最終話 けものはいてものけものはいない
「グ、アアアアアッ!!」
「ぐぅっ……!」
「しぶ、とい……!」
セルリアンは全て破壊し尽くされ、もはや増援もありません。ゆえにこそ残った二者、ビーストとフレンズ達との戦いは続いており、それは佳境を迎えていました。
ビーストは未だに紫の瘴気……いえ、サンドスター・ロウを体から立ち昇らせていますが、その勢いは明らかに弱まっています。セルリアンが消えた事で補給が出来なくなったためです。またビーストは常に野生解放をしているような状態なので、消耗が激しい事も大きく影響しています。
かといって、フレンズ達が勝てるかと言えばそれは否です。戦闘が長期に及んだ事で、フレンズの大半はスタミナ切れを起こしてダウンしています。そうでないフレンズも、弱っているとは言え依然強力なビーストに対抗するには力不足で、後ろから見守るばかりとなってしまっています。
今戦えているのは、ヒグマ、ヘラジカ、ライオン、そしてサーバルの僅か四名。それも皆、体力もサンドスターも底をつきようとしており、お世辞にも余裕があるとは言えない状態です。ビーストがサンドスター・ロウの補給が出来なくなっても、フレンズがサンドスターの補給が出来るようになった訳ではないのです。
「くっ、そ!」
「ヴァオァッ!」
「もう、すこしなのに……!」
サーバルが言うように、もう少しです。あと一歩、何かがあれば押し切れます。フレンズ達は疲労していますが、ビーストもまた疲労しているはずなのです。
「ヒグマ、さん……わた、しも……!」
そんな様子を見たキンシコウが、棒を杖のようにして立ち上がろうとしています。確かにハンターとして戦闘に長けた彼女が加勢すれば、“あと一押し”となる可能性は低くありません。普段通りの状態だったならば、ですが。
「ちょ、ダメですよ先輩! まだ休んでないと!」
「リカオ、ンさ、ん……でも……!」
それが分かっているリカオンは慌てて止めますが、キンシコウは止まりません。泥のように重い身体をどうにか動かし、戦場へと行こうとします。リカオンは腕を掴んで止めようとしますが、自身の疲労を忘れていた事が災いし、砂浜にべちゃりと転げました。
「行か、なきゃ……」
「行っちゃダメです!」
キンシコウはそんなリカオンに一瞥もくれる事なく、幽鬼のように進みます。そしてその彼女の胴体に、かばんが後ろから抱き着いて引き止めます。キンシコウは重い体で振り払おうとしますが、叫ぶようなかばんの声で足を止めました。
「誰も、誰も犠牲になっちゃダメなんです!」
「かばん、さん……」
「今みんなは、あの子を助けるために戦ってくれています。なら、誰かが大怪我をしたり、いなくなったりするのは絶対にダメです!」
「…………それを、あなたが言います?」
「僕だから言うんです! とにかく、絶対ダメです!」
以前の事を引き合いに出しますが、かばんは全く引き下がりません。彼女はあの頃と比べると、精神的に成長しているのです。弱々しくちっぽけな芽が、強くしなやかな若木に育つように。
「……」
そんなかばんを見つめるキンシコウは、彼女の言葉を自身の中で咀嚼していました。
キンシコウは考えます。重い身体を引きずって、それでも戦線に出た自分が、もしも死ぬか元の動物に戻ってしまったら。同僚のリカオンは悲しむでしょう。ヒグマも表面上は冷静に振る舞うでしょうが、内心では自分自身を責めて落ち込むのは目に見えています。
「…………」
そして、自らのお腹にすがりつく、このひ弱で奇妙な、でも心優しいフレンズも、また。
「………………はぁ」
キンシコウはかばんを見下ろし大きく息をつくと、砂浜にぺたんと座り込みました。
「……どのみち、今の状態では足手纏いに、なりかねませんしね」
「! キンシコウさん!」
「信じます。ヒグマさんを。そして、あなたを」
「ぇ……」
「ビーストを、フレンズに変えられるので、しょう? 期待、してるわよ」
最後の一言だけは普段の敬語をやめ、茶目っ気と共にウインクしてみせます。意外な行動にかばんは一瞬あっけにとられましたが、瞳に力を
「キンシコウさん……。……はい、必ず!」
キンシコウはかばんに微笑を向けると、どこか遠い目で祈るように戦場を見つめ、かばんも同じ方向を見やります。その表情には、ヒグマへの信頼と心配が等分に宿っていました。
