第六話 けいばじょう
柔らかな陽光が木々の隙間から落ちる道を、バスが進みます。その助手席に座るサーバルが、窓からひょこんと顔を出し道の先を見つめました。
「うわぁ、おっきいね!」
「あそこが目的地ですか?」
「ソウダヨ」
そこには大きな建物が建っていました。大きなガラスの窓が規則的にはめ込まれている、灰色のビルです。高さとしては三階建てですが、横に広い作りになっており、かなりの敷地面積である事が分かります。しかしその外観は半ば木に隠れ、表面にはツタが這っており、人の手が入らなくなって久しい事を感じさせていました。
「あれなーにー?」
「ジャパリ競馬場ダヨ」
「けいばじょう?」
「本来ハ馬ノレース、ツマリカケッコヲスル場所ダヨ。デモココノ競馬場ハテーマパークダト思エバイイヨ」
「てーまぱーく?」
「観光施設ノ事ダケド……ソウダネ、遊ブタメノ場所ダト考エレバ大体アッテイルヨ」
「へー、あんなに大きいところで遊べるなんてたのしそうだね!」
どうやら賭けを行う場所としての競馬場ではないようです。それでも動物園と思しきジャパリパークに、何故競馬場を造ろうと思ったのかは謎です。JRA(日本中央競馬会)からの出資でもあったのかもしれません。
「あそこにラッキーさんの体があるんですね」
「ボスが元にもどるんだね! はやく行こう!」
「焦ラナクテモスペアボディハ逃ゲナイヨ、サーバル」
◆ ◆ ◆ ◆
バスから降り、ひび割れた自動ドアを抜けると広々とした空間が広がっていました。巨大な窓ガラスからは日差しが差し込み、ホテルのロビーにも似た室内に明るさをもたらしています。在りし日の活気を思わせる佇まいと、人一人いない静寂とがあいまって、不思議な雰囲気を醸し出していました。
「うわぁ、おっきい子だねー」
しかしそんな空気も、サーバルにかかれば何でもないものだったようです。彼女は興味津々な様子で、正面に設置されている像に近づきました。あたかも走っているところを切り取ったような、躍動感のある馬の像です。
「ホントだ、大きいね」
「おや? 誰かな?」
「私はサーバル!」
「僕はかばんです」
その像から聞こえてきた声に、二人は素直に返事を返します。その声は、含み笑いをしているような気配を漏らしながら言葉を続けました。
「ほほう、サーバルとかばんか。しかしいきなり来たからびっくりしてしまったよ。そのせいでどうも調子が出ないなあ。ああ、どうしたものか」
「ご、ごめんなさい!」
「ごめんなさい」
慌てて頭を下げる二人の前に、いたずらっぽい笑みを浮かべた少女が出てきました。像の陰に隠れていたようです。
「ははは、うそうそ。冗談だよ」
「あーっ、フレンズー!」
「はじめまして! あの、あなたは……?」
「サラブレッドだ。“あおかげ”と呼んでくれ」
茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせたその少女は、タンクトップとロングスパッツ姿です。色んな意味で、プロングホーンに勝るとも劣りません。服も髪も目も尾も黒褐色をしており、
「ここには何をしに来たのかな?」
「そうだ、ボス! 体はどこ?」
「地下ダヨ」
◆ ◆ ◆ ◆
地下の奥まった場所に、『関係者以外立入禁止』と書かれている扉がありました。それが読めるかばんは少し躊躇しますが、ラッキービーストの声に従い開きます。
「こんなところがあったとはね」
「あおかげさんはこの辺りには来なかったんですか?」
「ああ、もっぱら表で走っているからね。ボスが喋る事と言い、まだまだ知らない事はあるものだ」
ノブの先は真っ暗でしたが、ラッキービーストが点滅すると明かりがつきます。そこは通路になっており、部屋がいくつかあるようでした。
「ボス、どこー?」
「一番奥ノ、『倉庫』ト表示サレテイル部屋ダヨ」
「あそこかな?」
鍵はかかっておらず、ノブは抵抗なく回りました。部屋の中には棚があり、何に使うかもよく分からない、雑多な物品が詰め込まれておりました。
「うわー、いろんなのがあるねー!」
「そうだね。おや、これは……」
