ep.01 非日常のはじまり
西暦2371年。この国は、テロリストの脅威を拭えずにいた。『エボルヴ』と名乗るテロリストは、[民主制ではなく王政こそが至高の政治。我らが政治を取り戻す]という理念と呼べないものを理念とし、武力を以て行動する。
テロリストとの抗争は国内紛争と言うまでに発展した。長引く戦いに終止符を打つため、軍は秘密裏に開発していた人型人形ドールを戦場に投入した。部分的に改造された人間である彼女らは戦況を大きく変え、軍を勝利に導いた。
これは、その人型人形ドールの生き残った内の1人の話。
────────────────
『テロリストに告ぐ。君達の前線は崩壊、本部を完全に包囲している。投降しろ』
──────何処からか、声が聞こえる。遠く、ずっと遠くから。声の場所からは、そんなに離れていない筈なのに。
この放送が戦闘中止の合図にも関わらず、私の身体は動くことを止めない。止めたくても、止められない。
「あはははっ!もっと頑張ってよ!そんなんじゃ皆死んじゃうよ!?あははっ!」
微睡みの中で聞こえる私じゃない私の嗤い声。まるで相手を嘲笑うかの如く、次々と人を殺していく私の身体。
────止めて。お願いだから、止めてよ、《アカリ》───。
***
────────!
「──はぁ、はぁ──。」
最悪の目覚め、と言わんばかりの顔の青さ。息が荒く、嫌な1日の始まりをベッドの上で迎えた
時折見る彼女の夢は、過去の出来事の回想。茜が戦場を駆け回り、敵味方関係無く命を奪っていく。
カーテンを開けっ放しで寝ていたせいで目が眩む。見ると、青く、雲1つない空が窓の向こうに広がっている。何年も荒れた戦場の近くで過ごした彼女は、まだこの青い空を見ることに慣れていない。戦争が終わり、後に引き取られた先のこの家で、何回も青空を見てきたのに。やはり、2ヶ月やそこらでは、十数年の生活で身体に染み込んだ感覚は変わらないものなのかもしれない。
時刻は7時過ぎ。深呼吸を1度して起き上がり、茜は自分の有り様に驚く。夏とはいえ、尋常ではない量の汗をかいている。ベッドのシーツには自分の汗と思われるシミがある。空調が正常に動いているのを見て、機械が原因ではないことを確認し、溜め息を1つ。
「どうして、こんな夢を今日見るのかな───」
茜にとって、今日──9月2日は新しいことを始める日。自分にとっての非日常が始まる日なのだ。心の中は興奮で溢れそうであったのに、非日常に対する興奮は夢のせいで薄れてしまった。
「茜ちゃん、起きたの?」
1階から、養母である圭子の声が聞こえる。
「あ、はい!起きました!」
朝御飯できてるから、降りてきて。と言われ、着替えを済ませて階段を降りる。その途中、良い香りが鼻を通る。
───この臭い、今日の朝御飯は食パンに目玉焼き、サラダかな。
朝食のメニューは定番中の定番だが、茜にはこの『普通』が何より嬉しい。
「おはようございます。圭子さん、武志さん」
「おはよう」
「おはよう、茜ちゃん」
朝食が並ぶ食卓に座っている圭子と武志。戦後、茜を引き取ってくれた心優しい農家の夫婦に、茜は救われた。《ドール》を人間として扱ってくれない民衆ばかりを見てきた茜にとって、彼らは希望の光と言うのが相応しい人だった。
「今日から学校だね。準備はもう出来てる?」
「はい、バッチリです!」
この日から始まる茜にとっての非日常。それは学校だ。人から蔑まれるのは分かっているが、茜は学校にどうしても行ってみたかった。知らない世界を見てみたかったのだ。
「ご馳走さまでした。それじゃあ、行ってきます」
「あ、待って、お弁当忘れてる」
差し出される弁当箱を見て、茜は微かな気分の高揚を感じる。