「サーバルちゃん……」
かばんはセルリアン相手では後ろから指示を出す事もありましたが、ビースト相手ではそんな余裕はほぼ存在しません。フレンズもビーストも動きが鈍ってはいますが、それでもかばんでは追いつけない、目まぐるしい速度の戦闘が繰り広げられているのです。
火による援護は可能と言えば可能ですが、フレンズにも悪影響が出るかもしれないので、軽々には行えません。理性では大丈夫だと分かっていても、いきなり火が至近距離に現れれば、びくりと体が一瞬固まる事があるのです。それはあまり火を恐れないヒグマであってもです。本能には抗いがたいものなのです。
「グアッ!!」
「こいつッ!」
「逃げる気か!?」
「まずい逃がすな!」
やにわにビーストの動きが変わりました。形勢不利を覚ったか、フレンズ達から距離を置こうとしています。皆で抑え込もうとしますが、限界などとっくに超えている身体は上手く動いてくれません。
「ガウアッ」
「待、て……!」
それでも何とか追いすがろうとしますが、ビーストはそんな彼女達を強引に振り払います。そのまま砂浜の裏手の林に駆け込もうとしたところで――――その反対側に勢いよく吹き飛びました。
「え……?」
ビーストは悲鳴も上げずに叩き落とされ、それに遅れて石がずしゃりと音を立てて、砂の上に突き立ちます。30㎏はありそうな、かなり大きな石です。それに見覚えはなくとも心当たりはあるかばんの瞳が、大きく見開かれました。
「よかった、間に合いました!」
「――――イエイヌさん!?」
かばんの予想に違わず、林から姿を現したのは薄紫の少女でした。特徴的な
「グルアア!!」
かばんが疑問を口にする前にビーストが勢いよく跳ね起き、イエイヌに向かって突進します。彼女は石を片手に構えますが、それを投げ放つ前に、再度ビーストが吹き飛びました。
「ふっ、遅いわね! 止まって見えたわ! やっぱり私が最速ね!」
「チーターちゃん!」
ビーストを波打ち際まで蹴り飛ばしたのは、得意げな顔で腕を組む、
「皆無事か!? もう大丈夫だ、私が来たからな!」
「待ってくださいよぉー!」
「プロングホーンさん、ロードランナーさん!」
「かばん、知り合いか?」
「はい、前に一度……」
半ば独り言ちるように、かばんはハブに応えます。その驚愕に拍車をかける声が、空中から聞こえて来ました。
「遅くなってしまったのです」
「しかし間に合ったようなのです」
「博士さんに……助手さん?」
「我々だけではないのですよ」
宙で羽ばたく白と
「さすがに寝てらんないから、来たよー」
「どれほどお役に立てるかは分かりませんが……私も手伝います!」
森林で出会った、ジャイアントパンダとレッサーパンダが。
「戦いは得意じゃないけど、そんな事を言ってる場合じゃなさそうだからね」
「もしもケガしちゃったら、その時はまたお願いね!」
「ケガをしないのが一番ですけどね」
競馬場で出会った、サラブレッドのあおかげ、くりげ、しろげが。
「借りを返しに来たぞ、かばん!」
「おーっと、ウチらもおるで!」
「アタイらもな!」
「アナタ達ばかりにいい格好はさせませんよ!」
「そらウチらのセリフや!」
ジャングルで出会った、ゴリラ、ヒョウとクロヒョウ、イリエワニとメガネカイマンが。次々に林から姿を見せます。
そして彼女達だけではありません。カバが、ジャガーが、シロサイが、タイリクオオカミが、他にもかばんがこれまでに
「みんな……どうして……?」
「ラッキービーストに通信が入ったのです」
「ラッキーさんが?」
かばんは思わず足元のラッキービーストに目を向けます。パークのガイドロボットは、目を緑に光らせながら彼女を見上げ、合成音を発しました。
「ソウダヨ。フィルターガ修復サレタ時ニ、応援ヲ呼ンデオイタンダ」
「ラッキーさん……ありがとうございます!」
「気シナクテイイヨ。僕ハパークノガイドロボットダカラネ。パークガイドノ望ミヲ叶エルノモ僕ノ役目ダヨ」
それはつまり、かばんは犠牲を出したくないという事を察し、またこのままでは戦力が足りないという事を自身で判断し、独自に救援を要請したという事です。後者はともかく、前者を人工知能が判断するのは並大抵ではありません。付き合いの長さから類推したのでしょう。ポンコツの汚名返上です。
