閉じ込められて、自由に

@mas10

第1話



 人の生は、砂時計と共に。



 ◇◆◇


 大きな窓から、外を眺める。窓の外にかかった氷柱は光を反射し美しく。暖かな日差しと寒々しい裸の木。所々残る薄い雪は、踏みにじられて道を汚らしく汚している。生まれてこの方十数年。降り続けている雪は最近穏やかになり、二十五年ぶりの春が訪れようとしているのが感じられるようだ。と、自分には関係のないことをつらつらと考えながら軽く目を細めた。

穏やかな空気を纏って歩く人々は既に自分とは関わりを得えず、窓の外はまるで異界だ。皆が首にかけた砂時計が首輪のようだと考えて、これを誰かが聞いたなら、十中八九言うだろう言葉に思わず笑みが零れる。曰く。僻みか、と。

 人はいつの間にか、砂時計と共に生きるようになった。それは一年を四つに区切るはずの四季が、百年を四つに区切るようになった頃からか、或いは以前か。誰にもわからない。ただいつの間にか、人は砂時計を手に入れるようになった。生まれた瞬間に、彼らは砂時計を手に入れるのだ。枕元に添えられた砂時計は、持ち主の性質と、人生を物語る。誰がくれるのかと訊ねれば、とある少女はどこかの誰かがくれるのよ、とそれは投げやりに答えてくれた。サンタクロースのようなものだろうかと問えば、馬鹿ね。親がくれるわけじゃないのだから違うにきまっているでしょうと不機嫌そうに返された。次いで、ふと皮肉に笑ったかと思えば、もしあれがサンタクロースだというのなら、きっとそれはブラックサンタの方ね、と呟いた。悪い子にとっておきに最悪なプレゼントを贈るサンタクロース。なら僕はイイコだったのかなと笑った。自分は砂時計を持っていない。持たざる仔。この時代、無知は罪でないけれど、持たざることは罪である。或いは罰なのか。わからない。ただ一つ、はっきりとしていることは、生まれたと同時に、自分達が罪人になるという事実。ただ砂時計が得られなかったと。ただ、それだけの理由で。


「人は、目に見えないものが恐いのよ」


 透明なプラスチックの壁の向こうで、件の彼女は言った。


「だからこそ、目に見えて語る物を持たない貴方達が恐いのよ」


 首にかけられたロザリオのような砂時計を揺らしながら、彼女は冷たく吐き捨てる。僕は、視線と意識を異界から彼女へと変更し、笑った。


「やあ、氷柱さん。随分突然だね」

「どうも、囚人。貴方が何故己が罪人なのかと言いたげな顔をしていたから、答えてあげたのよ」


 ゆったりと壁の向こうにある豪奢な椅子に腰かけ、足を組む。こちらはみない。ただ、彼女の正面にある真白い壁と、時計だけを目に映す。冷たい人と、言うべきなのだろう。自分は産まれてこの方、彼女としか交流など持ちえない人生を歩んできたけれど。多分、彼女は冷たいのだ。その砂時計が示す通りに。吹雪と氷柱に支配された、砂時計の世界のように。自分は笑う。笑わない彼女を置いてけぼりにして。


「なんでってそりゃあ、僕が砂時計を持っていないからさ。僕が持たざる者であるが故に己の危険性を知ることができず、自分の最後を知ることができない。だからこそ犯罪を起こす危険性が他人より高いのさ。故に砂時計を持たないことは罪であり、僕等は囚人として世界の管理下に置かれる。しょうがない事さ」


