第八話 びーすと

「ビーストって、なんなんですか……?」


 昼なお暗いジャングルの中を走りながら、かばんが尋ねます。ヒョウがそれに対して、簡潔に答えました。


「分からん」

「わかんないの?」


 サーバルがきょとんとした顔で聞き返し、クロヒョウが姉の言葉を補足します。


「見た目はフレンズに似とるんやけど、話がまったく通じひん。ただ暴れて襲い掛かって来るんや」

「新しいセルリアン……とか?」

「さっきも言ったが分からん。パークのどこにでも現れるとは聞いとるが――――」


 クロヒョウが何かを言いかけたその時、再びビーストの声が森に響きます。今度はかばんにもはっきり分かるほどの、空と地が震える咆哮でした。


「まずいで、近づいて来とる!」

「どうします親分!」

「…………ここで迎え撃つ! 構えろ!」


 ゴリラが決断し、ヒョウ姉妹とワニコンビが足を止めて声の方向へと向き直ります。サーバルとかばんもそれに続こうとしますが、ゴリラがそれを制止しました。


「二人は行ってくれ」

「えっ……」


 思ってもみなかった言葉に、かばんが言葉を詰まらせます。そんな彼女に向け、ヒョウとワニが次々に言葉を連ねて行きます。


「せやな。サーバルはともかく、かばんは戦えへんのやろ?」

「戦えねえ奴がいたってしょうがないからな」

「ジャパリパークの掟は、自分の身は自分で守る事。それが出来ないと言うのなら、せめて逃げるくらいはしてもらわないと困ります」

「で、でも……!」


 かばんの高い知能が、自分がいるせいで逃げられずに戦う事になったのではないか、とささやきます。罪悪感に足が動かない彼女の背中を、ヒョウがばしんと叩きました。


「いたっ」

「ウチらが負けるとでも思とんのかいな! これでも追っ払うくらいは出来るんやで?」


「ウガアアアッ!!」


 茂みがガサリと動き、暴力を形にしたかのような黒い影が飛び出してきました。すかさずゴリラが反応します。


「そういう、事だッ!」


 生物の肉体から出たとは思えぬ轟音をたて、ゴリラの剛腕がビーストを弾き飛ばしました。ゴリラの握力は500㎏を超えており、フレンズ化した今、その力は更に上昇しているのです。


「ガウアアオオ!」


 それでもビーストは全く怯まず、再び襲い掛かって来ます。今度はイリエワニが殴り掛かりながら前に出ました。


「テメエの相手はアタイだ!」

「サーバル、かばんを連れていけッ!」


 ゴリラの怒声に、弾かれたようにサーバルが動きます。フレンズに色濃く残る本能が、その言葉の正しさを嗅ぎ取ったのです。


「行こうかばんちゃん!」

「ゴ、ゴリラさんたちが……!」

「邪魔や! はよ行き!」

「……ごめん!」


 サーバルがかばんと、ついでにラッキービーストを抱き上げ走り出します。邪魔だと言うヒョウの言葉は全く正しいものでありましたし、何よりサーバルがのは、ゴリラ達ではなくかばんであるからです。


「サーバルちゃん!?」

「話はあとで!」



◆ ◆ ◆ ◆



「行った、かッ!」


 イリエワニの並外れた膂力りょりょくを厄介と見たか、ビーストが後ろに跳び退すさりました。理性はなくとも本能は残っているのか、唸りながらゴリラ達を警戒しています。


「ヴヴー……」


 ちょうど光の差し込むところに居座ったおかげで、その姿があらわになります。途切れ途切れの縞模様が入ったオレンジと白の髪、同色の尻尾とニーソックス、獣耳、黒いベストに黄色いチェック柄のスカートと、一見するとフレンズそのものです。


 しかし、腕には鉄製と思しき手枷と引きちぎられた鎖がぶら下がっており、正気を失った瞳が病的に炯々けいけいと光っています。身体からは紫色の毒々しい瘴気が立ち昇り、まるでセルリアンのごとき様相です。