「ふふ、私達鳥のフレンズが運んだんですのよ」
「リョコウバトさん!」
バスガイド風の彼女の後ろには、鳥のフレンズ達が宙を舞っていました。博士と助手がライオンとヘラジカを運んだように、障害物を突っ切って最短距離で空輸したのです。そんな鳥達の先頭に立つ博士と助手が、かばんに顔を向けました。
「他の場所に出たセルリアンはあらかた片づけたのです」
「残るはあのビーストだけなのです」
「さあかばん、指示を出すです」
「ぇ……?」
意外すぎる言葉にかばんは目をまんまるにしますが、構わず二人は言葉を続けます。
「何をぼんやりしているですか。おまえがやらずに誰がやるです」
「セルリアンはともかく、ビーストなら対処できるフレンズは多いです。一体しかいないですからね。つまり無視してもさほど困らない者は多いのです」
博士はそこで一旦言葉を切ると、かばんの目を正面から覗き込みます。変わらぬ無表情ながら、その琥珀色の瞳には、確かに温かさが宿っていました。
「それでも腰を上げたのは、かばん、おまえだからですよ。おまえが呼んだから、皆来たのです」
かばんが歩んできた道のりが、積み重ねてきた信頼が、これまでに
「ぁ…………」
かばんは半ば呆然と博士を見上げますが、すぐに気を取り直すと目を強く擦り、フレンズ達へと向き直り口を開きました。万感の思いをこめて。
「…………皆さん、お願いします! 力を貸してください!」
「最初からそのつもりだぜ!」
「任せとけ!」
「捕まえればいいんだよね?」
威勢のいい声が一斉に返り、フレンズ達は我先にと飛び出してゆきます。到底敵わぬと見たか、ビーストは逃げようとしますが、それは到底不可能です。チーターに牽制されて隙を見せたところをジャイアントパンダに吹き飛ばされ、体勢を崩してあっという間に数に押し潰されました。
「ガウァアアッ!!」
「ぐっ、暴れるな!」
「かばん、こっからどないするんや!?」
ゴリラがその剛腕でビーストを押さえつけ、後ろから羽交い締めにしています。ヒョウ姉妹が足にすがりつくように動きを封じ、ワニコンビがそれぞれ腕を掴んで必死に組み伏せようとしています。それでもなお暴れるビーストに、ヒョウが怒鳴るようにかばんに視線を向けました。
「――――そのまま押さえていてください!!」
言うと同時に、かばんは砂浜を走り始めます。全速力で走っているはずなのに、不思議な事にとても遅く感じられます。まるで油の海を往く船のようです。
そしてさらに不思議な事に、かばんの脳裏にこれまでの事が思い浮かんできます。ゆっくり流れる時間の中、次々に情景が過ぎ去ってゆきます。
サバンナでの目覚め、サーバルとの出会い。
ラッキービーストも加え、一緒に旅をしようと決めた事。
カフェ。唾を吐くアルパカ、奇跡的な音痴のトキ。
地下通路の迷宮。幻想生物、ツチノコ。
見事な家を作ってみせた、アメリカビーバーとオグロプレーリードッグ。
部下たちも交えた、ライオンとヘラジカの勝負。
ぶっきらぼうだけど、優しさも垣間見えた博士と助手。
雪の中の温泉。キタキツネとギンギツネ。
ロッジのアリツカゲラ、漫画家のタイリクオオカミ、迷探偵アミメキリン。
ハンターの三人。アライグマとフェネック。四神とフィルター。
超巨大セルリアン。再び始まった、サーバルとの旅。
海の上。イルカとアシカが見せてくれた、合同ショー。
パークに戻ってから。海上に建つホテル。オオミミギツネ、ハブ、ブタ。
サバンナで最速を競う、チーターとプロングホーン。G・ロードランナー。
競馬場のサラブレッド三人。復活したラッキービースト。
最初は仲の悪かった、ヒョウ姉妹とワニコンビ。頭を痛めるゴリラ。
主を待ち続けるイエイヌ。
再び会った、博士と助手、アライグマとフェネック。
海から湧き出る大量のセルリアン。
そして――――ビースト。
「ゴアアアァァァァアアアッ!!!!」
まるで地の底から響くが如き叫び声に、白昼夢のような回想は消え去ります。気付けばビーストは、かばんのすぐ目の前です。彼女は臆する事なく、黒いブレスレットにつけられたくすんだ虹色のキューブを、ビーストの胸に押し付けました。
「これにサンドスターを!!」
「何だか分からんが分かった!」
