学園ペスト
青キング(Aoking)
日常に射し込んだ疫病の影
ここ風月学園は日本最大規模の学園で、生徒寮や競技別グラウンドはもちろん各種商業施設まで備えた、一つの街とほぼ変わりない生活環境を有している。
この学園の生徒たちはそんな恵まれた環境を享受し、不足のないスクールライフを送っている。
時節は七月下旬、生徒たちは夏休みの真っ最中だ。
大会に向けて部活に励む者、受験に先駆けて勉学に勤しむ者、友人恋人と学園外へ出かける者、送るスクールライフは様々だ。
それぞれが満足の行く夏休みにしようと活動している中、北里渋三郎は保健室のベッドに異様な格好で腰かけていた。
「これこそ万国共通のクリエイティブポーズだ」
彼の異様な格好とは、オーギュスト・ロダンの彫像『考える人』だ。
「はは、渋三郎君それ『考える人』だね」
有名な彫像の姿を真似している北里の座るベッドで、布団を肩まで被って仰向けに寝ている色白の青年、森下哲は楽しそうに笑った。
「御名答、さすが哲也だ」
北里は森下の答えに満足げに頷く。
「それで渋三郎君、何か考えてたの?」
「どうすれば俺が手を煩わせずに宿題を済ませられるかをな、人類最高峰の脳で検討してたんだ」
「誰の脳が人類最高峰だって?」
開けっ放しだった保健室のドアから、白衣を着て黒い髪を後ろに束ねた、森下に似て色白の若い女性が入ってきて、北里に呆れた口調で聞き返す。
「姉さん。どこ行ってたんだ」
「知り合いと相談事をしてたんだ。それより哲也、具合はどうだ?」
森下に姉さんと呼ばれた若い女性、森下摂はこの学園の保健教諭で、気遣いの目で弟を見る。
「今日は大丈夫そう」
「哲也の姉ちゃん、俺の脳が人類最高峰じゃないと言うのか?」
北里が摂に突っかかる。
摂は阿呆を見る目を送る。
「よく考えてみろ、人類最高峰と誰が決めるんだ?」
「はあ、選手権でもして決めればいいだろ」
「そんなので決まるわけがないじゃないか、脳にはまだ解明されていない力があるんだ。しかも俗にいう知能指数は勉強が出来るかどうかの数値だ、勉強できなくても測り知れない才能のある人もいる」
「返す言葉がないな」
北里はあっさりと納得した。
摂は弟に視線を移す。
「哲也、今から話さないといけないことがある。北里に帰ってもらうよう言ってくれ」
「わかったよ、姉さん。ごめん渋三郎君」
すまなさそうに森下は北里を詫びる。
「いいぜ、哲也また明日な」
気にしてないと言いたげに、北里はベッドから腰を上げ保健室を出ていった。
次の日の朝の事だ。
部活動の準備のため、誰よりも早く学園に到着していた男子サッカー部顧問の山田は、部室を開けた途端に、ドアの傍で辺りを血に汚して倒れている鼠の死骸と遭遇した。
鼠が今にも動き出すのではないかとしばらくは立ち竦んでいたが、鼠の周囲の血と鼠の動く気配がないので、絶命していると見て取った。
「うわ、気持ち悪い」
朝食べたものが逆流してきそうな吐き気を催しながら、鼠の死骸を部室隅のステンレスのゴミ箱にティッシュでくるんで処理した。
この時の山田にはいささかの危機感もなく、鼠の死骸のことなど部員の練習メニューに思考が移って、頭からすっかり忘れ去られたのである。
その後、三日続けて校内で鼠の死骸が数多く発見され、教師たちは奇妙を感じつつも、生徒達に死骸のことが露顕しないように処理をしていた。日々の業務にかまけて、誰も鼠の死骸が出る原因などを明らかにしようとしなかった。
そんな中、教師たちが恐れていた事態が起こってしまったのである。
女子テニス部の更衣室で、大量の鼠が血を吐いて死んでいたのだ。女子テニス部員の中には、鼠が苦悶しながら死に絶える瞬間を目にしていた者までいた。
当然、騒ぎは女子テニス部員だけにとどまらず、学園生徒たちに広まった。
北里は気まぐれな男でふらふらとグラウンドに現れたかと思うと、暇を持て余していろんな部活の様子をぼうっと眺めて、正午の頃になると来た時と同じくふらふらといつの間にかグラウンドを後にしている。
そんな日もあれば、冷房の利いた保健室に始終居座り、ベッドで仮眠を取ったり、健康啓発ポスターを食い入るように見ている日もある。
また虚弱体質の森下哲也がベッドで退屈そうに寝ている時には、話し相手になってあげたりもしている。
三日ぶりに学園に訪れた北里は、暑さを避けるためと森下に会うために、保健室に赴いた。
「よお、哲也」
「ああ、渋三郎君。久しぶりだね」
軽く手を挙げ挨拶する北里に、森下は読んでいた本を閉じて表情を緩ませた。
「それ、何読んでたんだ」
北里が森下の本を指さす。
「これ。これはまあ、つまらない小説だよ」
「そうか。で、お前いまは暇か?」
森下は首を横に振る。
「ごめん、この後姉さんと病院に行く予定があるんだ」
「お前の姉さん、弟を連れまわしてばっかだな」
「はは、そんなこと言っちゃいけないよ。姉さんは僕のために病院に通わせてくれてるんだから」
「大変だな、お前も。俺は頭は悪くても身体だけは丈夫で良かったよ、病気になった覚えがないからな」
「ほんとに恵まれてるよ、渋三郎君は」
羨望の眼差しで森下は北里を見つめる。
ドアが開き、ブリーフケースを抱えた白衣の摂が保健室に入ってくる。
「またいるのか、北里。哲也に病原菌をうつすなよ」
北里を菌の媒介者であるかのような目で見据える。
「失礼な、誰が黴菌だ」
摂の言葉に腹を立てる。
「私はお前を黴菌だとは一言も口してないぞ。お前が病原菌を持っている可能性があることを恐れただけだ」
「俺は病原菌なんか持ってない」
北里は自信たっぷりと断言した。
そんなはずはない、と摂は否定する。
「お前知らないのか、最近この学園内で鼠の死骸が大量に見つかっているそうだぞ。鼠は病菌をたくさん持ってるらしいからな、今私の目の前にいるが素手で触っていけない」
「誰が鼠だ。さっきから失礼だぞ」
北里は友人の姉の物言いに憤慨した。
彼の憤慨などどこ吹く風で、摂は弟に振り向く。
「哲也、仕度して病院行くぞ」
「すぐ行けるよ」
森下はベッドから降りて、姉の横に立つ。
「じゃあね、渋三郎君」
姉に連れられて森下は保健室を出ていった。
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