愛を辿りて、君を識る

佐藤けいき

第1話 

 FMラジオから流れてきた音楽に、おれは耳を傾けた。バンジョーの独特なイントロ、それに続く艶っぽい歌声。歌声の主であるフラン・ヒーリィは哀愁を孕(はら)んだその声でひとつの言葉を執拗に繰り返す。


 ――sing、sing、sing、sing


その歌声に触発されたわけではないだろうが、三トントラックの通風口に取りつけられたドリンクホルダーの上で、客からの差し入れとして貰った缶コーヒーが弾んだ。


 ――sing、sing、sing、sing


 おれは彼女が歌う姿を思い出さずにはいられなかった。

 小さなライブハウスのステージの上で、ギルドのアコースティックギターを抱えながら歌っていた彼女の姿を。

 残念なことに、その姿はもう記憶のなかでしか蘇ることはない。なぜなら、彼女はもう此岸の住人ではないからだ。


 最愛の女性、守千亜(もりちあ)が死んでからすでに二週間が経(た)っていた。

 おれは一生、彼女が死んだ日を忘れることはないだろう。

 西暦二〇〇二年、八月二〇日。


 彼女の生命に終止符をうった人間はいまだに逮捕されていない。 

 最初に彼女の訃報を聞いたときには実感が湧かず、おれはわりと冷静だった。しかし、時間が経ち、彼女との日々を思い返すうちに、おれの身体の中心部から徐々(じよじよ)に昂ぶるものが込み上げてきた。

 このままじっとしてはいられない。彼女のために出来ることをしなければならない。おれはそう考えるようになっていた。それが酷く無様で、不恰好(ぶかつこう)なことだとしても。

 

 そして、おれは今夜それを実行する。

 ――復讐。


「女の子のひとり暮らしだから楽勝だと思って舐(な)めてたのが悪かったなあ。勿体(もつたい)ない精神ってやつなのかねえ、やけに物が多かったよな、あの部屋」

 牛革を纏(まと)ったハンドルを握る曽山(そやま)さんが、野太い声でそう言った。

「そうですね。ゴミが多くて鼠の死骸まで転がってましたからね。部屋もカビ臭かったし、最悪ですよ」

 おれの返答に頷くと、今日の現場を思い返したのか、曽山さんが巨軀(きよく)を揺らして笑いはじめた。運転席に坐る曽山さんのポロシャツは、でっぷりとした腹にぴっちりと張りついている。その太い首には、一日の汗が大量に染みこんだタオルが巻かれているが、今は涼しい顔をしている。それは最近修理をしてすこぶる調子が良くなったエアコンが放つ冷気のおかげだ。


 FMラジオからはすでにフラン・ヒーリィの声はうしなわれていた。その代わりに、小林克也(こばやしかつや)の声が飛んでいる。相変わらず長丁場お疲れ様です、と何時間も一瀉千里(いつしやせんり)に語り続けるそのラジオDJを、おれは心のなかで讃えた。


「おい穂高(ほだか)、このあと一杯どうだ? 駅裏に微妙なルックスのお姉ちゃんしかいないスナックを見つけたんだよ。ママをはじめ、よくここまで微妙なのを集めたなって感じで笑えるぜ。店の名前もまた微妙でさあ、『平々凡々(へいへいぼんぼん)』っていうんだよ」

 そのネーミングセンスに微笑しながら、今日はやめときます、とおれが答えると、曽山さんは、なんだよお、つれねえなあ、と寂しそうにつぶやいた。


 曽山さんはおれよりもふたまわり以上年上だったが、親友のような存在だった。もちろん、仕事先の先輩、いや師匠だし、父であり、兄のような感じでもある。その曽山さんと一緒に仕事をするのも今日が最後になると思うと、感慨深いものが込み上げてくる。知り合ってまだ半年も経っていないというのに。


「腰痛を悪化させて引退なんてことにならないように、くれぐれも気をつけて仕事をしてくださいよ」

 思わず本音がこぼれた。曽山さんはおれを一瞥すると、顔をしかめた。

「なんだよ、気持ち悪いな。お前そんなこと言うキャラじゃねえだろうに」

そうだな、確かにそうだと思いながら、おれは苦笑した。でも今日はそれぐらいのことは言わせてほしい。約半年間の感謝の代わりに。


 マイルドセブンの一本を手に取り、一息入れると、曽山さんが卑しい笑みを浮かべた。

「お前、まさか性病にでもなったか」

 今日の任務を終えた三トントラックは、『坂巻(さかまき)引っ越しセンター』の車庫に向かって一目散に駆けてゆく。

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