ゴリラとヒョウ姉妹、ワニコンビの体が虹色に輝き、サンドスターが励起します。それに伴いかばんの持つキューブが光り輝き、ビーストの声の質が変わります。
「グ、アアアアアアアア!?」
「こいつ、いきなり力が……!」
「絶対離すなよ、ヒョウ!!」
「お前に言われんでも分かっとるわ!!」
こんな時でも言い合いは止めないヒョウとワニですが、それに気を配る余裕はありません。かばんは振り払われそうになりつつも必死にこらえ、フレンズを見回し呼びかけました。
「皆さんもお願いします!」
「おう!」
「はい!」
「わかった!」
フレンズが次々にビーストに殺到し、虹色を煌めかせます。キューブはますます強く輝き、まるで虹色の太陽が地上に現れたようです。嵐のようなサンドスターの奔流の中、ビーストに明らかなる変化が表れていました。
「! 手が!」
「お、おい、どうなってるんだ!? 上手くいってるのか!?」
「方法はあってます! でもサンドスターが足りないんです!」
「フレンズがこれだけいるのにか!」
“試作品”だからどこかに不具合があったのか、それともかばんが言うようにサンドスターの量が足りていないのか、はっきりとした原因は分かりません。今分かっているのは、このままでは失敗するという事だけです。
そしてまた一つ、成功から遠ざかる要素が現出していました。
「……!」
輝きこそ依然そのままですが、キューブ本体にピシリとヒビが入ったのです。想定外の用途に使われたのが悪かったのかもしれません。薄氷が割れるように、ヒビは時間と共に大きくなってゆきます。
試作品はこれ一つきりです。直す方法は分かりませんし、新しく作る事も出来ません。製作方法そのものは研究所に残されていたのですが、少なくとも今のかばんには実現不可能で、可能になる見通しも立っていません。そしてこの試作品が壊れれば、当然ビーストをフレンズに戻す事は出来ません。
このまま続ければビーストをフレンズに戻せるかもしれませんが、失敗すれば取り返しがつかなくなる可能性が多分にあります。キューブをもう一度作れる保障はどこにもないのです。
ここで止めれば少なくともキューブは温存出来ます。しかしビーストをフレンズに戻すのは、当分先になる事でしょう。また、この数のフレンズを再び集め、その上でビーストを再度捕獲する事が出来るのかは不明です。下手をすれば、二度とチャンスが巡ってこない事もあり得ます。
進むか退くか。否応なくかばんは選択を迫られ――――迷いなく、決断しました。
「お願いします! もっとサンドスターを!」
前進を選んだかばんの声に真っ先に反応したのは、休んでいたハンター達です。彼女達の体から弱々しくも鮮烈な、虹色の輝きが噴き上がります。
「なけなしのサンドスターだ……持って行け!」
「へばっては……いられません!」
「今までで一番きついオーダーですよぉ……!」
ハンター達に続きライオンとヘラジカが、オオミミギツネ達ホテルのフレンズが、アライグマとフェネックの凸凹コンビが、疲れた体に鞭打ってサンドスターを放出します。
キューブがより一層光り輝き、ビーストの手がヒトの手へと変わってゆきます。それでも最後の抵抗と言わんばかりに獣の手へと戻ろうとしますが、かばんが最も聞きなれた声が、その天秤を傾けました。
「みゃぁあああああ!!!!」
虹色に輝くサーバルの手がキューブに触れ、許容量を超えた“試作品”は光の粒となって砕け散ります。それと同時に、ビーストの身体からがくんと力が抜けました。
「ガ、ぅ………………」
その手は完全にヒトと同じものになっており。だらりと垂れ下がったビーストの腕から、サイズの合わなくなった手枷がごとりと砂浜に落ちました。
いつの間にか、夜は完全に明けています。黄金の朝日と、それを反射しきらきらと輝く海が、フレンズ達を祝福するように煌めいておりました。
◇ ◇ ◇ ◇
戦いが終わったその後。フレンズ達は皆、すぐ近くのジャパリホテルで体を休めていました。
「まったくアンタは、ホントにもう!」
「え、えへへ……」
耳の黒い
「アンタがパークの外に出たって聞いた時はホントにビックリしたんだからね! 私に一言もなしに何やってんのよ! 戻ってきても会いに来ないし、おまけにビーストと戦うなんて危ないことをやってるし!」