「えへへっ。ありがとうございます!」
自然と笑みがこぼれる。初めての弁当。初めての制服。初めての通学路。初めての学校。初めての授業。楽しみであり、不安でもある。
玄関で靴を履き、扉を開けると、先程見た日光が茜を照らしている。
────早く学校に行ってみたい。
茜を照らす光に気分を高揚させられる。
「行ってきます!」
足早にバス停へ向かう茜の背中に手を振る圭子と武志。その顔はどこか不安の色が滲んでいた。
「大丈夫かな、あの子」
圭子が不安の声を口から溢す。学校へ行くことを楽しみにしていた茜を見ていたときは圭子自身もどこか浮かれていた。しかし、いざ学校へ行くとなると、不安に思う気持ちが大きくなったらしい。
「大丈夫。あんなに良い子じゃないか」
「茜ちゃんが人から白い目で見られるのは、少しツラいよ」
そうは言ったものの、武志自身も心の中では不安を感じている。自分を落ち着かせるためにもそう言ったのかもしれない。
***
────考えてみたら、家から離れた場所に来るの初めてかも。
初めて来る場所に浮き足立つ、そんな感覚は茜にとって初めてだった。同じ服装をした、自分と同年代の少年少女が同じ方向に歩いていく光景は、少し戦時中の感覚と似ている箇所がある気がした。───ただ違うとすれば、大人でないことと、皆顔が生きている、ということ。
挨拶の飛び交う音がする。その方向に顔を向けると、生徒達が門をくぐり、話し、笑い、歩いている。茜もその場所に、遂に足を踏み入れる。
────ここが、学校。
「はじめまして、穂原さん。貴女の担任の河島です」
職員室に入ると、茜の担任を名乗る若い女性が挨拶にやって来た。柔らかい雰囲気の彼女からは化粧や制汗剤の少し甘い臭いが漂ってくる。
「あっ、は、はじめまして。穂原 茜です」
少し慌てて挨拶を返す茜を見て、担任はクスッと笑みを溢す。恥ずかしいところを見られ、茜の顔が少しだけ火照る。
「河島がんばれよー。お人形さん連れて面倒事を起こさないようにな~」
突然、野太い男のやる気の無い声が2人の耳に飛び込んできた。茜が目を向けると、ニヤけた顔の髭を少し生やした男性教師がそこにいた。その教師が発した言葉につれて、何処からか、小さな笑い声が聞こえてきた。
茜が担任に目をやると、苦笑いをしている彼女がいた。
─────なんか、気分が悪いっ──!
「えっ、ちょっと?穂原さん!?」
気付けば茜は例の男性教師の目の前にいた。その茜の顔にはうっすら、怒りが浮かんでいる。
「先生、1ついいですか?」
「な、なんだ?」
男性教師は少し狼狽え、椅子が少し揺れた。そんな教師を見下ろしながら、茜の口がゆっくり開く。
「私、先生のこと、大嫌いです」
そう言いながら茜は心の中で呟いた。
────あ、この人の授業、終わったな。と。
***
「穂原さんって思ってた子と違うんだね」
「へ?」
教室へ向かう廊下で、担任が言った。
「さっきのアレ、穂原さんに惚れそうになったよ。カッコよくてキューンってなっちゃった!」
「いえ。その、私のせいみたいな感じだと思ったので」
でも、ああいう人にはガツンと言ってやりたいのが、穂原 茜という人物なのだ。困った人を見てしまえば、動かずにはいられない。
「今度穂原さんに何かあれば、私が守らなきゃね、うん!」
───そこまでしなくても良いんだけどな、先生。
そう思いつつも、茜はその言葉が嬉しかった。また、人の優しさに触れた瞬間。
「ここが2年1組。穂原さんが入るクラスだよ。ちょっとの間待ってて、すぐ呼ぶから」
教室の外で待つように言われ待つ。
────大丈夫かなぁ。なんか、心臓すんごいバクバクしてきた!
