2.僕たちはインターネットになりたかった

 日当たりの悪いアパートに反射した鈍色の光の中で朝目を覚ました。現実とのチューニングを行う。ああそうだ昨日は酔いつぶれてしまったんだ。鼻を突く刺激臭の発生源が私自身だと気がついた今はもう夕方の三時だった。何もかもが嫌になってしまったなとうんざりする。時間を確認するためにスマートフォンを手に取ったはずなのに指が勝手にSNSのアイコンをタップしていた。まるでパブロフの犬のようだなと思った。このボタンをポチッと押すだけで私は世界から肯定されるんだ。私は世界から肯定されたいんだ。パチンコやソーシャルゲームにハマる人も忘れらんなかったんだよな。一度味わった液状化した脳みその駄菓子みたいに甘ったるいぬるさを。

 見慣れた画面が開く。IDとパスワードを入力してログインボタンを押す。入力エラーの通知が届く。おかしいなと思い入力し直す。入力エラーの通知が届く。入力エラーの通知が届く。入力エラーの通知が届く。どうやら私の王国は崩壊したようだ。


 昨日あったゲロまみれの女の子のことを考えていた。何か僕の中で物語みたいなものが始まった気がして妙にそわそわしてしまった。今までは味なんかしないみたいに感じていた三百円の牛丼が本当に美味しかった。外の天気も良かった。絶好の洗濯日和だ。楽しくて仕方がない。そんなことをSNSでさえずってやろうとした。違和感がある。違和感の輪郭がなぞられていく。違和感は違和そのものになった。僕の世界が欠損していた。大好きだったインターネットの女の子が跡形もなく消えてしまっていた。

 浮かれていた自分への罰だと思った。僕が浮かれるだけで世界が左右される。そんなに傲慢な思い込みもないんだけど今の僕にはそうだとしか思えなかった。初めて味わった喪失の感覚は、傷口を甘噛みするような甘美さも何もなく、ただ心に穴が空いたとしか言えないものだった。失えばなんだって美しい。そんな歌を思い出した。


 吐き気と目眩と混乱の中、昨日の輪郭をなぞる。思いだす。思いだす。そうだ私は昨日、何故だか妙に満たされた気分になって、それから。自ら王国を滅ぼしたんだ。有り体に言うとアカ消しをした。それだけのことだった。大きな喪失感に備えようと身構えたのだがそういった類の感情が一切降ってこない。むしろ晴れ晴れとした気持ちだった。憑き物が落ちたという表現がしっくりくる。でもまあ王国民には別れの挨拶くらいはしておきたい。勝手に私があなたの全てになった。勝手に私が消えてしまった。それではあまりにも救いがない。空想を食べさせて育ててた雛鳥が食べ終わった空想を消化できずに肥大化して破裂する。そんなイメージが浮かんだ。

 身辺整理のような感覚で新しいアカウントを作成する。かつての雛鳥たちのいた場所を探す。見つからずに名前を呼ぼうとする。そうして気がつく。私は一羽として雛鳥の名前を覚えていなかった。大事に作った巣は木から落ちていた。中にいたような気がする彼らは無事に飛び去って生き延びたのか。それとも現実に喰らわれてしまったのか。どちらにせよ救いがないなと思った。


 僕たちはいつでもインターネットの女の子のことばかりを考えている。インターネットの女の子を失ってしまった僕たちは何をする。簡単だ。残った空想を家畜のように増やして肥え太らして醜く喰う。過去を喰らう。それだけのことだった。女の子が好きだといった音楽を聴いた。女の子が読んでいた難しい文学を読んだ。女の子の好きなアイドルの現場に行った。女の子の。女の子の。僕の中で女の子が増えていった。顔はぼやけている。でも完璧なヒロインだ。きっと十四歳だ。きっと黒目がちな神様なんだ。

 少しの月日が流れた今となっては正直、僕がインターネットの女の子のことを本当に好きだったのかもわからない。でも僕は女の子の出した寂しさの周波数みたいなものを受信してしまったんだ。まるで夜中のAMラジオから聴こえてくる聞いたこともない国の言葉のように曖昧に優しく夜の静寂を奪ってくれたんだ。心地よかったんだ。僕たちはみんなしてインターネットの女の子ばかり好きになってしまう。

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