「ご、ごめんねカラカル」
「まったく……どうせ言うのを忘れてそのまま、とかそんなんでしょ。ホントにおっちょこちょいなんだから!」
「ソ、ソンナコトナイヨ?」
「私の目を見て言いなさいよ」
片言で横を向くサーバルに、ジト目で顔を近づけるカラカル。なんとなく力関係が垣間見えるやりとりです。
「そ、そうだ! そっちもセルリアンがでたって聞いたけど、だいじょうぶだったの?」
「アンタね……話をそらしたいんなら、もうちょっと上手くやりなさいよ……」
カラカルは呆れが極まったかのようにため息をつきますが、それでも律儀に答えました。
「こっちもこっちで大変だったけどね、ヘビの子が石の場所を教えてくれたからなんとかなったわ。他のところも似たようなもんじゃないかしら。それよりさっきのでサンドスターをたくさん使った方がきついくらいよ」
「か、体はだいじょうぶなの!?」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ、平気よ平気! このくらいどうってことないわ!」
サーバルが焦ってカラカルの肩を掴む隣で、かばんがゴリラ達に“試作品”についての説明をしていました。
「つまりなんだ、あれには『フレンズにサンドスターを供給する機能』があったという事か」
「それでフレンズがパークの外に出られるようにする、っちゅー事かいな」
「我々は基本的に縄張りから出ないので、使いどころはあまりなさそうですが……。ヒトとは面白い事を考えるのですね」
「壊れてしまったが、よかったのか?」
“子分”達の前なので口調が硬いゴリラに、かばんは少しだけ苦笑しつつ答えました。
「いいんですよ、あの子のために使えましたから。それにどのみち、あのままでは役に立たないものでしたしね」
「そうなんか?」
「はい。あれは、“込められたサンドスターを全て供給してしまう”という欠陥品だったんです」
「それは……確かにそれでは、意味がないな」
あくまで試作品なので、これから改良する予定だったのでしょう。その前にヒトは、パークを退去する事になってしまった訳ですが。
「ま、そないなもんでも役に立ったんやから、何が幸いするか分からんな!」
「“人間万事塞翁が馬”ですね」
「じんか……なんやて?」
メガネカイマンがこぼした故事成語に、ヒョウが訝しげな顔を向けます。彼女は口角を意地悪く吊り上げ、鼻で笑いました。
「ふっ、こんな事も知らないとは。ヒョウはこれだから……」
「なんやと貴様……。……いや、それならイリエワニはもちろん分かるんやな?」
「と、当然だろ!」
「まあまあ皆さん、落ち着いて……」
ヒョウ姉妹とワニコンビがいつものように喧嘩を始めかけ、かばんがそれをなだめます。そんな彼女を、博士と助手がどこか感慨深そうに見つめていました。
「かばんも随分大きくなったですね」
「身長は変わってないですよ」
「比喩表現です。分かってて言ってるですね」
博士は首だけを回してじろりと助手を睨みますが、彼女は素知らぬ顔で受け流します。
「かばんに指示を出させてみましたが、皆自然に受け入れていたです」
「む、確かに。このままいけば、かばんが
「焦ってはいけないです。あくまで選ぶのはかばんなのです」
「分かっているです。しかしかばんが
「そういうのを捕らぬ狸の皮算用と言うです。しかし待ち遠しい事は確かなのです。じゅるり」
ワシミミズクな助手が割とシャレにならない言葉*1を吐いたところで、このホテルの支配人が皆を呼ぶ声がロビーに反響しました。
◆ ◆ ◆ ◆
気絶していたビーストが覚醒しそうだという知らせによって、集まっているフレンズの大半がロビーに集まりました。ホテルに集まったのは休憩以外にも、万一ビーストが逃げようとしても対処しやすいだろう、という理由があるのです。海にはシャチを初めとする海獣のフレンズが待機し、準備は万全です。
「ぅ……ん……」
数多のフレンズが固唾をのんで見守る中。ソファーに寝かされているビーストの
「……ここは……?」
「ホテルです」
ビーストが言語を発した事で、フレンズの間に少なからず驚きが走ります。そんな中、フレンズを代表してという訳でもありませんが、かばんが話しかけます。ビーストの瞳の焦点が自身に合うのを見て取り、質問を投げかけました。
