第10話 嘆きノ森のコヨーテ

 車輪の跡だけが古道に伸びる。

 若葉が一枚落ち、弔いのつもりか先程矢に打たれて死んだ騎士が埋められている盛土に乗った。



「くっ……そ、何を、食わせやがった」



 女は外れたフードから長い黒髪を見せ、まだ痺れのある腕を握る。


 この痺れは先程見知らぬ少年に打ち込まれた手刀から来るものだと言うことは女にも分かっていた。



 数十分前までは脳震盪で視界まで歪んでいた程。


 やっとの思いで立ち上がれるようになったものの、暗殺者としてやってきた自分がまさかこんな所で堂々と暗殺らしからぬ事で追い詰められるとは夢にも思わなかった。



 おかしな少年に無理矢理口に入れられた丸薬。

 何とか全ては飲み下さずに済んだものの、少なからずは身体に影響を及ぼす筈である。


 麻痺薬か、はたまた劇薬か。何を飲まされたかは定かではない。

 しかし命ある以上、暗殺を任された身としてこのまま終わらすような無様な選択肢は女に無かった。



 ルーテシア国王の一人娘、ミュゼ=ルーテシア。

 次期ルーテシア国を治める女王となる者だ。



「あれが女王だと……?ふ、笑える」



 晩年に出来た一人娘なだけに大層甘やかされ育った王女ルーテシアだ。

 口の聞き方、その所作から考え方まで。まだ若いとはいえ、とても次期女王の器ではないと女は思っていた。



 あんなものが何れこの国を治めるのならば、親族でさえ亡き者にして権力を貪る者の方がまだマシだと。



 ただそんな事はどうであれ、今はあのおかしな少年が邪魔であった。


 王女をわざとこの嘆きノ森へ逃し獣の餌にしようと言うのに、これ以上深部へ行かれてはそれこそ今度はこちらの身が危険に晒されてしまう事になりかねない。


 女はまだ自由の効かない腕をぶら下げたまま、必死に車輪の跡を追った。




 嘆きノ森はルーテシア国端に位置すると言われる。

 すると言われる、等とその境界が曖昧なのはこの嘆きノ森を越えた者がまだ居ないからだ。


 嘆きノ森のその向こうには険しい山岳地帯があり、おそらくその先にはカルデラ帝国がある。

 その山岳地帯は深い森、つまりは嘆きノ森が恐ろしくも広大に広がっている。

 ルーテシア国の兵団調査も、国内のギルドにも森の調査を依頼してはいるがそれでも、嘆きノ森を越えて向こうに何があったかを詳しく語れる者はいなかった。



 それだけこの森は深部に行くほど危険だと言うこと。それはこの国の常識だった。



「っち、正攻法では厳しいか」



 女はやっと視界に王女の乗っていた馬車を認め、二人をまとめて消す為の策をねった。

 王女はともかく、あのおかしな少年に先ほど手も足も出なかったと言う現実は女の心に久しく無かった強い嫉妬を覚えさせていた。


 暗殺者として長い事身を染めてしまった。

 だがそれでもそれなりに生きてきた自分だ。



 自慢の弓をそう安安と剣で弾かれてはかなわない。

 そんな芸当が出来るとすればそれは最早騎士団長でも一割、冒険者ならトップクラスに位置するような人間だ。



 だが近接で味わったあの身体捌き。

 ただの子供じゃないのは認めざるを得ない。



 女はフードケープに辺りの土を塗りつけると、葉笛を作り鏃に付けた。



 この辺りの森にも十分に危険な魔獣が生息する。

 ワーウルフにデラオオムカデ、最悪キャッスルベアといったどれも危険度はこの国でクラスB以上の獣たち。


 その上森の深部となればその危険度は想像もつかない。

 クラスBの魔獣ですら危険すぎると言うのに、深部では鬼と呼ばれる化け物がいると聞く。




 女は葉笛を付けた矢を遠くから馬車の音がする方角へ向かって放つ。

 ピュイーと甲高い耳障りな音が森中に響き渡る気がした。


 葉笛は獣避けによく使われるが、魔獣が居るような所では逆効果だ。



 魔獣は獣の比べて知恵がある。