あおかげが手に取ったのは、U字型をした金属板です。少し内側に湾曲しており、ところどころに穴が開いています。サーバルがそれを、しげしげと見つめました。
「なにそれー?」
「上にもあるんだが、何だかは分からないんだ。たくさんあるから、よく使っていたものだろうとは思うんだが」
「
ラッキービーストの声に、皆の視線がそちらに向きます。
「ていてつ?」
「馬ノ
「釘って……痛くないんでしょうか?」
「蹄ハ爪ダカラ痛クナイヨ」
馬の蹄の外側部分には神経がないので当然痛みもありません。ただし蹄内側部分の白線(白帯)より中には神経が通っているので注意が必要です。
「へえ、これはそういうふうに使うものだったのかい」
「あおかげはウマなのに、わからなかったの?」
「昔の事はよく覚えていなくてね」
あおかげは飄々と肩をすくめてみせます。フレンズは基本的に動物時代の事を覚えているものですが、そうとは限らない事もあるようです。
「ラッキーさんの体はどこですか?」
「ソコノ白イ箱ノ中ダヨ」
棚にいくつか並んでいる箱の一つをかばんが取り、そのフタを開けます。そこには、何とも形容のしがたい物体が、透明なビニール袋にくるまって収められていました。
タマゴのような胴体に大きなネコミミをくっつけ、縞模様の尻尾を生やし、短い二本脚を取り付けたもの、と言えばいいのでしょうか。目はありますが腕はありません。耳は青く腹部は白く、それ以外は水色です。胴体の中央には首輪と思しきベルトが巻かれており、その下にかばんが持つ『レンズ状の部品』と同じものがはまり込んでいました。
「おお、確かにボスだね」
「コウイッタ施設ニハ、不測ノ事態ニ備エテイクツカ予備ガ置カレテイルンダヨ」
「この透明なのはなにー?」
「ビニールダヨ」
「へー……おもしろーい!」
サーバルはビニールの立てる音が気に入ったようで、ラッキービーストから外したそれで遊び始めました。好奇心旺盛で興味の対象がすぐ変わる辺りはまさにネコです。
「ここからどうすればいいんですか?」
「真ン中ノレンズヲ外シテ、代ワリニボクヲ入レルンダ」
かばんが予備の方にはまっていたレンズ状の部品を外し、腕のバンドからラッキービーストを取ります。それをボディにはめ込もうとしたところで、ふとその手が止まりました。
「ラッキーさん、今外したこっちのラッキーさんはどうなるんですか?」
「ドウモナラナイヨ。ズットソノママダヨ」
「……でも、目を覚ましたら、こっちもラッキーさんになるんですよね?」
「ソウダネ。僕トハ別個体ダケド、ソレモラッキービーストデアル事ハ間違イナイヨ。デモ起動前ダシ、僕達ハ沢山イルカラ、気ニシナクテイイヨ。ソレハソノママソコニ置イテオイテ」
「…………」
かばんは何かを考え込むように動きを止め、それからおもむろに、起動前の方のラッキービーストを腕のバンドにはめ込みます。いつの間にかビニールを手放していたサーバルが、不思議そうな顔で尋ねました。
「そっちのボスもつれてくのー?」
「うん。こうした方がいいと思ったから」
かばんはそのまま何も言わず、腕にあった方のラッキービーストをボディにはめ込みます。カチリという軽い音と共に、あるべき場所に戻ったパーツは、赤く点滅し始めました。
「再起動中……再起動中……」
誰も何も言わず息を呑み、合成音を吐き出すラッキービーストを見つめます。レンズ状の部品が赤から青になり、目に光が灯ります。そして、仰向けになっていたボディが立ち上がりました。
「コノ体デハハジメマシテダネ。ボクハ、ラッキービーストダヨ」
「……ボス? もどったの?」
「ソウダヨ。コレカラモヨロシクネ、カバン、サーバル」
「わぁ……! はい、よろしくお願いします!」
「やったー! ボスが元にもどったー!」
かばんは喜色を顔いっぱいに湛え、サーバルはぴょんこぴょんこと全身で喜びを表現します。そんな二人に、あおかげが顔を向けました。
「おめでとう、と言えばいいのかな?」
「うん、ありがとう!」
「ありがとうございます、あおかげさん」