「自分がどうなったかは分かりますか?」
「………………なんとなく、だけど」
ビーストはゆっくりと体を起こします。紫の瘴気は影も形もなくなり、病んだような色を湛えていた瞳からは、確かな理性が感じ取れます。しかしその体の一部には、明らかなる異常も残っていました。
「その、爪は……」
「ああ……ここだけ、残っちゃったみたいだね」
“手”はフレンズと同じ形になりましたが、爪の色だけは変わりませんでした。黒にも見える濃い紫の、サンドスター・ロウの色のままです。かばんはそれを心配そうに見ると、視線を少し上に上げました。
「……体は、大丈夫なんですか?」
「まだちょっと重いが……少し休めば回復するだろう。……迷惑を、かけたようだ」
ビーストが深々と頭を下げます。かばんが慌ててそれを止めると、ビーストは真正面から彼女を見据えました。
「では改めて。私はトラ。“アムールトラ”のフレンズだ」
『ネコ目 ネコ科 ヒョウ属 トラ アムールトラ Panthera tigris altaica』。トラ科最大の亜種の名です。それを聞いたかばんは、どこか不安そうに何かを確認するかのように、おずおずと問いかけました。
「フレンズ……ビーストでは、ないんですね?」
「ああ、おかげさんでね。少なくとも、もう無意味に暴れたりはしないから安心してほしい」
「よかった……!」
安堵に大きく息をついたかばんに、サーバルが勢いよく後ろから抱き着きました。
「やったねかばんちゃん!! やっぱりかばんちゃんはすごいや!」
「サーバルちゃん……。ううん、みんなの、サーバルちゃんのおかげだよ!! ありがとう!」
二人の笑顔がじわじわと周りに伝わり、それはざわめきとなり、そしてついには大きな歓喜となりました。
「やったなかばん!」
「上手くいってよかったですね!」
フレンズが次々にかばんに声をかけてゆきます。かばんはもみくちゃになりながらも、笑顔で礼を返します。そんな喧噪の中、スピーカーで増幅された声が響き渡りました。
『えーみなさん、めでたいところで発表があります!!』
声の主はマーゲイでした。どこから持ってきたのかマイク片手に高台に上がり、フレンズを見回し告知します。
『今から屋上で、
歓声が、爆発しました。
◆ ◆ ◆ ◆
太陽の下でもまばゆく自己主張するライトの光に照らされ、ポップでテンポのいい音楽が流れる中。ペンギンズ・パフォーマンス・プロジェクトのライブが、今終わりを告げました。
『みんな、ありがとー!』
『また来てくれよな!』
ペンギン五人が手を振りながらステージを去ってゆきます。自分達もセルリアンと戦って疲れているはずですが、プロ根性です。終わりを締める大喝采のそのただ中で、オオミミギツネがその余韻に浸っていました。
「わ、私のホテルで、
「よ、よかったですね支配人!」
「ええ……! 新しい従業員も増えたし、私たちはこれからよ!」
オオミミギツネが目を輝かせ宣言します。そんな彼女の後ろで、新たに入った従業員二人が、思わせぶりな笑みを浮かべていました。
「ふふふ、
意味深な台詞を吐くのは、『スズメ目 フウチョウ科 カンザシフウチョウ属 “カンザシフウチョウ” Parotia sefilata』のフレンズです。上から下まで真っ黒ですが、だからこそ胸元の大きなリボンが非常によく目立っています。黄色と青のグラデーションで、とても美しいリボンです。おそらく元の鳥にある、飾り羽が元になっているのでしょう。
「
相方に負けず劣らず意味深な台詞を吐くのは、『スズメ目 フウチョウ科 カタカケフウチョウ属 “カタカケフウチョウ” Lophorina superba』のフレンズです。彼女もまた真っ黒ですが、胸元はリボンではなく青い飾りがついています。これもまた、元の鳥の飾り羽が元だと思われます。
ちなみにカンザシフウチョウもカタカケフウチョウも、飾り羽があるのはオスだけ*2でメスは地味です。フレンズ化した事でライオンやヘラジカと同じように、女性であっても“種の特徴”が出ているようでした。
「ダメだこいつら何言ってるんだか分かんねえ……。人選、ミスってんじゃねえのか……?」