 そして何より、“手”がフレンズとは全く違います。フレンズは皆ヒトと同じ手を持っていますが、ビーストの手はかぎ爪に毛むくじゃらの、獣そっくりな手です。


 多種多様な役割を持ち、おそらく全生物中最も器用な“手”は、ヒトの象徴そのもの。それを持たないビーストは、『動物がヒト化した』フレンズとは異なる事を明確に示していました。


「ちっ、メンドーだな」

「この人数差で、何で逃げないんですかね」

「んな頭がないんやろ」


「グルアア!!」

「うおっ!?」


 ビーストは突如として、前に出ていたイリエワニを無視し、後ろにいたヒョウを強襲します。予想外の行動に一瞬固まったヒョウは攻撃を受けそうになりますが、ゴリラがカバーに入りました。


「親分!」

「落ち着け! ヒョウとクロヒョウは速度で引っ掻き回せ! ワニとカイマンは攻撃を受け止めろ!」


 ゴリラが指示を飛ばします。“子分”の能力をよく把握した、理に適った内容です。類人猿らしく、知能は他のフレンズとは一線を画しているようです。“親分”と慕われるのは面倒見の良さのみならず、こういった頭脳面もあっての事なのでしょう。


「四人で隙を作るんだ! トドメは、私が刺す……!」


 ゴリラの濃いオレンジの瞳に火が灯り、ビーストの紫に対抗するかのように、虹色がその体を覆います。可視化されそうなほどの緊張感の中、ビーストの咆哮を号砲に、再び戦いが始まりました。



◆ ◆ ◆ ◆



「ここまでくれば……!」


 ジャングルを飛び跳ね移動していたサーバルが、激戦地から十分に離れた事を確認して足を止めます。降ろされたかばんが慌ててゴリラ達のもとへ戻ろうとするのを、サーバルが制止しました。


「サーバルちゃん!」

「おちついて」


 サーバルがじっとかばんを見つめます。凪いだ海のような静かな瞳に、かばんの昂っていた精神が鎮まってゆきます。


「かばんちゃんがあそこにいたら、巻き込まれてケガしちゃうよ」

「それは……」


 実際のところは、“ケガ”程度で済めば御の字といったところでしょう。かばんの身体能力そのものは決して低くはない*1のですが、フレンズとは比較になりません。理性なく暴れまわるビーストの前なら尚更です。


「それに、ゴリラちゃんたちなら大丈夫。五人もいるんだし、まけるようには見えなかったよ」

「……そう、だね」


 かばんの頭に冷静さが戻って来ます。確かに普通なら、五対一では勝ち目はないでしょう。サーバルの見立てがそう間違っているとも思えません。


 ですが相手は、どう見ても普通ではない存在です。拭いきれない一抹の不安が、鉛のように胸にわだかまります。悩むかばんに、サーバルが真剣さと不安がないまぜになった表情を向けました。


「ねえかばんちゃん、あの子をとめられないかな?」

「あの子って……ビーストって呼ばれてた、あの?」

「うん」

「暗くて僕にはよく見えなかったんだけど……。フレンズ……なのかな」

「わかんない。けど、あのままだとどっちもケガしちゃうし、ほっとけないよ!」


 ゴリラ達のみならず、ビーストをもおもんばかった言葉にかばんの顔が引き締まり、その瞳に強い意思が宿ります。


「――――うん、そうだねサーバルちゃん。どうにかして、止めないと!」

「ありがとう、かばんちゃん!」


 とは言え、二人はビーストについて何も知りません。何しろつい先ほど知ったばかりなのです。どうしたものかと考えこむかばんの目が、サーバルの小脇に抱えられていた青いロボットに向けられました。