「私は何もしてないが……そうだね、二人はこれから時間はあるかな? あるのならここを案内してあげよう」
「いいんですか?」
「ああ、折角だしね」
「わーい、ありがとうあおかげー!」
「――――アッ」
ようやく復活したラッキービーストが、不吉な声と共に横に倒れます。二人が慌ててその体を支えました。
「ボス!?」
「ど、どうしたんですかラッキーさん!? まさか、何か不具合が……!」
新しい体に何かあったのかと焦る二人に、ラッキービーストは目を弱々しく点灯させて告げました。
「電池ガ切レカケテイルヨ」
「え?」
「光ニ当テレバ充電サレルカラ、後ハ頼ムヨ」
その言葉を最後に、ラッキービーストは沈黙しました。長時間放置されていたので、充電池が放電してしまっていたようです。どうにも締まらぬ復活劇でありました。
◆ ◆ ◆ ◆
競馬場の中を見て回ったかばん達は、運動場へと出て来ていました。一面が砂に覆われた、訓練用と思しき薄い象牙色のグラウンドです。
「――心配カケタネ。モウ大丈夫ダヨ」
「あ、ボス! やっと起きたの? おねぼうさんだね!」
「ラッキーさん、本当に大丈夫なんですよね?」
かばんに抱きかかえられていたラッキービーストが、返事の代わりにその手から離れ下に飛び降りました。ようやく動けるまでに充電されたようです。小さな体にそぐわぬ脚力でぴょこぴょこ飛び跳ね、足跡が砂に幾重にも重ねられました。
「ん?」
不意にサーバルの視界に、白が映りこみます。彼女がそちらに顔を向けると、白い少女が軽快な足取りで馬用のハードルを飛び越えていました。
「あおかげ、あの子は?」
「ああ、彼女も同じサラブレッドで、“しろげ”だ」
あおかげとは全くの同種ですが、白色のサラブレッドは非常に珍しい存在です。突然変異かその遺伝でしか生まれません。なおアルビノではないので、目は赤くはありません。
「キレイなジャンプだね」
「うん、すごいねサーバルちゃん」
「ひゃあっ!」
見慣れぬ二人に驚いたしろげが、柱の陰に隠れます。柱は細いので隠れ切れていませんが、彼女はそこからおずおずと顔を出し、視線をさまよわせながら問いかけました。
「い、いつの間に……。あおかげさん、“くりげ”さん、その方達は……?」
「え?」
初めて聞く名前にかばんとサーバルが後ろを振り向くと、そこには一人のフレンズが佇んでいました。バケツらしきものを抱え、そこから何かを口に運んでバリボリとかじっています。サーバルが目をぱちくりさせ、端的に
「……だれ?」
「くりげだよ。珍しい子がいるね!」
「くりげさんもサラブレッドなんですか?」
「そうだよ!」
溌剌そうな彼女は、あおかげ達とは少し異なり、陸上選手のような格好をしています。具体的にはスパッツではなくパンツです。“
「なに食べてるのー?」
「ペレットだよー。力がモリモリ湧いてくるよ~! あなたも食べる?」
「わーい、食べる食べるー!」
サーバルは小さな円筒状のそれを受け取り口に放り込みます。しかし次の瞬間、その顔は何とも言えない表情へと変じました。
「うー、へんな味ー……」
「ありゃ、口に合わなかった? おっかしいなぁ、とっても美味しいんだけどなー」
馬用ペレットの原料は、牧草やふすま(小麦の皮部分)、トウモロコシ、大豆の搾りかす等です。肉食獣のサーバルには消化出来ません。フレンズ化した今なら可能なのかもしれませんが、それでもやはり元の動物の性質が美味しいとは思わせないようでした。
「これから競技場に行こうと思っているんだが、二人は来るかい?」
「は、はい!」
「私も行くー!」
しろげはおずおずと、くりげは元気よくあおかげの提案に賛同します。そうして全員で競技場へと向かう事になりました。
◆ ◆ ◆ ◆
競技場に続く暗いトンネルの中を、あおかげの先導で歩きます。ほとんど何も見えていないかばんが、きょろきょろしながら不安そうに言いました。
「真っ暗ですね……」
「暗いところはまかせて!」
