小説ドリル
僕凸
プラネット・テレックス
シャッフル再生にしていたプレーヤーから、コオオオという音がイヤホンを通じて伝わってくる。風が吹き抜ける音にも似ているが、それとは違ってどこにも行かずその場に留まっているような感じがある。十秒ほどして、ゆったりとしたイントロが始まる。レディオヘッド『ザ・ベンズ』の一曲目、「プラネット・テレックス」だとすぐにわかる。
この時間、駅のホームにはほとんど人の姿が見えない。一つ大きく息を吸うと、早朝の冷たい空気が肺を満たす。イントロが終わり、トム・ヨークが歌い始める。彼の歌は、いわゆるロックのボーカルにみられる男性的な力強さとは無縁だ。しかしその声はしっかり芯が通っていて魅力的で、バンドの作り出すほの暗い雰囲気ともぴったり合っている。
やがて曲はサビにたどり着く。この曲は何といってもサビの歌詞が印象的だ。そこには一種のカタルシスがある。
何もかもが壊れている 誰もかもが壊れている
何度も聴いたこの歌詞を、今一度頭の中で反芻する。この世界にある何もかもが、誰もかもが、取り返しのつかないほどに、致命的に壊れている。そんなことはない、と人は言うかもしれない。世界は今日も問題なく回っている、われわれは慎ましく日々を送っていると。でも、と言いかけるがその続きが出てこない。どうしてこの歌詞に共感できるのか、論理的に説明することができない。
そんなことを考えていると、通過列車のアナウンスが流れる。曲は二番に入っている。左手を眺めると、貨物列車がやってくるのが見える。今立っているホームの端から、線路に飛び込むことを考える。タイミングを合わせて、もう二、三歩足を踏み出すだけで、人生を終わらせることができるだろう。今度こそ、本当の意味で自分という存在は壊れてしまうだろう。だがもちろんそんなことはしない。自殺は一つの可能性に過ぎない。そういう可能性もあると考えることが、逆説的に自分の存在を安定的なものにしている。くすんだ色のコンテナたちが、轟音とともに目の前を通り過ぎていく。音楽が聴きとれなくなる。列車が通り過ぎると少し風が吹く。トム・ヨークはまたサビを歌っている。同じ歌詞の繰り返しだ。そしてサビが終わるとすぐアウトロに入る。
君はどうして忘れられないの
君はどうして忘れられないの
君はどうして忘れられないの
演奏がフェードアウトして、またあのコオオオという音がかすかに鳴る。すぐに次の曲が始まる。多分この間入れたばかりのアルバムの曲だ。アーティストも曲名も思い出せないが、いちいち確認しない。
やがて乗るべき電車が来る。ドアが開く。電車に乗る。発車ベルが鳴り、ドアが閉まる。いつものように電車はがらがらに空いている。ロングシートの端に座り、窓の外を眺める。電車がホームを抜けると、変わり映えのしない街の風景が広がる。Everything in its Right Place というフレーズが頭をよぎる。レディオヘッド『キッドA』の一曲目だ。トム・ヨークは、「プラネット・テレックス」の五年後に、「すべては正しい場所に」と歌った。これら二曲のメッセージはどちらもよく心に響く。壊れていながらも正しい場所にあり続けることは可能なのだ。
電車の振動を体に感じながら、これからの人生について考える。たとえ何もかもが壊れていても、たとえ誰もかもが壊れていても、確かに世界は回っていて、人生は続く。そしていつかやってくる終わりに思いをはせる。目を閉じて、すべてが終わった後に残る無を想像しようとするが、うまくいかない。生きているかぎり、無になることはできない。何もかもを忘れてしまうことはできない。
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