H そうして、ボクは生きている(玲奈√)
60小節目 世界の見方が変わった日
※2周目以降のお話です。
31小節目『激情は突然に』から派生します。
「っ……!」
「ひゃっ!?」
ボクが横断しようとした道路に、銀色のセダンが結構なスピードで通過していった。見澤くんがいなければ、ボクはこのセダンにはねられていたところだった。
「見澤……くん……っ……」
そのままボクは、見澤くんの身体に抱き留められたままだった。
目の前に唐突に突きつけられた死に、ボクは恐怖で動けなくって……それを知ってか知らずか、見澤くんはずっとボクを抱きしめ続けてくれた。
……だからボクは、見澤くんのことを急激に好きになっちゃった。
見澤くんの後ろに、できる限りついていきたいって思っちゃったんだ……。
こんなダメダメで、魅力のないボクだけど。
見澤くんとは絶対絶対ぜーったいに、釣り合わないようなボクなんだけど。
初めてはっきり抱いた『好き』っていう感情には、逆らえなかったんだ……。
ごめんなさいっ。こんなボクが、ゆーとくんのことを、好きになってしまって。
ボクの心で渦巻く罪悪感をよそに、『好き』という感情はどんどん膨張していってしまった。
-♪-
あの一件以来、僕と同じパートで、トランペットの同級生……
「……高野?」
「ごめんなさいっ……」
「いや、別にいいんだけど……」
「ご、ごめんなさいっ……」
「謝らなくていいんだけど……」
「ごめめんなしゃ……」
「パターン変えなくていいんだけど……」
高野が、やたら、僕に、ひっついてくる。特に部活が終わった後。
それこそ小学生時代によくおふざけでひっつけられた、ひっつき虫かっていうくらいにひっついてくる。
そして、その様子を見られてるのは……一番見られて欲しくない人物であり。
「おー、アッツアツじゃん見澤くん! 何かあった?」
「げっ、
「『げっ』とはなんだ『げっ』とは。拘束するよ?」
「それはやめてください」
粕谷
「いや、まあ。確かに色々あったんですけど」
「そういえば昨日一緒に居残り練習してたよね? 見澤くんが誘ったの?」
「あ、いや。確かにきっかけは俺かもしれないんですけど……」
「ボ、ボクが誘いましたっ!」
思い切って大きな声を出したのは高野だった。ちょっとびっくりした。
……耳がまで赤くなってるが。ああ、もう、分かりやすいったらありゃしないんだから……!
「なるほどなるほどー……そして一緒に帰って、プロポーズして、近所の公園のトイレで」
「それ以上はやめて下さい」
油断すると粕谷先輩はこうなる。拘束されるリスクを冒してでも断固として拒絶せねばならない。
「……?」
高野が不思議そうな顔をしている。本当、この先輩は悪影響を及ぼしかねない……。
「で、どうなのさ。実際」
「何がですか」
「だから、付き合ってるのかってこと。どっちから告白した? ハグは? キスは? その先は? 公園のトイレで」
「やめろ」
「はい……」
粕谷先輩があまりにアレなので睨みつけてしまった。それにしても、なんでこの先輩は公園のトイレが好きなのだろうか……。
「付き合ってはないですよ。ただ……まあ、高野がこうなった、ってだけで」
「……っ」
僕が言うと高野は離れるどころか、ますます僕にひっついてきた。恥ずかしがって離れると思いきや、である。
……そして、その様子を見て、粕谷先輩がニヤリと笑った。軽く頬を朱に染めながら。嫌な予感しかしない。
「ふーん……じゃあ、粕谷もくっついていいかな?」
「ちょっ!?」
そうだこの先輩こういうことをやってくるんだった! 逃げ場のない場所でマウスピースを洗わずにトランペット吹いてって言ってきたのは記憶に新しいし、入部したての僕に対して楽器に普通に欲情すると平然と言い放ってきた挙句、僕を拘束して楽器の性癖を語り出すヤバすぎる先輩なんだった……!
逃れようとしても案の定、いつの間にか両足首にピンク色のスカーフが巻かれていて逃げられない。当然粕谷先輩の仕業である。ああ、もう、このおかげで僕に変な噂が立ってしまう……!