言葉は通じるが話が通じるか怪しい二人を見て、ハブが頭を抱えていました。ホテルスタッフに向いているとはどう考えても言い難いコンビです。さもありなん。
「――――イエイヌさん!」
「わう?」
そんなホテル従業員フレンズの横を通り抜け、イエイヌは会場を抜け出そうとしていました。そこをかばんに呼び止められ、思わず振り向きます。
「ちょっといいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「僕はこれから、研究をしようと思ってます」
「え? は、はい」
唐突な言葉にイエイヌは目を
「サンドスターを一時的に溜めて、そこから少しずつ供給する道具の研究です。上手く行けば、僕達フレンズはパークの外に出られるようになる、はずです」
「へえ……いいですね、それは」
「ですから……イエイヌさんも、手伝ってくれませんか?」
「へ?」
イエイヌは驚きに、金目銀目をまんまるにします。
「な、なんで私なんですか? そういう難しそうな事は、博士や助手の方が向いているのでは?」
「博士さんと助手さんは、もう協力してくれると言ってくれました。イエイヌさんは、ヒトを直接知ってるんですよね?」
「は、はい、そうですね」
「なら、僕達では気付かないような事に気付けるかもしれません。イエイヌさんには、ヒトと関わった経験を活かしたサポートをお願いしたいんです」
当時の事をイエイヌ以上に知るフレンズが存在しているとは考えにくいので、言っている事は納得できます。それでも特に知識がある訳ではないので、やはり考え込まざるを得ません。ですが次の一言で、彼女の気持ちが傾きました。
「それに、パークの外になら、イエイヌさんの“ご主人様”の情報があるかもしれません」
「……分かりました。家からはあまり離れられないので、たまになら」
「ありがとうございます!」
話がまとまったところで、二人の後ろから聞きなれぬ声がかけられました。
「話は聞かせてもらった」
「アムールトラさん!」
振り向いたところに姿を現したのは、ビースト改めアムールトラのフレンズでした。イエイヌは条件反射的に身体を強張らせますが、周囲のフレンズ達は特に気にしていないようです。良くも悪くも細かい事を気にしないのがフレンズで、イエイヌのようなタイプは少数派なのです。
彼女はまだ少し重い身体を動かしかばんの前に立つと、話を切り出しました。
「その研究、私も協力していいか?」
「え? それはもちろんです。でも、なんで……?」
意外な人物からの意外な言葉に、かばんは首をかしげます。
「軽く聞いたんだが、私のために随分と骨を折ってくれたそうじゃないか。その恩返しだとでも思ってくれればいいさ」
「いえ、そんな……」
「それだけじゃあない。見てな」
アムールトラが手を前に出し掌を上にします。彼女が集中すると、驚くべき事に手から紫の瘴気が立ち昇りました。量は以前と比ぶべくもありませんが、まごう事なきサンドスター・ロウです。それを見たイエイヌが、毛を逆立たせ牙を剥き出しにし、かばんを守るように前に飛び出ました。
「かばんさん下がってッ!」
「落ち着きなよ、敵意はないよ」
瘴気を引っ込めヒラヒラと手を振るアムールトラに、イエイヌは警戒しつつも引き下がります。アムールトラはかばんに視線を向けると、真剣さを増した表情で続けました。
「見ての通りだ。私は今でもどうやら、サンドスター・ロウを扱う事が出来るようなんだ。ま、さっきので全力だから大したことはできないが」
「かばんさんの研究に、それがどう関係すると?」
警戒心を隠そうともしないイエイヌに、アムールトラは苦笑して答えます。
「サンドスターの研究をするんだろう? なら、サンドスター・ロウも役に立つはずだ。これは私の感覚だが、この二つはとてもよく似ているからね。右手と左手のようなものだ」
サンドスターとサンドスター・ロウは、同じ火山から噴出しています。あながち間違った意見だとも思えません。考え始めたかばんに、彼女は言葉を重ねます。
「それに私のためでもある。そっちで調べてもらえれば、私がサンドスター・ロウを扱える事について、何か分かるかもしれない。また暴走しても困るしね」
「なるほど……。分かりました、よろしくお願いします」
「かばんさん!」
イエイヌが咎めるように声を上げますが、アムールトラはどこか面白そうに問いかけました。