「ラッキーさん、あの“ビースト”について何か知りませんか?」

「少シダケナラ知ッテイルヨ」

「さっすがボス!」


 ぴょんと地面に降り立ったラッキービーストが、目を青色に光らせ話し始めました。


「サンドスターガ動物、モシクハソノ一部ダッタモノニ当タルトフレンズニナル。デモソノ時、何ラカノ理由デビーストニナッテシマウ事ガアルラシインダ」

「なんらかの理由って?」

「ソコマデハ知ラナイヨ。僕ハパークガイドロボットダカラ、アマリ詳シイ情報ハ持ッテイナインダ」


 ビーストが現れた時のガイドロボットの仕事は客の避難誘導であり、その原因究明ではありません。それを考えると、多少でも情報を知っていた事は僥倖と言えるでしょう。


「つまり、ビーストはフレンズという事なんですか?」

「僕ニハソノ質問ニ答エラレルダケノ情報ガナイヨ。ゴメンネ」


 機械らしい答えを返すラッキービーストに、サーバルが最も肝要な質問を投げます。


「それで、あの子はどうやったらとまるの?」

「分カラナイヨ。カツテ人ガ一時的ニ捕ラエタ事ハアルケド、結局ハ上手クイカナカッタヨ」


 その結果が、腕にぶら下がる手枷の成れの果てと引きちぎられた鎖なのだと思われます。そして同時に、ビーストがヒトのいた頃から存在し、ヒトの手にも余るものだったという事をも意味していました。


「捕らえた……って、どうやってですか?」

「ソコマデハ知ラナイヨ。デモ、沢山ノ人間ト機材ガ動イテイタカラ、オソラク同ジ方法ハ無理ダヨ」


 フレンズに協力を仰げば人手はどうにかなるにしても、放置されて久しいパークで機材が揃うとは考えにくく、何より時間が不足しています。仮に方法が分かっていても、今この時には間に合いません。


「なら、追い払う方法は分かりませんか。誰かが怪我をする前に、この場だけでも何とかしないと……!」

「分カラナイ。デモ、ビーストハフレンズト違ッテ、本能ガ強イヨウダ。ソノ辺リヲ利用スレバ、何トカナルカモシレナイヨ」

「本能……なら、ひょっとすると……?」


 何かに気付いたように考え込むかばんに、サーバルが期待を込めた目を向けます。


「かばんちゃん、なにか思いついたの!?」

「うん。上手くいくかは分からないけど、やってみる価値はあると思う」

「さっすがかばんちゃん! じゃあさっそく――ッ!」


 サーバルが突然話を打ち切り、左に身体を勢いよく向けます。驚くかばんがどうしたのかと問ういとまもなく、茂みがガサリと動き、暗い灰色の体躯が姿を現しました。


「セルリアン!?」

「うー、こんな時にー……!」


 ホテルや荒野で出会ったタイプと同じものに見えます。大きさはかばんより少し小さいくらいで、サーバルなら一人でもギリギリ倒せる程度だと推測されます。しかしその凸凹の体からは二本の触手が伸びており、厄介そうである事も見て取れました。


 逃げてゴリラ達の下へ駆けつける、という選択肢はありません。背中から襲われたら困りますし、万一ビーストと共闘でもされたら脅威が増えるだけです。それを本能的にさとったサーバルは、瞳を黄金に光らせ決意を固めました。


「……ここでたおすしかないね!」

「気を付けて、サーバルちゃん!」



◆ ◆ ◆ ◆



「ガアアアアッ!!」

「くっ!」


 かばんとサーバルが去った後。ビーストとゴリラ達は、一進一退の攻防を繰り広げていました。


「こっちや!」


 ヒョウが木々の間を飛び跳ね、速度で翻弄しつつビーストに一撃を入れようとします。ビーストはそれに反応し迎え撃とうとしますが、クロヒョウがその隙を突きました。その真っ黒な体躯は、薄暗いジャングルでは迷彩として働くのです。


「残念、こっちや」

「グゥ……!」


 ビーストにとっては軽く、しかして足は止めざるを得ない攻撃が命中します。それを、ビーストの真正面で攻撃を受け止めていたイリエワニは見逃しませんでした。


「オラァッ!」

「グッ!?」


「やったか!?」

「いや、浅い!」


 イリエワニの拳を避けきれないと見るや、ビーストは自ら後ろに跳んでその衝撃を軽減させました。闘争本能のなせる業です。


 恐るべきはビーストと言えるでしょう。戦力差は単純計算で五倍だというのに、“戦闘”を成立させています。ですがそれでも数の差は大きいようで、紫色の瘴気は薄くなり、致命傷こそ避けていますが身体には大小様々な傷が付いていました。