 そう笑えば、彼女はひどく不機嫌そうに顔をしかめた。彼女はいつでもそうだ、自分と話すたびに、不愉快そうな顔をする。嫌いなら、来なければいいのに。


「ああ、そう。私の元許婚殿は、今の現状に不満はないと。随分向上心にかけるのね」

「向上心のない人間は嫌い?」

「ええ。…………大っ嫌いよ」


 嫌悪感を丸出しに吐き捨てる彼女に、自分は笑いかける。世に言う苦笑という奴だ。とはいえ、本当に合っているかなど、わかりやしないのだけれど。


「しょうがないだろう。こんな場所で向上心なんて抱いたって、狂う資質にしかなりやしないのだし」

「その割には、熱心に本を読み漁っているようだけれど」

「暇だからね。あるいは、それゆえ狂った結果がこれか」


 そういえば、快適な真っ白い部屋にこもって生活した人間は狂っちゃうらしいねと茶化し半分でいえば盛大に睨まれた。怖いなぁと後頭部をかく。


「怒らないでよ、氷柱さん。君はいつもそうだ。どうしていつも怒ってるんだい」


少しだけぶすくれてみる。硝子越しの彼女ははんと鼻を鳴らした。不遜不敵、不機嫌丸出しで目を細める。


「怒らせてるのは貴方でしょう。元凶は貴方。わかってるの?」


 鋭い視線を壁にぶつける彼女に、自分は曖昧に笑う。仕様がない。仕様なのだから、仕方がないのだ。


「残念ながら、さっぱりさ」


 肩をすくめて苦笑い。どかりと椅子に腰かけて、背もたれに頼り天井を見た。しみひとつない、真っ白な壁。


「……私は、貴方が理解できないわ」


 怒気をはらんだ声が、震える。横目で見た彼女は、珍しく下を向いていて。おや、と、思う。


「どうしたの、氷柱さん」

「どうしたの、じゃないわ。おかしいと思わないの、貴方は」


 静かな声はどこか激情をはらんでいて、首を傾げた。何を怒っているのか少し分り難くて、数秒を理解に使う。


「……ああ、そうだね。別に、何も」


 バンッ。と、音がした。彼女が透明な隔たりを殴った音。驚いて目を見開いた。そんな行動は、予測できなかったから。

 彼女は相も変わらず、こちらを見ない。


「ねえ、貴方。砂時計とは何か、知っていて?」


 荒々しい行動とは裏腹に、紡ぎだされる言葉はとても静かで、少しの混乱。それでも口は的確に、彼女の問いへの答えを発する。


「ああ、勿論。砂時計とは自身を表すものだ。不変である魂の性情を示すもの。あとは、命の刻限を告げるもの、かな」

「そうね。まるで神様だわ」


 彼女は静かな怒りをたたえた声で続ける。それこそ、憎悪と言えるような。


「でも、ならばこれは知っているかしら」


ふと、彼女が笑う。初めて見た笑顔。それは、笑顔と言うには余りにも暗いもの。軽蔑と、嫌悪と、憎悪にまみれた、笑顔のような別のもの。


「この外にはね、偽物の砂時計を売る店があるのよ。誰だって、自分のナカミなんて他人に見られたくないでしょう? だからね、偽物をつけるの。それはね、とびっきり綺麗で、美しくて、澄んでいる世界」


くつくつと喉を鳴らしながら、彼女はいいつのる。それはどこか悲しげでもあり、しかしそれ以上に憎々しげであり。


「私の物みたいに凍えた冬の世界なんか、みんな求めてないの。どこかの犯罪者のように蒸し暑い赤と黒の世界なんて、必要ないのよ」


胸にかかった己の砂時計を縋るように握り締める。見開かれた瞳はどこかひび割れたようで危うい。


「だれも、『本当』なんて欲してないのよ。『本当の自分』なんてさらけ出したら、息が、できないの。この世界は」


 ひぐ、と、危うい呼吸。いっそ真空のほうが生きやすいのではないかと思ってしまうほどに拙い呼吸に痛い笑声を混じらせる。


「なのに、笑えるでしょう? 『砂時計』なんて、意味なんかないって、みんな知ってるのに。それでもこわいのよ、貴方が。『砂時計』を持たない、貴方達が」


 わらっちゃうわ、と、繰り返して。彼女は、大粒の雨を降らしながら笑った。歪で、ちぐはぐな、笑顔だった。


「こんなのおかしいって、知ってるのに。誰も。だれもが、知らないふりをするの。貴方たちでさえ、目をつむるの。なにも変わらないって、知ってるのに」


 歪む。表情が、笑みから悲しみへ、怒りへ。彼女は、言葉を繰り返す。


「向上心のない人は嫌いよ。だって、間違っていることを間違っていると知った上で、無視するのですもの」

「僕みたいに?」

「貴方みたいに。貴方や、父や母や、他の人たちみたいに」


 流した涙は、いつの間にか止まっていた。早いものだと思う。いや、本当は、そんなことわからないのだけれど。だって、知らない。

本当は、何も分からないのだ。笑顔も、泣き顔も、何も。感情だって、よくわからない。だって、知らないのだ。自分は、本でしか、それらを知れないから。

 だから。


「ねえ、ねえ、貴方。この世の無為な囚われ人。貴方はきっと、自分には罪があるというでしょうけれど、貴方に罪なんてないのよ。貴方に害なんてないのよ。貴方は、ただ、何も知らないだけ。無知は、罪では、ないのよ」