「私が信用できないかい?」
「当然です!」
「なら近くで監視すればいい。一緒に研究するんだろう?」
「む……」
「イエイヌさん……」
イエイヌとしてはなんとなく丸め込まれたような気分ですが、正論であるのは分かっています。心配そうに見つめるかばんも無視できず、仕方がないと言わんばかりの様相で、彼女は大きく息を吐きだしました。
「はぁ……。分かりました、分かりましたよ」
「イエイヌさん!」
「でも! 何かあったら容赦はしませんからね!」
「ああ、それでいい。これからよろしくな」
スッと自然に差し出されたアムールトラの手を、少しばかり不本意そうな顔でイエイヌが握り返します。
「……握手なんて、よく知ってましたね?」
「記憶の片隅にあったんだが、仲良くしたい時にヒトはこうするのだろう?」
「仲良くする気はありません」
「ぇ……」
かばんが小さく声を上げ、イエイヌを見上げます。彼女は少し怯むと、半ばヤケになって言い放ちました。
「うぐっ……。分かりましたよ、仲良くですね!」
「ありがとうございます、イエイヌさん!」
どうにか折り合いがついた二人をかばんが嬉しそうに見つめますが、ちょうどそこで横から大きな声が響いてきました。
「はぁ!? 出演料にジャパリまん百個ぉー!?」
ホテル支配人、オオミミギツネの声です。今にも噛みつかんばかりの勢いで、ハブに詰め寄っています。どうやら
「な、なんだよいいだろ!
「私に黙ってやった事が問題なのよ! アナタはまた勝手な事をー!!」
「お、怒んなよぉー!!」
「ま、待ちなさーい!」
一瞬にして沸騰したオオミミギツネが、その気配を感じて逃げるハブを追いかけ始めます。種族は違いますが、まるでト○とジ○リーのごとしです。
「
「
「代償や闇って、ジャパリまんの事だったんですか……?」
○ムとジェ○ーを見つめるフウチョウコンビが意味深な言葉を吐き、ブタが何とも微妙な表情になります。要するに、ハブが勝手にジャパリまんを
なんとなく緩んだ空気が漂ってきたところで、サーバルがかばんの後ろからぴょこんと顔を出しました。
「おはなしは終わった?」
「サーバルちゃん! どこにいってたの?」
「カラカルとおはなししてたの!」
「えーと、お友達だったよね」
「うん! カラカルはサバンナに戻るって言ってたけど、かばんちゃんはこれからどうするの?」
「とりあえず研究を始めようと思ってるから、研究所に――」
「けんきゅうじょだね! わかった!」
聞くが早いか、サーバルはかばんの手を掴んで走りだします。かばんの足に合わせた速度で、しかして慌てる彼女に振り向く事なく、サーバルは前を向いたまま進んでゆきます。
「ほら、はやく行こうかばんちゃん!」
「ま、待ってよサーバルちゃん!」
「待ってください、私も行きます!」
「これは退屈はしなさそうだな」
イエイヌとアムールトラもまた二人の背中を追って走り始め、その後ろからラッキービーストが、短い脚でジャンプしながら追いかけます。
「ねえかばんちゃん、けんきゅうが終わったら次はどこにいこうか!」
「他の地方があるらしいから、まずはそこに行ってみたいかな。でもサーバルちゃん、もしかしたら研究が終わるより前に行く事になるかもしれないよ?」
「そうなの?」
「資料が他の地方にあるかもしれないから、研究所にあるので足りなかったら、それを探しに行く事になるかも」
「おおー! その時はまたいっしょにいこうね!」
「うん!」
二人は手を繋いだまま、止まる事なく走ってゆきます。高く昇った太陽が、二人の未来を照らし上げるかのように、まばゆく輝いておりました。
――けものフレンズ(勝手に)2 完――
――――――――――――――――――
*1 割とシャレにならない
ワシミミズクは大きいものだと全長70㎝超、翼開長180㎝にも及ぶ巨大な鳥であり、アライグマやキツネを捕食した記録がある。なのでおそらくタヌキも捕食可能。なおアフリカオオコノハズクは全長30㎝もないので、サイズ的に無理。
*2 飾り羽があるのはオスだけ
メスへのアピール用。クジャクの飾り羽と用途は同じ。
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