「それにしても、今日はずいぶんと粘りますね……」

「ああ、普段ならもう逃げとるはずやけど……」

「……これは、好機かもしれんな」


 重々しく口を開いたゴリラに、視線こそビーストから外さないままですが、ヒョウ達の意識が向けられます。


「逃げないというならちょうどいい。ここで倒してしまえば、後顧の憂いが消えるというものだ」


 ゴリラはいかつい見た目やイメージに反して平和主義者です。力は強いのですが性質は穏やかで争いは好まず、敵からは逃げるのがもっぱらです。しかし平和主義者とは、非戦主義者ではありません。追いつめられれば戦うし、何より至極単純な論理として。


「なるほど、道理です」

「やられっぱなしもシャクやしな」

「今度はこっちの番って事やな!」

「やってやろうぜ親分!」


 皆のやる気を見て取ったゴリラは、低い声で指令を下しました。


、ここで潰すぞ」


 返事代わりにワニ達のサンドスターが励起し、体から虹色が溢れ出ます。しかしビーストは尋常ならざる気配を感じ取ったのか、唸り声を上げると共に横っ飛びに跳んで脇目もふらず逃亡しました。


「ヴゥッ……!」


「あっ、逃げよった!」

「ウチらの勝ちやな!」

「正直、また相手にするのはキツイですね」

「なあに、そん時は何度でも返り討ちだ! ですよね、親分!」


 逃がしたとはいえ、実質的な勝利に空気が緩む中、何かに思い至ったゴリラが顔色を変えました。


「いや――――あっちはまずい!」



◆ ◆ ◆ ◆



 セルリアンと相対するサーバルは、かばんの援護の下、危なげなく戦闘を進めていました。焦る気持ちはありますが、焦って返り討ちに遭ったら本末転倒。彼女に残る野生の本能は、戦闘における無謀な行動を戒めていました。


「みんみー!」


 サーバルの爪が触手を切断します。本体から切り離された触手は、キューブに分解されて消滅しました。これで触手は二本ともなくなり、本体は丸裸。彼女の無意識下でほんのわずかな油断が生まれ――それを消し去る声が背中からかけられました。


「サーバルちゃん、気を付けて!」

「うん! ありがとうかばんちゃん!」


 サーバルが気を引き締めセルリアンに向かいます。まだ何も終わってなどいません。セルリアンは触手などなくても十分以上に脅威なのです。ですがその脅威を打ち砕かんとする声が、再び後ろから響いてきました。


「石は向かって左側に見えた!」

「さっすが!」


 かばんがセルリアンの気を引くため、紙飛行機を投げようとした瞬間。猛り立つ咆哮と共に、紫と虹色がぐちゃぐちゃに混じり合った塊が、横合いから凄まじい勢いで突っ込んできました。


「オアアアアァァァァ!!!!」

「グルアアアアァァァ!!!!」


 取っ組み合うビーストとゴリラです。ごろごろと転がりながら噛みつき引き裂き殴り合い、まさに獣の戦いそのものです。そしてその後ろから、押っ取り刀でワニコンビとヒョウ姉妹が追いついてきました。


「皆さん! 一体何が!?」

「かばんか! アイツが逃げて親分が追った!」

「えっと……」

「ビーストが逃げる方向にアナタ方がいるのに親分が気付き、身体を張って止めたという事です」


 イリエワニのざっくりしすぎた説明を、メガネカイマンが補完します。ヒョウが悔しそうに言葉を吐き出しました。


「親分を助けたいが、ああも密着して動き回られると手が出せへん」

「ウチらの力じゃ、無理矢理引き剥がすんも無理や」

「イリエワニちゃんたちは?」

「アタイらは足が遅いから追いつけねえ」

「業腹な話ですが」


 話を聞いたサーバルの目が、自然とかばんに向かいます。彼女がそれに応えようと口を開きかけたその時、異変が起きました。


「ゴ、ガアアアアァァァッ!!」

「ぐっ!?」


 一際大きく吠えたてると、ビーストがゴリラを弾き飛ばし、驚く事にそのままセルリアンを襲い始めたのです。セルリアンは硬いため、殴っただけでは破壊されずに吹き飛びますが、ビーストはその後を追いかけ追撃をかけています。