暗闇の中でサーバルの瞳が光っています。これは網膜の裏側に“タペタム”という反射板があるためです。外から目に入った光は、網膜を通り抜けた後、タペタムに反射して再度網膜を通り、外に出て行きます。光が網膜を二度通る仕組みになっているので、弱い光でも物が見えるのです。
その一方、ネコは視力が悪く、色もほとんど分かりません。ですがかばんとの会話を見る限りそういった事はなく、ヒトと同じ色覚を得ているようです。
「ここだよ」
「わあ……」
「ひろーい!」
トンネルを抜けた先は、広い広いグラウンドでした。一周で3.5㎞くらいはありそうです。先程の運動場とは異なり、トラックには芝が敷き詰められています。
休日の競馬場といった風情ですが、よく見ると木が伸びすぎてスタンドからの視線を塞いでいたり、柱の上のナイター用照明がいくつか脱落していたりと、やはり人が出入りしていない事をうかがわせていました。
「よし。じゃあ、一勝負しようか」
「え?」
あおかげが唐突に告げます。一瞬面食らったサーバルでしたが、負けないよー! と宣言すると意気軒昂にスタートラインにつきました。
「がんばれがんばれー!」
「よーし、じゃあ行くよー。位置について、よーい――――ドン!」
しろげの合図と共に、二人は一斉に駆け出します。砂ではないので砂煙は上がりませんが、代わりに踏まれて千切れた草の青臭さが風に乗って鼻をくすぐります。三人と一体が見守る中、あおかげとサーバルは疾風の如く走り抜け、コースを一周して戻ってきました。
「勝った」
「速すぎるよぉ~」
「惜しかったね、サーバルちゃん」
勝ったあおかげが両手でガッツポーズを決め、負けたサーバルは地面にうつ伏せになってヘコんでいます。そんなサーバルを見てか、復活したラッキービーストが解説を始めました。
「サラブレッドハ最高デ時速90㎞ニモ達スルンダヨ」
「それって、プロングホーンさんと同じくらいですよね?」
「ソウダヨ。ソコマデ速度ヲ出セル個体ハ少ナイケド、ソレデモヒトヲ乗セタ状態デ、時速70㎞クライハ出セルヨ。ソノ速度ヲ数分間保ツ事モ出来ルヨ」
「とっても力持ちで足が速いんですね」
ちなみに日本在来馬だと、どう頑張っても時速40~50㎞程度しか出せません。体高(動物が立った時の、地面から肩までの高さ)が170㎝もあるサラブレッドと異なり、120㎝くらいしかないからです。サラブレッドは『足の速い馬を掛け合わせた品種』という事もありますが、それ以前に足の長さが全く違うのです。
「ヒトを……乗せる……?」
呟かれた声にかばんが顔を向けると、くりげが遠い目でラッキービーストを見つめていました。あおかげが訝しそうに彼女に近づきます。
「どうしたんだい?」
「――へ? い、いや、ちょっと……そうだ、そこのあなた!」
「は、はいっ!」
急に呼ばれたかばんが、ピンと背筋を伸ばします。
「ちょっとこっち来て!」
「え、えっと、どうしましたか?」
「いいから私に乗って!」
「はい!」
勢いに押されたかばんが、言われた通りくりげの背中に抱き着きます。くりげは一瞬何かに気付いたような顔になりましたが、すぐに眉根を寄せました。
「違う……こうじゃない……。近いけど……そうだ、こう!」
「え? うわっ!」
くりげがかばんを持ち替え、両手でその足を支えました。その様はまるで
「そう、これこれ! なんだか分からないけど、すっごくしっくり来るー!」
「な、なんだろう……何故か、とっても懐かしい気分……」
「確かに……いや、ひょっとすると……」
それを見た二人のサラブレッドは、何だかよくわからないショックに愕然としています。少し考え込んだあおかげがダッシュで厩舎に向かい、何かを取って戻って来ました。
「なにそれー?」
「分からない。が、今こそ必要なのではないか、と感じたんだ」
彼女が持ってきたのは、黒い棒状の物体です。長さは60㎝ほどでしょうか。柄が付いており、中ほどから平べったく滑らかになっています。この場ではラッキービーストしか知りませんが、それは乗馬鞭と呼ばれるものでした。
「はい、これ持って」
「え? え?」
あおかげが鞭をかばんに渡します。流れに流され思わずそれを手に取ったかばんと、彼女を背に乗せるくりげを見て、サラブレッド二人の目がきらきらと輝きました。