いよいよ、と思うと肩に架けている鞄を持つ手に力が入り、ギュッと音が出そうな程強く握ってしまう。朝あんなに汗をかいたのに、手にはまた汗が滲む。落ち着こうとすればする程、焦ってしまい、目の前のドアが大きく見える。
「それじゃあ、入ってきて!」
「ぅん、はい!」
急に言われたものだから、変な声を出してしまった。
茜はドアノブにゆっくりと手を伸ばし、ガラッと音をたてながら未知の空間へ自分の身体を持っていく。その刹那、茜は身体に視線の刺さる音が聞こえた気がした。今までに感じたことのない視線だった。
その視線を感じながら、教卓の横に立つ。
「さ、自己紹介して」
「はい」
息を深く吸い、気持ちを整える。
「は、はじめまして、穂原 茜です。今日から皆さんと一緒に勉強させてもらうことになりました」
自己紹介が終わったと思い、何人かの生徒が掌を合わせようとしたその時、茜の口が再び開く。
「ド、《人型人形》────です」
その言葉を口にした途端、生徒達の顔が変わった。さっきまで笑顔だった顔、さっきまで楽しそうだった顔、それらが、いきなり無になるのを茜は見た。
「ドールってアレでしょ?戦争に使われてた人形ってヤツ?」
「なんで学校に来てるの?」
「ウチの親、あんまり良い印象が無いって言ってた」
教室内から、小さな話し声が浮かび上がってくる。小さな声は集まり、次第に大きな声へ。
───まぁ、当然だよね。今までだってそうだったじゃん。
急に現実に引き戻された気分だった。そう、コレが現実。戦地から遠く離れたこの場所でも、人型人形を人と扱わない人達が多い。分かってたことだ、何を今更。と自分に言い聞かせ、茜は顔を下に向ける。
「はいはい!静かにして!───穂原さんの席は窓側の1番後ろね」
教卓に立つ担任が生徒達の声に割って入り、茜に席に向かうよう促す。
席に向かう途中には教室に入ったときとは違う、別の視線を感じた。まるで異物でも見てるかのような、そんな視線に思えた。中にはまだ声も聞こえた。
学校、こんなに居づらい場所だなんて、思わなかった。武志さんや圭子さんから聞いた話と、全然─────いや、違うのは、私か────。
席に着いた後の担任の話は、全くと言っていい程、茜の耳には入らなかった。その状態でも、なんとか号令だけは無事に済ませることができた。
────軍の頃の癖が出なくて良かった。
最悪の目覚めで朝を迎え、学校生活が望まぬ形でスタートした。心のどこかに虚無感を感じながら窓の向こうに浮かぶ空に目をやる。1時間前に見た心地好いまでの空に、今ではどこか、悲しみを感じる。
誰も話しかけて来ず、嫌な視線だけを送ってくる、居づらい空間。
「や、はじめまして」
ふと、前方から若い男の子の声が耳にやって来た。顔を上げると、すぐ目の前に爽やかな容姿をした黒髪の少年がいた。
「は、はじめまして───」
「俺、前の席の
突然の出来事に戸惑う茜を他所に、少年は自己紹介を始めた。茜はそんな彼を不思議に思った。話してきたこともそうだが、彼の顔が笑顔であったことも不思議だった。
「あ、どうも。穂原 茜です。────えっと、良いんですか?」
「ん?何が?」
「その、私と話してたら変な目で見られるんじゃ───」
────私のせいで、他の人に迷惑をかけられない。
しかし、巧はキョトンとした後、すぐに優しい笑顔に戻り言った。
「ははっ。穂原さんて優しいんだね。大丈夫、別に俺が話したくて話してる訳だし、それに穂原さんと話しちゃいけないなんてルールは無いよ?」
とてもまっすぐな言葉。─そんなルールは無い─そんな言葉に茜は救われた気がした。
────どことなく、雰囲気が教官と似てるかも───。
そんなことを考えていると、教室のドアを誰かが開ける音がした。
「たぁくみー!現社の教科書貸してぇ~!」
元気な女の子の声と共に男1人、女2人の3人組が入ってきた。どうやら前の席の巧の知り合いらしい彼女らは茜と巧の席へと近づいてくる。
「およ、初めて見る子だ。あ、もしかして編入生?」
「あ、はい。穂原 茜です」
ポニーテールの彼女はどうやら茜に興味津々な様子だ。茜が編入生だと知ると、すぐに茜の手を握り、
「私、編入生って初めて見た!穂原さんね、よろしく!────あ、私は
────元気が良い子だなぁ。よろしく2回言ってるし───。
目をキラキラさせながら、じっと茜の目を見つめる彼女───悠莉は笑顔の耐えない元気ハツラツな少女だ。
「俺、
「
悠莉の後ろから少し長い髪の毛を携えた背の高い少年と、少しクールな感じのショートヘアの少女が顔を覗かせる。
「えっと、皆さんの関係は?」
「私達、幼なじみなんだ。小学校からの腐れ縁?ってやつ」
どこか嬉しそうに話す悠莉を見て、茜も顔が柔らかくなる。
───いいなぁ。こういう楽しそうな、キラキラした関係。
そんなことを考えていると、悠莉が思い付いた!というような顔をして、
「そうだ!穂原さんはもう校内見て歩いた?」
「そういえば、まだです。後で校内案内図貰わな───」
