ペンダント

マツダシバコ

ペンダント

 彼と彼女が知り合ったのは、山の峠だった。

 山といっても単に坂のことなのだが、その坂があまりに長くて大きいので、町の人たちはみんな「山」と呼んでいた。

 彼は山を下るところ、彼女はもう少しで頂上に到着というタイミングだった。

 すれ違いざまに彼らは目が合った。

 ただそれだけのことで彼らは意気投合し、一緒に暮らすことになった。

 彼女の住むアパートの部屋に、彼が転がり込んだのだ。

 一緒に住んでいるあいだ、彼は彼女のさまざまな物を盗み続けた。

 彼女は勤めをしていて家にいない時間が多かったし、彼は無職で家にいる時間が多かったからだ。

 しかし、そんなことは言い訳にならない。

 普通の人間は他人の物を盗んだりしない。

 彼には実は盗癖があった。

 目についたものをいつの間にかポケットに入れてしまうのだ。

 盗みをしてしまったことに気付くと、彼は罪悪感に苛まれる。

 慌てて元にあった場所に戻すこともあれば、タイミングが悪くて返せないこともあった。

 盗品はどれもささやかなものだ。

 そもそも彼女の部屋には高価なものなど存在しなかった。

 彼女は生真面目で、堅実で清楚な生活を送っていた。

 それなのに、どうして彼のようなノラ犬を家にあげてしまったのかわからない。

 それが運命というものだ。

 彼は彼女のことがとても好きだった。

 だからせめてもの誠意として、彼は小まめにポケットの中身をチェックした。

 たとえ盗みを働いたとしても、すぐに元の場所に戻せるようにだ。


 ある日、彼女は彼にペンダントを見せた。

 「どう?似合うかしら?」

 彼女はペンダントを自分の首に下げると言った。

 「素敵だよ」彼は言った。

 そのペンダントは本当に素敵なのだ。

 涙型をしていて、大ぶりで、とても不思議な色に光るのだ。

 「おばあ様の使っていたものをリメイクしたのよ」彼女は言った。

 彼女の祖母は数ヶ月前に亡くなっており、彼女はそれを形見として譲り受けたのだ。

 「君の宝物だね」彼は言った。

 「お守りよ」彼女は言った。

 彼はそのペンダントだけは絶対に盗んだりしないよう心に誓った。

 

 彼女はいつもそのペンダントを身につけていた。

 ペンダントを盗まなくて済むので、彼も安心だった。

 彼と彼女はうまくいっていた。

 彼女のちょっとした小物が見当たらなくなる以外は問題はなかった。

 彼女の給料日には、山の向こうのレストランに行って二人で食事をした。

 「ところであの日、山の向こうに何をしに行っていたの?」

 彼女が彼に尋ねた。

 彼らの白い皿には細長い形をしたステーキがのっていた。

 それにクレソン。真っ白いマッシュポテト。

 彼女が好みそうなシンプルな盛り付けだった。

 店の様子も接客もそれに準じていた。

 彼女は少しお洒落をして、髪をアップにまとめていた。

 ワンピースの胸元にはペンダントが光っていた。

 「何だったかな。知り合いのお見舞いに行ったんだと思うよ。確か」

 彼は頭に思いついた適当なことを言った。

 「山の上の病院に?」彼女が言った。

 「ああ、そうだ。そうだった」僕は言った。

 「おばあ様の知り合いかしら。何という方?あの病院は紹介がないと入院できないのよ」

 「さあ、なんて言う名前だったかな。実は僕の直接の知り合いじゃなくてね。僕もおばあさんに頼まれて、代理でお見舞いに行ったんだ」

 しどろもどろだったが、何とか乗り切ったようだった。

 彼女は納得したように頷いた。

 

 彼女と知り合ったあの日、彼は山の向こうで盗みに入る家を物色していたのだ。

 山の上にはお金持ちの家がたくさんあった。

 奇しくも、彼が盗みを働くために選んだ家は、彼女の祖母の家だった。

 ところが、玄関のドアノブに手をかけようとしたところで、中から転がり出てきた男とぶつかったのだ。

 それで何となく戦意喪失し、その日は盗みをしないで引き上げることにした。

 その道の途中で出会ったのが彼女だった。

 「あばあさんは気の毒だったね」彼は言った。

 彼女は何も言わず、静かに涙を流した。

 祖母を失った彼女の心の傷はまだ癒えていなかった。

 あの日、彼女は祖母の家に向かおうとしていた。

 しかし、途中ですれ違った男に心を奪われてしまったのだ。

 「もしも、私がちゃんとおばあ様の家に行っていれば」と、彼女は何度そのことを繰り返し考えただろう。

 どのみち、祖母は殺された後で、彼女にはどうにもできなかったのだ。

 彼女にもそれはわかっていた。でも、やっぱり彼女は自分を責めてしまった。

 彼の存在は彼女にとって、そんな辛い事件を思い出させるきっかけでもあり、心の支えでもあった。

 彼は彼女の胸元に光るペンダントを見ていた。

 もしかしたら、彼女のおばあさんを殺して、このペンダントを盗んでいたのは自分だったのかもしれない。

 そう思うと、彼はゾッとした。

 そして、そうならずに済んだことを彼は幸運に思っていた。

 