「お、おおおお……!」
「こ、これは……!」
馬に跨るヒト……のフレンズ版です。鞭がそこはかとなく危険な雰囲気を出していますが、乗せている方は大真面目です。野生で生きられないサラブレッド*1という時点で推測はつきましたが、やはり彼女達はかつてヒトの飼育下にあった個体のようでした。
「これだー! いっくよー!!!!」
「え? えっ!?」
テンションが振り切れてしまったくりげが、勢いよくコースを走り始めました。まるで暴れ馬です。いや彼女は馬なのですが。
「あはははははは!!」
「うわああああぁぁぁ!!」
かばんは振り落とされないよう彼女の頭のバンドを掴みますが、ちょうど手綱を持つようになってしまい、それがくりげをなお一層猛り立たせます。競走馬としての本能に火がついてしまったようです。
「へぶっ!」
「うわっ!」
しかしはしゃぎすぎたのか、くりげは盛大に転んでしまいました。慌てて三人が駆け寄ります。
「か、かばんちゃん大丈夫!?」
「う、うん。ちょっとびっくりしたけど」
地面は芝で柔らかく、ちょうどくりげがクッションのようになったのでかばんは無傷で済みました。しかし下敷きになった方は、そうはいかなかったようです。
「い、痛たた……」
「く、くりげさん、それ……!」
「え……?」
しろげが指さす彼女の膝には、軽い擦り傷が出来ていました。出していた速度がうかがえますが、フレンズは基本頑丈なので大した事はありません。しかしサラブレッド達にとっては、そうではないようでありました。
「な、なんてことだ……」
「う、うそ……」
目は見開かれ体はわなわなと震え、傷から目を離せません。ケガを負ったしろげが、全てを諦めたようにため息をつきました。
「ああ、これで終わりかぁ……。あおかげ、しろげ、私が死んだらここに埋めてね……」
「そ、そんな、くりげさん……」
「……分かった」
「あおかげさん!」
「聞き分けるんだ、しろげ……!」
まるで通夜か葬式のような雰囲気です。いきなりの
「え、えっと、どうしたんですか? そんなに大きなケガには見えませんが……」
「大丈夫! そのくらいならツバをつけて休んでれば治るよ!」
サーバルが野生動物的治療法を提案します。野生の世界ではケガは即座に死に繋がりますが、それは重傷ならばの話。しろげの負った程度のケガなら、サーバルの言う通り舐めておけば治るでしょう。いささか雑ではありますが。
「足を怪我した馬は、死ぬしかないんだ……」
「だから、私が死んだらこの競技場の真ん中に埋めてね……。見晴らしがいいから、ゆっくり眠れると思うの……」
「え、えっと……?」
「事実ダヨ、カバン」
事態が飲み込めず更に混乱するかばんに、ラッキービーストが目を光らせ解説を始めます。
「馬ハ歩イタリ走ッタリスル事デ、体中ニ血液ヲ送ッテイルンダ。ダカラ動ケナクナッタ馬ハ、心臓ダケデハ血液ヲ循環サセル事ガ出来ズニ死ンデシマウンダヨ」
「そんな……!」
「でも、しろげのケガくらいなら歩けるとおもうよ?」
「脚ヲ怪我スルト他ノ脚ニ負担ガカカッテ、蹄ガ
馬が脚を骨折しただけで処分されるのはこのためです。放っておくと、血行の滞った体の末端から壊死して悶え苦しんで死に至ります。安楽死は可哀想と言う者もいますが、むしろ慈悲なのです。
現在の技術ならよほどの重傷でない限り骨折も蹄葉炎も治るようになってきていますが、それでもやはり問題はあります。治療中に痛みで暴れて転倒し、より重傷を負ってしまう事や、ストレスから治療困難な病気になってしまう事があるのです。そうなればやはり安楽死させるしかありません。
結局のところ馬とは、走れなくなった時点で死ぬ生物なのです。野生では『足を折る=動けなくなる=敵に襲われる』なので、そういう仕様なのも仕方のない事かもしれません。猫のような小さな生物なら物陰に隠れて回復を待つ事も可能ですが、馬は長期間横になると死ぬ*2のでそれも不可能です。
「そんなのだめだよ! ねえボス、なんとかならないの!?」
「アワ、アワワワワワワ」