「じゃあ!私達が昼休憩に案内したげるよ!」
茜が言葉を言い切る前に、悠莉が茜にとって思いもよらない提案をした。一瞬だけ、茜は固まる。目を名一杯開き、口はキュッと閉じた少し不細工な顔。
「────え?」
やっと声が出たが、どこか情けない声で。
いいね。と皆が悠莉の提案に賛同する声をあげる。
────おそらく、もう決定事項。でも、とても嬉しいな。仲良く、なれるかな。
「じゃ!そういうことだから、お昼は一緒に食べようね、穂原さん!」
そう言うと、悠莉は巧から教科書を受け取るなり教室を出ていった。悠莉はまるで嵐のような人物で、茜はポカンと口を開けたままだった。
***
「気を付け、令」
4時間目終了の号令が教室に響く。
そういうわけで、昼休憩に突入した。
「おまたせ!屋上行こ!」
チャイムが鳴り終わると同時に悠莉が走ってやってきた。登場までも嵐のようで、茜は内心少し笑っている。
幼なじみ4人組らはいつも屋上で昼ご飯を食べているらしい。
屋上に行くと空一面に鮮やかな青色が広がっている。高い場所から見る青い空は想像以上に心地よく、綺麗な光景だった。先程茜が感じた虚無感は何処へやら、今はとても気分が良い。
皆、座り弁当を開ける。
「穂原さんの弁当すごい美味しそう!」
口を最初に開けたのは悠莉だった。
茜の弁当箱には、家で採れた新鮮な野菜と、良い焼き色の肉類が、バランス良く入っていた。
「そう言う櫛永さんのも美味しそうですよ」
悠莉の弁当箱にも、茜と同様にバランス良く詰められた食材がある。
「ねぇ、穂原っちはさ、どこから転校してきたの?」
ふと気になったのか、恵美が茜に質問を送る。
「ほ、穂原っち?」
茜が最初に気になったのは『穂原っち』という呼び方。クールな彼女が、まさかそんな呼び方をするだなんて予想外で。
「あぁ、恵美は興味ある人とか、仲良くなりたい人には『っち』を付けるんだよ。つまり穂原さんと仲良くなりたいってこ─────っとぅうぅんっ!?」
「余計なこと言ったらぶっ飛ばすよ?」
少し顔を赤くしながら恵美が巧の腹に一発入れた。智と悠莉はそれを見ながら普通に食事。一方、茜は、目の前で起きたことが衝撃的すぎて硬直。
─────殴っ───た!?
「それで、どこからなの?」
まるで、何もなかったかの様な顔で茜を見る恵美。ここは皆のようにスルーするしかないと、思う茜である。
「えっと、どこから───って言うか、ここが初めての学校なんです」
「え、どういうこと?」
巧以外の3人が首をかしげて茜に問う。───また、言わなければならない。自分が《人型人形》だということを。拒絶されるかもしれないが、隠すことは嫌だ。と心に決め、
「私は《人型人形》───なんです」
シン、と静かになる。────しかし、それは一瞬だけだった。
「へぇ。じゃあ前から学校に来たいとは思ってたわけだ」
「え?」
皆の顔を見ると、さっきと変わらない顔だった。そこには教室で見た様な光景は茜の目の前には無かった。
「なんとも、思わないんですか───?私は───」
キョトンとした顔で、幼なじみ4人組は茜の顔を見る。
「ん、別になんとも思わないよ。穂原さんとこうして話して────って少ししか話してないけど、穂原さんは良い人だよ。それで充分」
悠莉の裏の無い笑顔。悠莉だけではない。恵美も智も、皆がそんな顔だった。
────優しい。優しいけど、今まで感じてきた優しさとは何か違う────。
ふと、茜の瞳から大粒の涙が溢れ出る。
「えっ、穂原さん!?どうしよ、私、変なこと言っちゃった?」
涙を流す茜を見て、悠莉だけでなく他の3人も焦り出す。
「───グスッ。───いえ、その、すみません。───嬉しくって、私───」
拭っても拭っても、茜の涙は止まらない。
────誰だって優しい。圭子さんも、武志さんも、担任の河野先生も。けど、最初はやっぱり《人型人形》として接してたから、こんなまっすぐな優しさは、初めてだ。
最悪だと思ってた今日が、こんなにも暖かさに満ちた1日になるなんて──────。
***
─政府軍 賀田宮基地─
地方都市にある小さな基地。そこから黒い煙が見える。崩れた外壁。転がる人だったモノ。そして───そこを歩く、サイドテールの髪を携えた1人の少女。
「ふふっ。軍事基地って言っても、これだけ小さければこんなモンだよね」
瓦礫を踏みつけ、人を踏む。何も気にすることなく、少女は歩く。
「ジェネレイトスキャナーも問題なし、ウィザードのカードの能力も大体わかった。他の《人型人形》の情報もゲット。───楽しみだなぁ。1番目の子の《穂原 茜》」
崩れた軍事基地に背を向け、少女は歩き始める。ゆっくりと、弾むように、顔に歪んだ満面の笑顔を浮かべて。
「どんな反応するんだろうなぁ。『6番目』が出てきたなんて知ったらっ!あははっ!」
──to be continued──
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