 食事が済むと、彼らは山のふもとにある彼女の部屋に戻った。

 彼女の祖母の家から比べると、彼女の部屋はとても質素だった。

 彼はそのことを好ましく思った。

 理由はないが、彼はもともと金持ちが好きではなかった。

 彼女はペンダントを外し、バスルームに入っていった。

 彼はテーブルの上に置かれたペンダントを何気なくつまみ上げた。

 涙型の宝石がきらりと光ると、次の瞬間、ペンダントは彼の手から消えた。

 まるで手品のようだった。

 彼は慌ててポケットの中に手を入れた。

 しかし、どこのポケットにもペンダントは入っていなかった。

 僕は着ていた服を全部脱いで、逆さにして振ってみた。

 でも、やはりペンダントは出てこなかった。

 そこに風呂から上がってきた彼女が戻ってきた。

 キッチンで真っ裸になって慌てている彼を見て、彼女は驚いたように目を見開いて、そして笑った。

 しかし、ペンダントが失くなったことを知ると、彼女は悲しんだ。

 もう一度、二人で探し回ったが、それでもやはりペンダントは見つからなかった。

 彼女は彼を責めなかった。 

 これ以上、誰かを失うのが嫌だったのかもしれない。

 「こんなに探しても見つからないのだから、きっと本当に消えてしまったのね。あきらめましょう」彼女は言った。

 彼は何とも言えない気分だった。

 

 しばらくして彼は仕事をはじめた。

 盗みのことではない。

 近所の雑貨屋で店員として雇われたのだ。

 彼は最初のうち、自分を警戒していた。

 店の商品に手をつけたりしたらコトだ。

 彼はこれまでもそのことで何度も失敗している。

 真面目に働こうにも、例の悪い癖が出れば、クビになるか警察に突き出されるのがオチだ。

 結局、彼には盗みの道しか残されていなかった。

 しかし、今回ばかりは失敗したくなかった。

 彼は働いて貯めた金で彼女に代わりのペンダントをプレゼントしようと考えていた。

 そして、彼女にプロポーズをするのだ。

 彼がずっと夢見ていたのは、平凡な普通の幸せだった。

 

 彼が勤めはじめてから3ヶ月が経った。

 彼の仕事は珍しく長続きしていた。

 それは彼が心を入れ替えて努力した結果ではない。

 店のオーナーの目がふし穴なだけだ。

 目の前の商品がなくなってもまるで気付かないのだ。

 最初はこっそりと。

 しかし、彼の行動は次第に大胆になっていった。

 「まったく金持ちってやつは、これで商売をやってる気でいるんだから」

 そう悪態をついて彼は、ポケットに好きなだけ商品を押し込んだ。

 盗品は半分は売りさばいて金に換え、半分は彼女にプレゼントした。

 彼女はよろこんだ。

 けれど、同時に不安にも思っていた。

 アルバイトでこんなに高価なプレゼントが買えるとは思えないのだ。

 けれど、彼女は結局、そのことを口には出さなかった。


 ある夜、彼女は泣きながら帰ってきた。 

 訳を聞くと、彼女のつけていたネックレスが盗品だと言われた、というのだ。

 彼はぞっとした。

 「誰がそんなことを言ったんだ?」僕は彼女を問い詰めた。

 「あなたが働いている店のオーナーよ。さっき道でばったり会ったの」

 彼はカアッと頭に血が上って、部屋を飛び出した。

 そのまま山を駆け上がると、雑貨屋に向かった。

 ショーウィンドウのガラスを蹴破って店の中に入り、オーナーの名前を呼んだ。

 オーナーは怯えながら店の奥から出てきた。

 「僕の恋人に盗品のネックレスをつけてると言ったな?」

 オーナーはかぶりを振った。

 「嘘をつけ!どうして彼女にひどいことを言う?どうして僕に言わない?」

 彼はオーナーの胸ぐらを掴み、揺さぶった。

 その時、オーナーの首にチェーンが掛かっているのが見えた。

 彼はチェーンをたぐり寄せた。

 シャツの襟元から出てきたのは、涙型の大きなペンダントだった。

 「どうして、お前がこれを持っている」

 彼はさらにオーナーの襟元を締め上げた。

 「お、お守りだよ」

 オーナーは声を詰まらせて言った。

 「盗んだんだな?この盗人め!」

 「盗人はお前じゃないか」

 「なにを?」

 彼はカッときて、近くに飾ってあった置物でオーナーの頭を叩き割って、殺してしまった。

 

 彼は一目散に坂を駆け下りた。

 一刻も早く彼女の顔が見たかった。

 ポケットには取り返したペンダントが入っていた。

 「どうしたの?何があったの?」

 彼女は蒼白した彼の顔を見て言った。

 彼は無理やり笑顔を作った。

 彼女の手を握りたかったけれど、彼はそうしてはいけない気がした。

 彼の手はたった今、人を殺してきたばかりだった。

 急に彼女が遠い存在になってしまったように彼は感じた。

 「ねえ、君がおばあさんからもらったペンダントだけどね。同じものを他の人間が持っていることなんてあるかい?」

 彼の声は震えていた。

 「あると思うわ」彼女は慎重に答えた。「あのペンダントは山から発掘された石で作ったもので、この町に長く住んでいる人なら、お守りとしてみんな持っているわ」 

 それを聞いて彼は納得した。

 やはり自分はどうしようもない人間なのだ。

 だからこそペンダントは、彼から彼女を守るために消えたのに違いなかった。

 「ねえ。仮に何事も起こらなかったとして、僕がプロポーズをしたら、君はそれを受けてくれたかい?」

 彼はポケットの中でペンダントを握りしめた。

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ペンダント マツダシバコ @shibaco_3

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