「何や!?」

「セルリアンを……!?」

「よく分かりませんがチャンスです! 今のうちにゴリラさんを!」


 いち早く気付いたかばんが叫び、弾かれたようにヒョウ姉妹が動き出します。二人はゴリラに肩を貸し、戦域から離脱させました。


「親分!」

「大丈夫ですか!?」

「ああ……」


 ゴリラは体力とサンドスターを消耗し怪我もしていますが、幸い致命傷はないようです。それを確認したサーバルが、声高らかに宣言しました。


「よし、にげよう!」


 そのあまりの思い切りの良さに、皆が一瞬あっけに取られます。かばんがおずおずと、確認するようにサーバルを見上げました。


「……いいの?」

「うん。あの子のことは気になるけど、いまは……」


 ビーストを放置して逃げていいのか、と言外に問うかばんに、サーバルはゴリラに目を向けます。それで全てをさとったかばんは、何も言う事なく前を向きます。そしてその目に、独りでに道を走って来るバスが映りました。


「遠隔操作デ呼ビ寄セタヨ。皆乗ッテ」

「ラッキーさん」

 

 先程は、バスの音に反応してビーストが追いかけて来る可能性があったため使えませんでした。ですが今なら、音に反応される前に距離を置ける、とラッキービーストは踏んだようです。


「何やこれ?」

「ボスが喋った!?」

「いいから乗れ!」

「はい!」


 ゴリラが一喝すると、その子分達は全ての疑問を棚上げにしてバスへと乗り込みます。ラッキービーストが運転席に飛び乗り、目を赤く光らせ告げました。


「飛バスヨ。何カニ捕マッテ」



◆ ◆ ◆ ◆



「いたた……」

「――よし、これでもう大丈夫ですよ」


 走るバスの中、かばんがゴリラの手当てを終わらせました。競馬場にはたくさん救急箱があったので、その中身をいくつか拝借して来ていたのです。


「も、もうええんか?」

「はい。あとは、ジャパリまんを食べてサンドスターを補給すれば治るはずです」


 かばんがさらっとフレンズ式治療法を言い放ちます。順調に染まっているようです。そんな彼女の手を、イリエワニが感極まったように握りしめました。


「ありがとう! アンタは親分の恩人だ!」

「い、いえ、僕にはこれくらいしか出来ませんから」

「そないな事言うモンやないで」

「そうですよ、そんな事ができるのはアナタくらいです」


 フレンズは最初から器用な一部を除いて、大抵は不器用です。大抵の動物が持っているのは“前脚”であって“腕と手”ではないので、それに引っ張られてしまうのです。サーバルも最初は、手を“猫の手”として使っていました。


 それでも練習すれば“手”として扱う事は出来ますが、ヒトの器用さには及びません。仮に医療道具だけがあっても、この場のフレンズではかばんほど上手く使う事は出来なかったでしょう。


「いや、世話になったな」

「それは、こっちもですよ」

「謙遜するな。本当に助かったよ」


 ゴリラは傷の痛みに耐えるように一つ深呼吸し、かばんを見上げました。


「さて、私達はここで降りる。二人はこのまま次の場所に行け」

「え?」

「大分痛めつけたからヤツもしばらくは静かだろうが、確証はない。お前達は今のうちにここから離れておいた方がいい。私達はここを動く気はないしな」


 フレンズは本能が強く残っているため、元の生息域から離れたがりません。例外としては何らかの目的があるか、渡り鳥のように移動をする事が本能に組み込まれているかくらいです。ゴリラ達はそのどちらでもないので、ジャングルから動く気は全くないようでした。


