fine夢佳√ "book"

「全部だ」

「はい?」

「昨日のアイツの妄言、全部忘れろ」

「……そんな無茶な」

「忘れろと誓えバカ見澤みさわッ!」

「は、はい……!」


 ……なんてキャラ崩壊甚だしいやり取りがあったけど、何とか越阪部おさかべの機嫌は取り戻し。3人の日常は無事に帰ってきた。

 帰ってきた……のだが。


『たくさん、許してもらうことにするよ。ありのままの私を、ね。……それくらい、夢を見たって構わないだろう?』


 あの時の越阪部の笑顔。何度でも何度でも思い返される。心音ここねと一緒に帰っているときでさえ、脳裏に浮かんでは邪魔をしてくる。

 ……おまけに。


悠斗ゆうとさ、夢佳ゆめかのこと好きでしょ」

「はいぃ!?」


 ある日、ドンピシャで心音に見抜かれてしまった。


「え? 図星?」

「図星じゃないから」

「ふーん……なるほどー……?」

「ニヤニヤすんな気持ちが悪い」

「え、悠斗っていつの間に女子に向かって気持ち悪いとか言うようになったの? 失望しちゃった……」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬ」


 本当に好きかどうかはともかくとして、僕の中における越阪部のウェイトが膨張しているというのは、目を背けることができない事実となっていて。


 ……今まで通りに越阪部と相対することは不可能に近かった。

 日常を取り戻す過程で、僕は越阪部の知らなかった一面を知って、それで……完全な元通りの関係に戻るということは、とても難しいものになってしまった。

 ほかならぬ、僕の暴走した感情のせいで。


「で? ほんとのとこどうなの?」

「分かんない」

「え?」

「分かんない。けど……越阪部のことを意識しているのはホントだよ」

「ふーん……? 何かあったの?」

「何かあったけど、それは教えない」

「えー?」

「照れくさいんだって察しろよ!」

「分かった分かった。察します」


 そんな僕の悩みなどつゆ知らず、心音は言う。


「まあでも、告白してみたら? 一回さ」


 そんな他人事のような……とは言えない。言葉からにじみ出る感じから分かる。この言葉に関しては、心音は真面目なんだって。


「……好きかどうか、分かんないのに、か?」

「でも、少なくとも今までのようには見れなくなってきてるんだよね?」

「そりゃそうだけどさ……」

「そのことを言えばいいと思うんだよ。夢佳には本心を伝えたっていいと思う。ウチが保証する」

「……」


 少し前のこと……『翔空』を演奏した前日にあった、越阪部とのやり取りを思い出す。

 あの時、越阪部はゴシップになってることを伝えるついでに『恋が分からない』と僕に伝えてきた。『友人以上の好意というものがよく分からない』と。2人きりにしておいて、告白でも何でもない、たったそれだけの話を僕に伝えた。


「大丈夫だよ。ウチがいる限り、悠斗と夢佳の関係は遠くならないから」

「……そっか」


 もし振られたとしても、心音がいる。共通の親友である心音がいてしまう。

 心音が、僕と越阪部のことを繋いでくれる。3人の日常は変わらない。


「だからさ。明日思い切って言ってみたら? すっきりすると思うよ」


 僕は息を大きく吐いて、意を込めてゆっくり頷いた。

 逃げ場がなくなった気がした。




--♪--




 昼休みが来た。僕は越阪部を探しに教室へと向かうと、廊下で歩いている越阪部を前に見かけた。


「越阪部」

「見澤」


 越阪部の姿を見かけた時、ほぼ同時にお互い声を掛けてしまった。


「あはは……何だかお互いに用事があったっぽいな?」

「だな。……それじゃあ、見澤の用件から聞くよ」


 僕は少し間をおいてから話した。


「……今から、音楽準備室に来てほしい」

「っ……それって、練習……か?」

「違う。……ちょっと、伝えたいことがあって」

「……わかった」


 察したの、だろうか。越阪部は緊張がちに小さくうなずいた。


 僕と越阪部は音楽準備室の鍵を職員室から借りて、その場所に向かった。


「……鍵、閉じていいか?」

「もちろん」


 あの時は越阪部が閉めた鍵を、今度は僕が閉める。そして、僕と越阪部はあまり広くない音楽準備室の真ん中で二人向き合った。

 距離は、2m。


「今から言うことは、変な事だと思う。でも、聞いてほしい」

「……ああ」


 お腹の奥から何かじわじわと押し上げてくるような力を感じる。息が詰まるような感覚。心臓が痛いくらいに早く打つ。

 違うんだ。これは『好き』という感情ではない。緊張の感情でしかない。けれども……それと何だか似ている、と思ってしまう。『好き』を知らない癖して。

 でも、違うんだ。分からないんだ。まだ、僕には分からないんだ。錯覚してはいけない。混同してはいけない。絶対に。


 だから、当初伝える予定だったものをしっかり伝える。


「はっきりと言う。俺は、越阪部のことを……多分、異性として意識するようになってる」

「……それって」

「分からない。好きなのかどうかっていうのは、分からない。けれども、何かを強く意識してしまってる俺がいるんだ。越阪部といると、時折、挙動不審が顔を見せてくる。正体不明の感情が勝手にわき上がってきて、僕の心を半分支配してしまう」