 気付けは、彼女は祈るように透明な壁に縋っていた。初めて、彼女を正面から見た気がして、気付かれないように笑った。


「だから、ねえ、青文」


 初めて、自分の名前を呼んだ彼女は。


「一緒に逃げよう? ここじゃないどこかへ。貴方に罪がないと、認めてくれる場所まで」


 どこか熱っぽい瞳で、そう言った。

 僕は、笑った。


 ◇◆◇


「青文とはなにか、知ってるかな?」


 白い壁を見ながら問いかける。答など求めていない。問答など必要ない。そんなもの、何の役にも立たない。


「青文は、金魚の種類の一種なんだって。有名なものだから、青文といえば、金魚、みたいなものだね」


 答が提示される前に、こちらから提供する。ギブアンドテイクではなく、ギブアンドギブ。一方的な提供。


「じゃあ、金魚がどんなものか、君は知っているかい?」


 おいてけぼりをくらったままの彼女は、ただ呆然と垂れ流される言葉を聞いている。笑みを深めた。


「金魚は、鑑賞のためだけに、美しく在るためだけに品種改良を繰り返されてきたもの。彼らは元は野生でありながら、もう自然に戻ることはできない身なんだよ」


 笑う、笑う。朗々と言葉を紡ぎながら、「笑み」というらしい表情を空想し、創造する。贋作を。


「僕は金魚だ。あんなに美しいものではないけれど。世界が美しくあるために、自然の中では生きられなくなった歪な生き物」


 窓の外を見る。そこは異界だ。魚にとっては地上。生きていけない場所。息ができない場所。


「人との交流を許されなかった僕達は、人の中で生きていけないんだよ。さっき、狂っていると言ったよね。実際、きっと狂っているんだ。だって僕達は、君達人間が、ワカラナイ」


 首輪のようなものを誇らしげに纏った窓の外の人間達。その中で生きられなかった僕達は。物心ついたときから閉じ込められ、ただ知識だけを与え続けられた僕達は、もう彼らとは別の生き物になっていて。

 気付いたには手遅れだった。もうだめだと思い知った時に、もう戻れないと理解した。


「ここは牢獄であると同時に、僕達を唯一許してくれる場所なんだよ。だって僕達は、この外では生きていけない。自然の中ではもう、生きていけないんだ。息が、できない」


 そういう仕様なんだよ、とまた笑った。彼女は、意味がわからないと首を振る。わかりたくないだけだろうと自分は笑みを深くした。


「残念ながら、君の考えに対する賛同は持ち合わせていない。きっとそれは、僕以外の囚人にも言えたこと。僕達は、外を、望まない。生きられないと知っていて、何故飛びだそうと思うんだい?」


外していた視線を呆然と目を見開く彼女に向けた。色を失った表情。土台を崩されたような悲壮。どれもこれも、いつか見た本の一節でしかないけれど。

最後の一刺し。


「残念だけど、君は間違っている」


 微笑みにのせた言葉が彼女に何を与えたかなど、興味がなかった。



◇◆◇



 窓の外を見る。裸だった木にはいつの間にか蕾が芽吹き、淡い色の花を咲かせた。積っていた雪は全て溶け、跡形もなく。

 初めての春。冬に生まれ、冬の中で育ち、ようやく迎えた新しい季節。「あたたかい」を、初めて知った。何も知らない自分達は、少しずつ、知っていく。無意味に、積み上げていく。

 もう窓の外に、氷柱はなかった。

 氷柱のように冷たく、鋭かった彼女は。氷柱のようにあっけなく。春の木漏れ日の中に溶けて消えた。


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