63小節目 人生の先輩からの助言

「普通、先生がこんなことしちゃいけないんだけどね……」


 そう言って、新卒の先生ながら吹奏楽部顧問についている長谷川はせがわ先生は頭をかいた。『こんなこと』というのは、僕と高野たかの玲奈れなとの関係に深く入ることなんだろう。

 確かに生徒の恋愛事情に先生が入るなんて、深く考えなくてもよろしくないことだ。しかし、今回ばかりは事情が違う。高野が明らかに『恋』という感情に振り回された結果、吹奏楽の練習に致命的な影響を及ぼしているからだ。


「先生は悪くありません。ボクが全部、悪いんですっ……ごめんなさいっ……」


 そう言いながらも、高野はやはり僕の元にひっついて離れようとしない。こうしなければいけない、という理性が、こうしたい、という強烈な恋愛本能に負けてしまっている。そんな状況がずっと続いてしまっている。


「ううん。そんなことはない」

「そんなことっ……!」

「なぜなら俺にも、似たような経験があるから」

「えっ……?」

「被害者側だけどね」


 あの、長谷川先生が? 難しい年頃の女子ばかり、しかも変人ばかりの吹奏楽部を上手く統率できている長谷川先生に、そんな経験が……?

 まるで、自らの身を削って話をするかのよう。僕はそう思ってしまった。


「俺は中学、高校と吹奏楽部に所属していたんだ。大学に入ってからは市民バンドをやりつつ、高校のOB・OGとして定期演奏会にゲスト出演していたりした。これから話す話はそこで起きた話――まだ大学1年生だった俺が、高校生にいきなり押しかけられた、っていう話なんだ」



-♪-



「長谷川先輩! 練習が終わったら一緒にご飯食べに行きませんか?」


 そうやって俺を誘ったのは、俺と同じパート……アルトサックスの後輩。当時は高校2年生だった。一応俺が高校3年生の時に高校1年生だった子だから面識はあったし、少しの間だったけれども直接指導もした。


「うん、いいよ。どうせなら俺がおごってあげようか?」

「そんな、悪いですよ。誘ったのは私ですし」

「ううん、俺は大学生でバイトもやってる。だから、俺がおごってあげる」


 その時は彼女の好意などに気づくはずもなかったし、何なら高校時代に知っていた後輩だったから……こんな感じで簡単に誘いに乗ってしまった訳なんだ。

 今振り返れば、多分この時に俺は彼女に必要以上に優しくしてしまったんだろうな。だから、彼女を不用意に恋に落としてしまった。


 それから、彼女は俺を見かけるなり、俺の気を惹こうと色々なことをやってくるようになってしまった。例えば……そうだな、合同練習のたびに「これ、食べて下さい」って弁当から貰ったり、不意に後ろから抱き着いてきたり……それはまだ可愛い方で。

 段々エスカレートしていくと、彼女にも学校があるのにも関わらず俺の大学まで押しかけにきたり、何回も何回も電話を掛けてきたり、家まで尾行されたり……そこまでくると、もう俺にも彼女にも制御不能、どうしようもなかったんだ。

 俺がやめてくれ、と言っても……彼女はもう、やめられなかった。中毒だったんだ。手遅れだったんだ……。


 結局、彼女は吹奏楽部どころか高校をも中退してしまい、挙句何もかも上手く行かないストレスから万引きに走ってしまい逮捕されてしまった。

 行き過ぎた恋愛感情が、学業に、そして精神にも影響をきたしすぎたんだ。


 俺は、彼女がその引き返せない地点に来る前にはっきりと想いを伝えてしまうべきだったんだよ。付き合うか、付き合わないか、そういう答えを先延ばしし続けることは、全然許されなかったんだ。

 けれども……まあ、当時の優しすぎる俺にはそれが出来なかった。実際にその子のことを嫌いだ、とは思えなかったからね。

 だから、あんな結末を迎えてしまった、という訳だ。


 ……今ではもう、彼女が何をやってるのか、どこにいるのかすらも、分からない。



-♪-



 まるで、今の僕と高野の関係が行きついてしまう終着点の一つ。最悪の、バッドエンド。

 僕は身体が動かなかった。何も喋れなかった。シリアスで重苦しく話す長谷川先生の話は、確かな説得力があった。


「ボクは、そんなこと絶対にしませんっ」


 長谷川先生が全てを話し終えた後、高野は伏し目がちにそう言った。けれども、長谷川先生は首を横に振る。


「そう思うよね。でも……そうじゃないんだ。恋愛というものは、チャンスのある片想いというものは……人の理性を簡単に支配してしまうものなんだ。誰にだって、その可能性はある。俺も思った。まさかあの子が……ってね」


 さらに、長谷川先生は話を続けた。


「……君たちは、中学3年生の先輩が急に自殺するのを想像したことがある?」


 衝撃が走る。今、このことを言うならば、つまり……。


「……俺は、あった。実際にね……」


 そういうこと、なのだ。長谷川先生は経験しているのだ。人間、誰が急に何をしてもおかしくないということを、長谷川先生は身をもって経験しているのだ。


「脅しに近くなってすまない。……今の話は秘密にしておいてほしい。ちょっとこの話を生徒に話したことがバレたら、正直まずいんだよね……」

「はい。……もちろんです」


 もしかしたら怒られるかもしれないリスクを冒してまで、過去の重すぎる体験談を僕らに語ってくれたんだ。絶対に、秘密にすると誓った。高野もしっかりとうなずく。


「それと。見澤くん」

「はい」


 内心びくりとした。説教ではない、と言っていたけれども、やはり怒られるのか……? と思った。

 しかし。長谷川先生は優しい口調で、僕を諭すように言った。


「付き合うか付き合わないかで悩んだ時は……『付き合いたくない訳じゃない』くらいの気持ちなら、付き合ってもいいと思うんだ。恋人ごっこ止まりでもいい。曖昧な気持ちなままでも構わない。

 もし上手くいかなくっても、世界は広い。色んな人がいる。学生時代には分からないかもしれないけれど、大人になれば急に実感できるようになる。

 それに、別れたらそれでおしまい、とも限らない。実際、別れた後に普通の友達として付き合いを続けているカップルを何組か見たことあるからね。疎遠になるかどうかは、その人たちの関係次第でしかないから。

 だから……失敗しても大丈夫。若いうちは当たって砕けろ。……結局、説教になっちゃったね」


『付き合いたくない訳じゃない』くらいの気持ちなら、付き合ってもいい。

 上手くいかなくても、世界は広い。

 別れたらそれでおしまい、とも限らない。


 失敗しても大丈夫。当たって砕けろ。

 ……長谷川先生の言葉は、僕の心の悩みを強烈に解きほぐしていった。

 先生からこんな、熱のこもったアドバイスを受けてしまったのなら、もう……僕の高野に対するスタンスが決まってしまったも同然じゃないか。


「俺の話はこれでおしまい。あとはきっと、二人で何とか出来ると思う。見澤くん、高野さん……信じてるよ」


 そして、長谷川先生は僕に生徒指導室の鍵を渡した。


「帰るときになったら、俺に返しに来てほしい。それじゃあね」


 長谷川先生は僕と高野を置いて、生徒指導室を後にした。……つまり、二人きりの空間を作ってくれたということになる。


 ……解決、しないとな。

 心に決めた答えを確かめて、僕は高野と向かい合った。

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