 ……自分で言っていて思った。これは、恋をしている人のセリフなのではないか? でも。でも、違う、違うんだ。そうじゃないんだ。小さい頃からテレビで見せられて、意識せずとも入ってきて、そんな理想で作られているフィクションで無理やり覚えてしまった恋とは、本質が絶対違う気がするんだ。だから、軌道修正をしなくては。軌道修正をしなくては……。


「でも……分からないんだ。というか、怖いんだよな、恋愛というものが。ちょうどよかった距離を、踏み込んで、押しつぶして破壊するような感じがするんだ。……だから、これが『好き』という感情かどうかは分からない、という風にしている、かも……しれない……」

「……それってさ」


 混乱しながらも言葉を必死に繋いでいたところを、越阪部が遮った。


「私のことが、好きってことじゃないのか……?」

「……」


 越阪部の顔は真っ赤に染まっていた。真っ赤に染まっていながらも、客観的な意見をぶっこんできた。僕は返す言葉が見つからず、ただただ顔に熱が集まるのを無抵抗に感じているだけだった。

 否定したい。けれども、否定しちゃいけない気がする。いや、『気がする』じゃない。絶対に、否定しちゃいけない。

 否定したら、それこそ全部が終わる。


「……私は」


 越阪部の足が、僕に半歩すっと近づいた。


「私は……というか、私も……見澤と、同じことをずっと考えていたのかもしれない」

「越阪部……」

「実は私も……見澤と話しているうちに、何かそういうものを感じるようになってきていた。それをひた隠しにしたくて……ちょっと反抗的になったり、見澤をからかってみたり……ああ、子供っぽいな私。はは……」


 越阪部は一旦目を逸らした。僕も越阪部の目線を追った。吹奏楽部の歴史がぎっしり詰まった楽譜棚。クラシックやポップス、メドレー等……ジャンル別や出版社別に分けられ、整理されている。

 今の僕らの心とは、正反対だ。


「心音に言われたんだ。見澤のことが好きなんじゃないか、って」

「越阪部もか!?」


 心音はどうやら越阪部にも同じことを話していたらしい。道理で、『大丈夫だよ』と自信満々に背中を押されたわけだ……。


「え、見澤もなのか!? ……何だか恥ずかしいな。全部見通されてたってわけか」

「だな……あーあ。心音には、敵わないや」


 二人で顔を見合わせて笑った。呪縛のようにまとわりついていた緊張がほぐれ、身体から落ちていく気がした。

 今なら、素直に言いたいことを、言える気がする。


「……越阪部」

「うん」

「やっぱ、まだ分かんないままなんだよな。自分の中じゃ、何が『好き』で何が『恋愛』なのか。心音に焚き付けられて勘違いしそうになってるだけなのかもしれない」

「私も。その勘違いに気づかないで、勢いで好きだと伝えてしまって。振られてしまって今の関係が消えるのも怖いし……もしそのまま付き合ったとしても、勘違いだった、って分かるときが来てしまうかもしれない」

「そう。俺らはそれが怖いから、恋愛というものを意識して遠ざけて、逃げて……」

「……でも、結局私たちは逃げ切れなかった。こんなことに、なってしまってる。心音のせいで」


 最後の『心音のせい』で、越阪部はくすり、と笑った。


「俺の早とちりなら悪いんだけど。多分、俺がもし付き合ってくれ、と言えば越阪部はOKするんだろ?」

「……それは、まあ、そうだな。そうしなければ、見澤と離れてしまうし、可能性が潰れてしまうからな」

「そっか。……でも、俺はまだ、その関係に至るにはちょっと怖い」

「私も。やっぱりまだ早いと思うんだ。私と見澤が出会った時期的にも、私たちの心の成長的にも」


 結局、どんなに背伸びしたって、元の身長は変わらないし、中身も当然変わらない。今まで生きてきた歴史以上のものが突然湧いて出てくるなんてこともない。

 大人になろうたって、子供は子供なのだ。だから、僕らはこうする。


「そう。だから……お互いその時が来るまで、予約しておこう」


 越阪部と話して、伝えて……出てきた最終結論。


「あはは、了解。心音に浮気するなよ?」

「分かってるって」


 大人に近づいているけれども、大人にはなりきれることない、子供の僕ら。

 これは、そんな中途半端な僕らが結論付けた、二人の今のかたち。


 僕と越阪部は、『恋人予約』をしました。




 (D.C.)

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