの、子爵邸の十分の一もないこの小さな屋敷では、少し大声を上げるだけで庭まで響き渡るだろう。わざわざ侍女を使って呼んで来させるまでもない。

 案の定それからすぐ、見知らぬ中年男性が応接間に顔を出した。

 黒い髭と大きな身体が印象的で、特別上等だとは言えないもののそれなりに小綺麗な格好から、中流階級に属する人間であることが推察できる。


「お呼びでしょうか、奥さま」

「こちらへいらっしゃい。ああほら、もっと近くへ」


 祖母はトーマスを手招きし、自分たちの座る椅子のすぐ側まで呼んだ。


「ジュリエット、こちらトーマス・ヘンドリッジ。わたくしの出資している小さな果樹園の所有者よ」

「ええと……? 初めまして、ヘンドリッジさん。ジュリエットです」


 祖母が色々な事業に出資していることは知っていたが、そこの所有者が一体どうしたというのだろう。

 困惑しながらも一応挨拶をすると、トーマスは愛想のよい笑みを浮かべて頭を下げた。


「初めてお目にかかります、ジュリエットお嬢さま。どうぞトーマスとお呼びください。お嬢さまのことは奥さまから、ご自慢のお孫さまだと伺っておりますよ」

「そうですか……」


 なんと言っていいかわからず、ジュリエットは祖母に助けを求める視線を送った。

 しかしその直後、祖母が放ったとんでもない発言によって、度肝を抜かれる羽目になってしまう。


「あなたはこれから、このトーマスの娘になるのよ、ジュリエット」

「……お祖母さま。今、何と?」

「聞こえなかったの? あなたはこれから――」

「聞こえました。ええ、はっきり聞こえましたわ。わたしが伺いたいのは、なぜ突然、お祖母さまがそんな訳のわからないことを言い出したのかということです」


 何もかも意味がわからなすぎて、どこからどう説明を求めればいいのかもわからない。

 すると祖母は、少女のようにきょとんと首をかしげる。


「あら、わからない? あなたって案外鈍いのね」

「今のやりとりでお祖母さまの発言の意図がわかる人間がいるとすれば、わたしはその方を心から尊敬いたしますわ。それで、どうしていきなりわたしがトーマスの娘になるという話が出るのですか」

「だって、あなたも心配していたでしょう? アダムのパートナーになって、妙な噂が立ってしまうことを。だから私も考えてみたのよ。どうすればアダムとの約束を守りつつ、『フォーリンゲン子爵令嬢ジュリエット』の名前に傷をつけずに済むかを」


 祖母はこれからさも素晴らしい考えを披露するのだとでも言いたげな表情で、誇らしげに笑っていた。

 彼女がこんな顔をする時は、ろくなことが起こらない。

 ひしひしと忍び寄る嫌な予感が、どうか気のせいでありますように。そんな願いに反し、祖母はある意味期待を裏切らない発言でもって、ジュリエットを混迷の渦に突き落とした。

 それは正に、名案ならぬ迷案であった。


「あなた、別人として夜会に参加すればいいのよ!」

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