「ダメですっ!」
「!?」
しかし、それを大声を張り上げて拒否したのは、他でもない高野だった。
「たとえ先輩でも、そんなこと、ダメ、ですっ……ご、ごめんなさいっ……!」
高野は顔を真っ赤にして、少し泣きそうな顔で粕谷先輩の前に立ちはだかった。さすがの粕谷先輩も、この高野の様子にはうろたえてしまったようで……素直に引き下がってくれた。
「ごめんね、ちょっとやりすぎちゃったね。粕谷、別に本気じゃないから……」
「ごめんなさいっ……」
「ううん。粕谷が悪い。そっか。……そっか。うん……」
粕谷先輩は高野の頭を安心させるようにぽんぽんと撫でながら、眉をハの字にして微妙な笑みを浮かべた。けなげな高野相手に、誰だって強くは出られない。
粕谷先輩は僕にしか聞こえないよう、小さな声で言ってくる。
「見澤くん」
「はい」
「玲奈ちゃんのこと、大事にしてね」
僕ももう、高野の好意を感じている。だから、粕谷先輩の問いに素直に答えた。というか、答えるしかないじゃん。こんなの。
「……分かりました」
「うん。信じてるよ」
粕谷先輩は僕に向かって笑ってくれた。……何だか、あんまり見たくないような、そんな笑顔な気がした。
でも、だからといって、僕が粕谷先輩に何が出来るかと言えば、何も出来なくって。今回ばかりは、ひたすら大人な粕谷先輩に心の中で感謝した。
「じゃあ、粕谷帰るから。また明日ね! あっ、公園のトイレの話期待してるからねー!」
「そんな話絶対にあり得ないので期待しないでください」
粕谷先輩はいつものペースに戻って、嵐のようにびゅーんと帰ってしまった。
――ちなみに、この日以降粕谷先輩の僕へのスキンシップはパタリと止んだ。
「……ゆーとくん」
残されたのは、僕と高野。高野は浮かない顔をして、僕の制服の裾をぎゅっと強く握り締めていた。
「俺たちも、帰るか?」
「え、えっと……練習してから帰りましょうっ」
「ん。付き合うよ」
「……ごめんなさいっ」
「何で謝るんだ?」
「だって……えっと、うんと……ごめんなさい……」
高野はひたすら謝りながらも、進んでトランペットを手に取る。何だかその行動が矛盾しているように思いながらも、僕にはその真意がよく分からない。
「えっと、ここの小節から……この、テンポで……」
高野が楽譜を指さしながら、チューナーに内蔵されている電子メトロノームの設定をいじっている。練習を主導するのは僕ではなく高野だった。高野から誘った手前、自分が仕切らなきゃ、という感じなのだろう。
高野の2ndの楽譜には、小さく細いボールペンの文字が所狭しとたくさん書いてあった。高野は楽器初心者ながら、一音一音の価値をしっかり考えて意図をハッキリ持ったうえで演奏するプレイヤーだ。同じく初心者である僕にも何となくそれが伝わるくらいの力を持っている。
だから、僕は高野と一緒に演奏するのが結構好きだったりする。
しかし。今日の高野は、何か音がよく分からなかった。確かにミスなく吹いてはいるけれども……何というか、上手く言えないけれども『らしくない』音だな、と隣で聴いてて感じていた。よく、分からないんだけど。ほんの少しの、差なんだけど。
「ごめんなさいっ……いつもの調子、出なくって……」
そして、高野自身もそれを感じているようだった。感じていながらも、ひたすら練習を主導する。一切合切僕にペースを握らせてこない。何だかこれでは、ちぐはぐだ。こんな調子では、救いの手を伸ばしようにも伸ばせない……。
高野は一体どうしたのだろう。少し考えて、何となく答えに行きついてしまう。
……ああ、もしかしたら僕のせいか……? あの時僕が自分の感情に任せて、不必要なほどに後ろから抱きしめ続けたから……高野が好意を抱いてしまって、それでどうしたらいいのか分からなくなってしまって……。
何だろう。そう考えると、本当に僕は高野を大事にしなきゃいけないんだな……と。重く思ってしまって。実際、そうかもしれなくて。もし僕が冷たくしたら、それこそ高野が消えていなくなるんじゃないかってくらいに思ってしまう。
『玲奈ちゃんのこと、大事にしてね』
粕谷先輩の言葉が蘇った。脳裏で響くその言葉が、とても重く聞こえた。
ああ、僕は、もう逃げられないな。
目の前の高野に、逃げることなく向き合わなきゃな……。
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