激したサーバルがラッキービーストを掴んでゆさぶります。折角復活したのに、またスペアボディが必要になりかねない勢いです。
「お、落ち着いてサーバルちゃん」
「でも、かばんちゃん!」
「さっきのはフレンズになる前の話だから、今は大丈夫だよ。ですよね、ラッキーさん?」
「ソウダネ。フレンズ化シタ今ナラ、ジャパリマンヲ食ベテオケバ治ルヨ」
えらくぞんざいな治療法が出てきましたが、要はサンドスターを補給しろという事です。フレンズならそれで十分治ります。不思議生物です。
「ソレデモ心配ナラ、ココニハ救急箱ガアルハズダヨ」
「案内してください」
◆ ◆ ◆ ◆
「はい、これでもう大丈夫ですよ」
くりげの膝を、白い包帯が覆っています。それを為したかばんは、彼女を安心させるように微笑んで治療の終わりを告げました。
「だ、大丈夫なのかい?」
「う、うん、もう痛くないよ」
「このままじっとしていればすぐ治ると思います。あとはラッキーさんの言っていたように、ジャパリまんを食べてください」
その言葉を聞いたくりげは、半ば呆然としてうわ言のように言葉を吐き出します。
「わ、私、死なないの……?」
「フレンズナラソノ程度ヘッチャラダヨ」
「う、うわーん、ありがとー!」
「うわっ!」
くりげがかばんに抱き着き、おいおいと泣き始めてしまいました。一瞬驚いたかばんでしたが、すぐに落ち着きその背中をぽんぽんと軽く叩きます。
「いや助かったよ。君はくりげの恩人だ」
「いえそんな、僕は……」
「だからお礼に、今度はオレに乗ってくれ」
「え?」
スッとごくごく自然な動きで、あおかげが背中を向けて膝をつきます。かばんは何を言われたかすぐには飲み込めず、目を白黒させています。そんなあおかげに向け、しろげがいきり立ちました。
「あーっ、ズルいですよあおかげさん! 次は私に乗ってもらおうと思ってたんですから!」
「いやいやこれはあくまでお礼さ。だからホラ、遠慮せずに、さあ」
「ちょっと待ってあおかげ、何しれっと横から割り込んでるの!」
くりげが復活しました。今泣いたカラスが何とやらです。いや彼女は馬ですが。
「それよりさっき転んだ時に閃いたの! さあ、これで私のお尻を叩いて! これはきっとそうやって使うものだったのよ!」
「え、えぇ~!?」
くりげが鞭を手にかばんに迫ります。鞭を無理矢理かばんに持たせ、そのままお尻を突き出します。色んな意味で犯罪的な光景です。まさか本当に叩く訳にもいかず、困り切ったかばんは頼れる友人に助けを求めました。
「サ、サーバルちゃん助けて!」
「私知ってるよ! たたかれて喜ぶのは、マゾって言うんだよね!」
「サーバルちゃんッ!?」
笑顔でとんでもない台詞が飛び出てきました。もっとも
とにもかくにも、この友人の助け舟は泥舟だと確信したかばんは、今度はラッキービーストに助けを求めました。
「ラッキーさん!」
「ゴメンネカバン。ラッキービーストハ、フレンズニ直接干渉出来ナインダ」
「さっきまで普通に喋ってたじゃないですか!」
唐突なポンコツ化です。役に立ちません。むしろ空気を読んだ結果のようなので、ポンコツというよりは高性能の証かもしれませんが、どっちにしても役には立ちません。
「さあ」
「さあ!」
「さあ!!」
黒白栗のサラブレッドが鼻息も荒く迫ります。かばんは思わず顔を引きつらせますが、助けの手はどこにもありません。ジャパリパークでは、自分の身は自分で守るのが掟なのです。
「かばんちゃん、大人気だね!」
「こ、これはなにか違うよぉ~!」
爽やかな風が吹く競馬場に、ちっとも爽やかではないかばんの悲鳴が響き渡りました。
――――――――――――――――――
*1 野生で生きられないサラブレッド
速度以外を切り捨てているので他がしょぼく、逃げても野生化は無理。人間が競馬を止めたらまず間違いなく絶滅する。
*2 長期間横になると死ぬ
自分の体重で内臓に負担がかかり、様々な不具合が出る。
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