「……わかった! それじゃあ、またね!」

「おう、またな!」

「また会いましょう!」


 サーバルを皮切りに、別れの挨拶が交わされます。かばんは彼女達を降ろすためにバスを止めようとしましたが、ヒョウは軽い調子でそれを断りました。


「ケガをしてるみたいですけど、大丈夫ですか……?」

「こんなん軽い軽い。ほななー」

「またなー」


 ヒョウ姉妹はひょいひょいと、大きく開いているバスの最後部から飛び降りてゆきます。バスは動いているので危険なようにも見えますが、フレンズの身体能力をもってすればどうという事はありません。


「んじゃあな」

「ではまた」


 ヒョウに続き、ワニコンビも飛び降ります。フレンズはこういう時はあっさりしたもので、別れを惜しんだりはしません。


 残るはゴリラ一人で、同じように飛び降りるのだろうとかばんは思っていましたが、様子がおかしい事に気づきます。覗き込んだその顔は強張り、冷や汗がだらだらと垂れ流されていました。


「ど、どうしたんですか?」

「い、痛いの苦手なんだよぉ……」


 涙目で情けなく声を震わせるその姿には、先程までの威厳はどこにもありません。その変わりように、サーバルが目をぱちくりさせます。


「このくらいの速さならへいきじゃない?」

「いつもならいいんだけど、今は怪我してるから……」


 ゴリラは知能が発達しているので、痛みを敏感に感じてしまうのです。フレンズ化して知能が上がっている今、その傾向にはますます拍車がかかっているようでありました。


「じゃあやっぱり、バスを止めて……」

「だ、ダメだ! あいつらの前で、情けないところは見せられない!」

「じゃあどうするのー?」


 サーバルの本質を突いた問いに、ゴリラはうぐっと詰まります。彼女はすーはーすーはーと深呼吸を繰り返すと、カッと目を見開き、腹を括りました。


「フ、フレンズは度胸! うおおおおぉぉぉー!!!!」

「ゴ、ゴリラさーん!」


 ひょっとしたらビーストと戦っていた時を超えるかもしれない気迫と共に、ゴリラは走るバスから飛び降りたのでした。



◆ ◆ ◆ ◆



 ゴリラ達を見送り、少しだけがらんとしたバスの中。座席に座るかばんが窓の外に目を向けながら、ぼーっと呆けていました。


「かばんちゃん、どうしたの?」

「え? ……うん、あの“ビースト”って子について、考えてたんだ」


 かばんはふぅとため息を吐き出すと、どこか憂いを帯びた顔で話し始めました。


「あの子の事はほっとけない。でも、僕らはあの子について、何も知らない。止めたいと思うけど、どうやったら止められるのか、分からない」


 何故襲って来るのか、何故暴れるのか、何故言葉が通じないのか、何故ゴリラを無視してセルリアンを襲ったのか――――。いくつもの“何故”がかばんの頭の中をぐるぐる回りますが、その答えはどこにも見つかりません。思考が袋小路で行き詰まります。


「じゃあしってる人にきこう!」


 ですがそんな思考の迷宮は、サーバルの的を射た一言で霧散しました。かばんが目をぱちぱちとしばたかせ、サーバルを見つめます。


「――そうだね、そうだよ。分からないことは、知ってる人に聞けばいい。さすがサーバルちゃんだ」

「えへへ……。あれ、でも誰がしってるんだろう? かばんちゃん、しってそうな人をしらない?」


 そのとぼけた言葉に、かばんはくすっと微笑みました。サーバルは鋭く本質を突く女なのですが、その根拠は往々にして感覚と直感なので、過程が抜け落ちたり具体的な方法が出ない事があるのです。


 しかし、今この場においてそれは全く問題にはなりません。何故ならば、ここにはサーバルの足りない箇所を補える、頼れる友人がいるのですから。


「こういう事を知ってそうな人……となると、思いつくのは二人だね」

「二人……? ……そっか!」


 案外察しのいいサーバルは二人という言葉にぴんと来たようで、その表情を明るくします。かばんが一つ頷き、その名を口にしました。


「うん。博士さんたちに会いに行こう」



――――――――――――――――――

*1 かばんの身体能力

体力が相当あったり、木登りを割とあっさり成功させていたりと、同じ体格の人間と比べるとかなり高い。

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