個人の哲学
細川たま
第1話 あたりまえ
幸甚について
幸せとは酷く独善的なものであって、個人の欲求をみたす程度しか価値のないものだ。
認識について
今までは当たり前だと思っていて、突然に認識の覆るものがある。たとえばそれは人の死。墓石の前で、青年が我が親のために泣き崩れるのは、そこに再認識が生まれるからだ。そしてやっと後悔する。もっと孝行してやれば良かったと。大抵の場合、認識を改めてからでは、その存在とあなたとの良好な関係性は、既に何かしらの要因によって手遅れである。
恐怖心について
何故、人は朝を好み夜を嫌うのか。私は、その根本的な問題には、恐怖があるように思える。夜というものは、一般的に辺りの見通しがきかない。月があっても、朝の如く全てを一望できる訳ではないし、ましてや白夜などは論外だ。それを踏まえて、夜が少なくとも朝よりは「見えない」ものとして考えたら、人間の心理は、無知を恐れるため、見通しのきかない景色のカーテンの裏に何が潜むのか愕然とするのだ。これは、たとえば未来においても共通だ。自分の将来に怖じ気づく学生や、将来の自分に辟易する中年も、わからないという状態におぼろげながらも恐怖しているのではなかろうか。あるいはこう考えることも出来よう。人間は動物的本能によって恐怖していると。時を大きく遡るが、我々の祖先は、現代の我々のように、近代的な生活(産業的で文明的な営み)を送っていたわけではないので、野宿をしていたと解釈する方が理にかなっている。さて、当時では防犯などの設備は当然ながら備わっていないだろうから、そこに獣がやってくるわけだ。となれば、闇夜もうかうかしていられない。おそらく、警備を数人つけ、それでもびくびく萎縮して寝過ごしたことだろう。私は、こういった我々の祖先の、いわば慣習のようなものが、現代の我々に、尾骨のようななごりとして引き継がれたのではないかと、こう考えるのである。それはつまり、恐怖心という形で、である。
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