 この葉笛を聞きつけた魔獣は人間だと感づき音のする方へ向かってくる筈だった。


 そこへ人間の臭いを感じれば当然その臭いの元は魔獣の食料となる。



 女は念の為更に体中を土の臭いで覆い、静かに王女の馬車へと近づく。


 馬車の速度が落ちている。


 何かに勘付いたのだろうか。


 だが時既に遅し、だ。



 見れば葉笛に真っ先に寄せられたのは……野生のコヨーテか。


 通常であれば葉笛で逃げていくような獣だった筈だが、と女は疑念を抱いたがどちらにせよ狙われるのはあの二人である。


 気付けば野生のコヨーテはあちらこちらから集まり、馬車を囲うように群れをなしていた。



「なんだって、こんなに……」


 葉笛で獣が寄ってくるだけでもおかしい。


 それに加えてあの数。


 魔獣認定を受けていないとはいえ、コヨーテの群れを一人二人で相手取るのは至難だ。このままでは幾ら臭いを誤魔化しているとは言え、自分の身すら危ういと女は考えた。


 どちらにせよあれ以上深部へ進めば手を下さなくとも勝手に朽ち果てる。


 そう思い踵を返そうと顔を上げ女は驚嘆しかけた。



 コヨーテ達が、寝ている?



「なんだ……眠り薬でも使ったのか」



 そう思うのも無理はない。


 十匹近くはいたであろうコヨーテ達が少し目を離している間にすべて倒れている。


 中心にはあの少年がいた。


 鞘も抜いていない剣を片手に。




 まさかそれで倒したとでも言うのか。

 あり得なかった、馬鹿なと。



 少年は周囲を見回しながら、一匹のコヨーテを荷車に投げ入れると再び馬車を動かしだした。


 馬車でぎゃあぎゃあと騒ぐ王女の声が遠耳に聞こえる。



 一瞬少年と目があった気がした。




「何が、起こったというんだ」



 森には再び荷車の音だけが薄っすらと響き渡り、やがて静けさを取り戻していた。

 女は何が起こったのかを確かめる為慎重に倒れるコヨーテ達の元へと向かう。



 万が一眠りから覚めては間違いなく自分は餌と化す。


 しかしそれは無用の心配だと悟った。



「馬鹿、な、待て。どうやって……有り得ない」



 コヨーテは全て一撃で首を折られていた。

 長物で殴りつけられた跡は窪み、コヨーテ達は口から血を垂れ流している。

 それは毒を盛られたと言うより、確実に戦った何よりの証拠であった。



 おかしい。

 不可解すぎる。


 自分が目を離したのはそんなに長かったろうか? そんな疑念すら抱きたくなるが、そんな筈はないと女は思い直す。


 ほんの一瞬だった。

 そもそも一部始終をほぼ見ていた筈だと。



 コヨーテが一匹、二匹と現れ気付けば馬車はコヨーテの群れに囲まれた。

 その時まだコヨーテ達は襲撃すらしていなかった筈だ。


 そこで危険と思い、身を翻そうしたその間。

 時間にして数秒。



 数秒であの数の獣を叩き殺したとでも言うのか。

 そんなものは最早人間が成せる業ではなかった。


 女は逡巡する。


 このまま見過ごすべきか、それともあの少年の本性を見定めるべきか。

 何かおかしな力を使ったのかもしれない。

 例えばそう、この国には数こそ少ないが魔法を使える者もいる。


 だとすれば自分がやられた原因も分かるはずだ。



 女は既に王女の暗殺よりも、その少年の正体を知りたいという欲求に駆られていた。


 嘆きノ森。無事に往来を済ませる者も数少なく、その深部は数多の魔獣の住処といわれる。未開の地。



 間違えれば自分を死に追い詰める事にもなるだろうがどちらにせよ、ここで引き返し虚偽で依頼遂行を報告しても何処かで王女がまた現れてしまえば自分の命はないのだ。


 女はフードを外してコヨーテ共の亡骸を踏み越えると、また車輪の跡を辿って足早に古道を駆けていた。

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