68小節目 打ち込まれたくさび
僕らの吹奏楽部は、決して上手くなりたいという気持ちがない訳ではない。しかし、全国大会金賞を目標にギリギリを詰めていくような、ストイックな空気でもない。
厳しすぎる練習の反動で、コンクールのボイコット……昔にこの部活がたどった経緯が経緯だけに、むしろそういった方向に舵を切るのに恐怖感さえもある気がする。新任の顧問である
それは入部したて、楽器始めたて、音楽始めたての僕ですらうっすらと分かるムードでもあるから……この部活を司る長谷川先生は、より慎重に、守りに入っているのだろう。
たとえ僕らコンクールで
よって、コンクールに出て演奏をしたという事を達成するだけでも、僕らはそれで満足すると思う。先生生徒双方納得した上での銅賞として、宝物になる。
今まではそれで良かったんだ。今までは。
『私、こんな
強豪校時代のOGが長谷川先生に向かって残した沈痛な言葉は、ゆっくりと、じわじわと、しかし確実に僕らの部活の空気を作り替えていった。
「何だろう……何か、窮屈なんだ。みんなおっかなびっくり吹いている気がする。上手く見せようとして、結果守りに入っている……そんな感じがするんだ」
合奏練習。長谷川先生は渋い顔をしながら、一言一句絞り出すように指導を入れた。
次の演奏機会は、小学生相手。
「みんな……楽しく吹けてる?」
水を打ったように静まり返った。
-♪-
『気にしなくてよくない?』
楽器経験者である、僕の幼馴染がいとも簡単に言い放った言葉。一定の説得力を持って放たれた言葉は『確かにその通り』だと僕に思わせた。
実際、そのスタンスは変わらない。結局なるようにしかならない。だからいっそのこと、開き直った方が気持ちが解き放たれて、出てくる音の雰囲気もきっとよくなると思うし、それが僕らの吹奏楽部の味ではないかとも思う。
けれど、『味がある』だけでは、コンクール上位入賞なんてできない。きっとあの人が求めているのは『厳しい練習に裏付けられた確かな技術』なのだと思うし、コンクールでもそれが一番求められる項目であると思う。
だってそうだ。コンクールに向けて手を抜いている部活なんてどこにもありゃしない。みんなそれぞれ違うけれど、みんな全部本気で頑張っているのだ。全部本気だからこそ、最終的な成績の差は絶対的な練度の差となってしまう。
そしてそれは、誰に教えられたわけでもないけれど……みんな知っていることだ。だから、みんな口には出さない。口に出すこと自体がよくないことのようにすら思える。
だから、こういうのは、タチが悪い。僕ら中学生にとって、理想的な正論というのは絶対なのだ。少しでもはみ出れば……疎外される。
そうなるのは分かってる。分かってしまっている。僕は必死に練習にのめり込んだ。内心、やっぱり『気にしなくてよくない?』ではあるんだけど……それがバレたら、異端になる。
『周りを気にしない』? そんなのは……結局、難しかった。実行できてたら、とうにやってることだった。
トランペットの音は、突き抜けない。
吹っ切れればいいんだけれど、それを許さない僕がいる。
もっと器用な人間なら良かったのにな。もっと単純な人間なら良かったのにな。
そうは思いながらも、僕はそうはなれない。それが僕という人間なのだから。
自らの可能性に絶望を一度見たけれども、それでも義務のように、呪いのように、一握りの天才を追い続けてしまう人間なのだから。
何か人の声が聞こえる。曖昧な声が聞こえる。分からないから、僕はトランペットを吹き続ける。まるで僕は死んでいる。
「……ゆーとくんっ!」
ブフォッ! 耳元で突然大声を出されたものだから、驚いて変な音を出力してしまった。
「びっくりした、なんだ
「ゆーとくんったら、ボクのことをずーっと無視するんですからっ……」
声を掛けてきたのは
「『周りを気にしない』って、そういう意味じゃないですからねっ。もう合奏練習の時間ですよっ」
「えっ? あ……ホントだ、もうこんな時間!」
「……ゆーとくん」
玲奈が心配そうに顔を覗き込む。あまり見たくない顔だ。玲奈をこんな表情にさせたのは僕であるということから、目をそむけたくなる。
「様子、変ですよ。いつもそうですけど、最近は悪い方向で変ですっ……」
「『いつもそう』は余計だけど。まあ……自覚はある」
「空気に飲まれてるんですか?」
まっすぐ核心を突いてきた。思わずうろたえてしまう。
「……まあ、そう」
「らしくないですねっ……ゆーとくんなら大丈夫ですっ。ボクがいますから。ボクがちゃんと、2ndでゆーとくんを支えますから」
本当は、玲奈はこうやって他の人を背負う人間というタイプじゃない。どちらかと言えば守られる側の人間だった。少なくとも僕と付き合う前はそうだった記憶がある。
けれども、今。沈んでいる僕のために、こうやって『自分に任せろ』と言ってくれている。
たったそれだけのこと。けれど、その『たったそれだけ』が僕にとってはこの上ない活力となる。
息を吸って、思い切りトランペットに空気を通した。マウスピースに当てた唇が震える音が拡声されて、強烈で輝かしい音が空き教室の中で響く。
「突然トランペットを吹いて、びっくりするじゃないですかっ……!」
「ちょっとスカっとしたかっただけ。悪い」
「もう……ふふっ。ゆーとくんの笑顔、見たかったですっ」
色白の頬にわずかに朱を混ぜながら、玲奈が柔らかく微笑みかけてきた。心臓が跳ねる。
「……行くよ、玲奈」
「はいっ」
「ありがとう」
「ボクはまだ何もしてないですよっ?」
二人で音楽室に向かう。僕の隣に一人、僕のことを第一に想ってくれる大切な人がいることがどんなに幸せなことか。
改めて、改めて……その小さくて大きな幸せを、心の奥底から噛みしめた。
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