第8話 万年様の術

「え? 僕が人間にですか? なれるんですか?」

「わしはな、時々人間に化けてその辺を歩いておる」万年様が意味ありげに笑った。

「実はお前ともすれ違ったことがあるのだぞ。覚えてはおらぬか? 公園で煮干しをあげたじじいを」


「ああっ!」

確かに公園で煮干しをもらったことがある。公園でもらえるのはお弁当のおかずの切れ端とかサンドイッチのハムの切れ端とかなのに、煮干しをくれた人がいて、すごくよく覚えている。


基本僕たちは生食なましょくなので、取り立てて煮干しがうれしいというわけでもないけれど。


「あのときは、ありがとうございました!」僕は地面に鼻先がつきそうなぐらい勢いよく頭を下げた。万年様にすでに会っていたのか。それも施しを受けていたのか。僕は感動していた。


「いやなに、礼にはおよばん。そのとなりで柿ピーを食っておった禿おやじじゃからの」

下げて損した気がする。


僕は万年様が分からなくなってきた。でも、少しづつ好きになってゆく。これが、おばば様が言っていた威光なのか!


「その術を授けていただけるのですか?」

「授けるのではない。施すのだ。あ……お前、俺の跡継ぎになるか?」

「跡継ぎ、ですか?」

「ああ、候補はいるのだが、当人には言っていない、だから可能だぞ。だったら授ける。さすればいつでも自由に使える」

「本当ですか?!」

「ああ、本当だ。だがな、わし亡き後、万年生きねばならぬのだぞ」


万年生きる……。


涼音さんが死んでも僕は生きる。その残り香が僕の周りからすべて消え失せても僕は生きる。そんなことに耐えられるだろうか。


千年おばば様が死んでも、僕は生きる。千年も万年も。


「いや、それは……できません。とても無理です」僕は身震いをした。


「うん、そうじゃろう。万年生きるとはな、孤独を背負うことじゃ。周りから見知った者たちがどんどんと消えてゆく。泡のように生まれては消えてゆく。わしはな、ばばが生まれたころのことをよく覚えておる。つい昨日のことのようにな。それはそれは愛らしい仔猫じゃった。万年生きるとは、そういうことじゃ」

万年様は遠い目をした。


「ばば」

「ふぁい」いつも間にやらばば様は、万年様の食事を食べていた。

「構わん、ゆっくり喰え。慌てるとのどに詰まるぞ。ところでお前は何年生きた」

「それはもう、忘れました」少し恥ずかしそうにばば様は答えた。


「うん、それはそうじゃな。わしもじゃ」

「でも、死ぬときは……その時期を悟れたら、万年様のそばに参りたいと思います」

「うむ。わしもばばより長生きをしたいと思っておる……お前が寂しがらぬようにな」


ばば様はまたも恥ずかしそうに俯いた。


僕が生まれるずっと前、涼音さんが生まれるよりもさらに前、おばば様と万年様は恋をしていたのではないか、そんなことを、僕はふと思った。


「万年様、人間になったら僕は何と名乗ればよいのでしょう」

「ばば、今は何月じゃ」

「七月です」水を飲んでいたばば様が顔を上げた。


「ふむ、では、七夜月と名乗れ」

「ななよづき、ですか」

「七夕のある月という意味で七月のことじゃ。三月でなくてよかったな、すごく不似合いで、そうとう照れくさい弥生やよいちゃんになるところだった。さあ、そこに座れ」


示された場所に僕は座った。そこは日の射す場所だった。見上げるとツツジの葉に囲まれた空が見えた。

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