62小節目 思っている以上に制限時間は無かった

『大丈夫だと思うよ、悠斗ゆうとは。時間をかけて、玲奈れなとちゃんと向き合ってくれると思うから。』

『ま、玲奈から告白してくれれば何か変わるかもしれないしさ。深く考えなくていいと思うよ?』


 昨日、相談に乗ってくれた幼馴染の声が脳裏で響く。時間はある。焦らなくていい。僕はそう思っていたし、実際普通はそうなんだろうと思う。


 でも、それが間違いだと気づかされるのが、こんなにも早かっただなんて。


 そう。結局、高野たかの|玲奈が僕に対して想いを口に出さずに終わってしまった、その翌日のこと。

 一つの事件は起きてしまった。


 西部地区研究発表会にて演奏する予定の曲、Awakenedアウェイクンドゥ Likeライク the Mornモーンの合奏練習の時。新卒1年目でありながら吹奏楽部の顧問についている長谷川はせがわ先生が指示をする。


「ええっと……20小節目から。トランペット、一人ずつお願いしていいかな」

「「はい」」


 一人ずつ、みんなの前で吹く。特別僕らトランペットパートが悪いことをした訳ではない。ただ単純に、先生が少し気になったから、とか、ここは特に大事な場所だから、というのを僕ら部員に教えるためにこういった指示をするだけのこと。

 吹奏楽部の合奏練習ではなんら特別でもない、よくある光景だ。


「特にアーティキュレーション――滑らかにスラーで吹くかタンギングで切って吹くかという、楽譜に書かれた音のニュアンスに気を付けて吹いてほしい。……それじゃあ、粕谷かすやさんから」

「はいっ」


 この曲における1stトランペットである2年生の粕谷かすや未瑠みる先輩。最後までしっかりハッキリと吹いたものの、やや音が雑だった。音が大きいのはいいものの、もう少し分かりやすく吹けないかとの指摘が飛ぶ。


 続いてもう一人の1stトランペット、僕の番。緊張しながらも何とか吹き切ったが……楽譜に書いてある指示通りに演奏できていない、と言われてしまった。楽譜の該当箇所に『アーティキュレーションしっかり』とメモを書き込む。


 ここからは2ndトランペット。3年生でこの部の部長であるやまかおる先輩。さすがは3年生で部長、完璧に吹き切ってみせた。何も言うことはない、と長谷川先生が手放しで褒めると、山先輩は分かりやすく頬を赤らめた。


 ここまでは良かった。何かしらの問題こそあれど、しっかりフレーズを吹き切ったからだ。

 ……そう。フレーズを吹き切れなかった人が、一人。


「それじゃあ次、高野さん」


 いや、フレーズを吹くまでに至らなかった人が、一人……だった。

 過呼吸になりながら、周囲をキョロキョロとせわしなく見渡す高野。誰がどう見ても、高野は明らかにパニックに陥っていた。

 いくら高野であっても、こんなことは前例がなかった。まだ楽器持ちたての頃に、わざわざ小さなコンサート形式にして僕ら新入部員がみんなの前でドレミファソラシドを吹いたことがあったが、その時の高野はパニックになることなく、しっかりと吹けていた。

 なのに、今は。


「あ……ぅ……」


 トランペットを構えようともせず、ただただ首を横に振っていた。


「高野さん、大丈夫? 具合が悪くなった……?」


 見かねた長谷川先生が心配そうに尋ねるも、高野の行動は何も変わらない。そして、高野に集中していた他の吹奏楽部員の視線が……なぜか、僕にちらほらと向き始めた。

 なぜか、ではないのかもしれない。高野が僕に猛アタックしているのは、もはや部に知れ渡っていたからだ。


見澤みさわくん」


 見かねた山先輩が僕に小さく言う。


「何ですか」

「玲奈ちゃんの所に行ってあげて。多分、見澤くんがいれば落ち着くと思うから」


 僕は山先輩の言うとおりにする。何せ、こんな高野を僕は見てられなかったし、その上僕自身もそうすれば高野が落ち着くと確信めいていたから。長谷川先生に、すみません、と一つ断りを入れて僕は高野の元へと向かった。


「ごめん、なさい……っ」


 すると、高野は今までの慌てぶりが嘘のように落ち着きを取り戻し――トランペットを構えた。ただ……出てきた音は高野らしくない、どっちつかずで何をしたいのかよく分からない音ではあったが……。


 まずい。僕は思った。

 僕が思っている以上に、高野を蝕んでいる恋の呪いは深刻らしい。


 一応この場は乗り切ったものの、高野が僕に依存しきってしまっているこの状況が続くのは非常にまずい。もしかしたら僕から告白して正式に付き合ってしまえば脱却できるのかもしれないけれども、残念なことに僕の高野に対しての気持ちはまだよく分からないままだ。そんな気持ちで付き合ったとしても、高野のためにも、僕のためにもならないことは分かり切っている。


 それじゃあ高野を突き放せばいい? そんなの出来ない。出来ようがない。そしたら高野が本当に消えてしまって、取り返しのつかないようなことになるかもしれない。冗談でも、誇張でもなく。

 今の高野は、既にそんな状態になってしまっているのだ。僕の行動一つで、高野の生死が簡単に操作できてしまう。確かに大げさかもしれないけれども、それが大げさでも何でもないと思ってしまうほどに……高野は、危うい。


 がんじがらめ。重い足かせ。背中に背負わされた鋼鉄のおもり。

 こうなったのは他でもない僕のせい。高野に呪いを不用意にかけてしまった僕のせい。

 あの時不安に駆られて不必要に後ろから抱きしめ続けた、僕のせい……。


 指揮台の上で、長谷川先生が難しい顔をして考えこむのが視界の端に映った。



-♪-



「見澤くん」


 練習終了後。相も変わらず高野にひっつかれている僕は、長谷川先生に呼び止められてしまった。


「はい。何でしょう……?」

「話がしたいな、と思って。……ああ、別に説教でもなんでもないんだ。ただ、今のキミの役に立つ話が出来るかもしれない」

「役に立つ話、ですか……?」

「まあ、本当に役に立つかどうかは、分からないんだけど。でも、今回は先生としてではなく、人生の先輩として話がしたくなっただけのことだから……」

「そう、ですか……?」


 どうやら怒られる話ではないらしい。僕はほっと胸をなでおろしながら、相変わらず僕にひっつく高野のことが気になってそちらを向いた。

 高野が不安そうに長谷川先生を見つめている。……少しでも僕の元から離れたくないのだろうか。


「……高野さんもついていく? 別に俺はいいんだけど」

「は、はいっ……」

「了解。それじゃあ、生徒指導室を借りて話をしよう。……あ、説教じゃないからね? 単にそこが生徒と込み入った話をするのにちょうどいい場所だから使うだけだから、安心してほしいな」


 僕の犯した罪に、高野の抱いてしまった重い想いに……色んな人に動いてくれている。色んな人が動いてしまっている。

 僕らは後ろめたさを感じながらも、長谷川先生に連れられて生徒指導室へと入っていった。

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