死神運送
夜泉子
終わりと始まり
空が高い。いつもいつも見上げていた空。雲一つなくて、風が穏やかに吹いていてただ前だけを見て走っていたあの頃をふいに思い出す。カーテンの隙間からは昨日の雨が嘘だったように、強い日差しが目に痛い。頭に響く目覚ましに目をやると8時を回っていた。高校まで最低でも20分は掛かる。
「やべ・・遅刻」
窓を開けると涼しい風が髪を撫でた。眠たい目をこすって仕度をし、制服を着て、6畳で一人暮らしの部屋を出た。
学校に行く途中、ネクタイをしっかり締めて、欠伸を一つ、黒ぶち眼鏡をかければ、絵に描いたような優等生姿だ。俺の学校は、県内でも有数の進学校・・ではなくて下から数えた方が早いくらいの学校。そんなんだからあまりいい噂がない。
本当にいい天気だ。学校までの道のりは、比較的平らで途中に一つ大きな上り坂があるだけだ。朝は多くの人がランニングをしている。昔は自分もあの中の一人だった・・もう関係ないけど。走る人を横目に学校までの道のりを急いだ。案の定、校門の近くに着いた頃には多数の生徒が走りこんでいる姿が見えた。
「おら、お前ら急げ。閉めるぞ」
教師がせきたてると、自分の周りで歩いていた生徒も走り出した。その時、背中に思い切りぶつかって通り過ぎる集団がいた。その中の一人が微かに降り向いて笑ったのを俺は見た。俺は走る気にはなれず、眼の前で門が閉まるのを見送った。ギリギリ間に合って校門を抜けた集団は、まだ玄関に行かずにいた。俺は、校門前で教師に止められていた。
「蕪螺(かぶら)木(ぎ)、お前が遅刻なんて珍しいな。けど、お前何故走らないんだ?走れば間に合っていただろ」
「・・・すいません」
一通り教師の説教を聞いた後、教室に行くように促された。
「よぉ、おはよう。蕪螺木君。君が遅刻だなんて信じられないなー」
あの集団が囲むように喋りかけてきた。俺はそのまま歩き続けた。
「あれ?ご機嫌斜め?天下の蕪螺木悠人がさ」
校門の前でぶつかって笑っていた奴が、冷たい笑顔を向けてきた。
「何だよ?それ」
集団の一人がわざとらしく聞いた。
「おいおい、知らないのか?蕪螺木悠人って言えば、中学の頃陸上部のエースで全中2回優勝してるんだぜ?周りには、ファンクラブまである将来有望視されたスターだったわけよ」
俺は黙って歩き続けた。その集団は相変わらず真ん中の小さな男をとり囲んだまま話続けている。チャイムが鳴り終わり、授業が始まっているのか廊下には誰もいない。教室内のざわめきが少し廊下に漏れている程度だ。その中で集団の話し声だけが異様に響いた。
「それで、3年の全中目前にして蕪螺木君は事故に遭ってしまいました。もちろん、大会は欠場。陸上部から姿を消したと・・・んで、その後は一気に一人だよな?周りから友達は遠のき、陸上推薦も取り消し、そんでこんな学校に。あぁ、蕪螺木君かわいそう」
「僕たちがお友達になってあげようか?」
一人の男を取り囲んだ男達は、嘲るように笑っている。俺は、ずっと黙ったまま囲まれた輪を強引に抜けると後ろから最後のとどめが来た。
「蕪螺木くーん。お父さんとお母さんに助け求めたら?」
「おっと!両方死んじゃったんだっけ」
集団が廊下いっぱいに笑い声を上げた。俺は思わず振り返ったが、言葉が喉につっかえている感じがしてそれ以上何も言わずにただ拳を握って教室のドアを思い切り開けた。教室中の生徒が一度、ドアの方を見たが、またすぐ元あった場所に視線が戻った。いつもの事だ。『暗い』『ダサい』『キモい』俺の三大ワードらしい。つまり俺は、ここでは価値を持たない、と言うことだ。はっきり言って学校に何しに来てるかわからない。中学から勉強なんてしてなかったし、今更頑張っても仕方ない。そんなわけで、家と学校の往復をただ繰り返す毎日。あっ、たまに靴が無くなってたりするけど。
俺の席は窓側の一番後ろだ。窓越しに見える空には、小さな薄い雲が漂っている。
「暇だな・・」
5限終了を知らせるチャイムが鳴った。一気にざわめきを取り戻した教室を出て屋上にのびる階段を昇った。本来立ち入り禁止の屋上だったが、鍵の部分が大分前から老朽化しており、簡単に出入り出来る。最近の俺の居場所だった。ドアを開くと涼しい風と一面の空が広がった。何かから開放されたかのように溜息を一つ吐くと、黒ぶちのめがねを外し、ネクタイを緩めた。そのまま頭の後ろで手を組み寝そべった。床のコンクリートの感触が背中に伝わってくる。しばらく穏やかな空を眺めているうちに眠ってしまったのだろう。うすく瞼を開けるとやはりそこには空だった。
「高いな」
ふいに横を見ると、見知らぬ男が寝ていた。
「うわっ」
俺は驚きのあまり声が上ずって、起き上がった拍子に足がもつれて後ろにひっくり返った。俺の声で目を覚ました男は、眠たそうな目で、無理矢理起こされて不愉快そうに欠伸をした。もう一つ俺は驚かされた。実は、ジマンじゃないが俺は身長は165cmしかないが、顔だけは良いと思っていた。中学の頃、彼女は作らなかったが、告白なら何回もされた。その時の俺は他の事に夢中だったのだ。て、そんな事じゃなくて、その男はまさに甘いマスクという言葉がピッタリの男だ。細身で長身。バランスの良い顔。程よく焼けた肌、色気さえも漂い、髪は全体的に長く、得に襟足が長い。いわゆるロン毛だ。俺は、ロン毛なんてカッコつける奴がするもんで、似合いもしない奴がするのは嫌いだ。しかし、寸分の狂いもなくその髪型さえもその男に似合っているのだから逆に目が惹きつけられる。
「何?お前」
その男が胡坐に座り直し俺を見た。声もよく通る声だ。
「べ・・別に」
俺は慌てて顔をそらした。ここは屋上で誰がいてもおかしくない。ん?今度は俺が見られてないか?
「なんか、あんたの顔どっかで見たことあるんだけど」
その男は、腕組して俺の顔を見ている。俺は慌てて黒ぶち眼鏡をかけて立ち去ろうとした時その男は手を叩いた。
「あぁ!俺ん家の近所の犬のジョージに似てるんだ」
「犬?」
俺は予想外の答えに呆れた。というか意味分かんねぇよ。そのまま緩んでいたネクタイを締め直し俺はその男を置いて屋上を去った。
「ふーん、あいつか」
男は軽く笑った。まさかこれが俺の人生を大きく変えるなんて思うはずもないー―――
黒ぶち眼鏡をかけ、ネクタイを締め直し教室に着くと、もう誰もいなかった。どうやら屋上で寝すぎたらしい。
「あいつ誰だ?」
屋上で見た見知らぬ男は何だ。人を犬扱いして。思い出すと少し腹が立ってきた。カバンも持って疲れた足をひきづって家に向かった。家に着くと、机の上には両親の写真が飾ってある。
「ただいま。父さん、母さん」
眼鏡をはずし、制服を脱ぎ、ラフな服装に着替え、夕飯の準備の仕度をするのが毎日の日課だ。両親が死んでから半年。料理も洗濯も慣れたものだ。母さんは、清潔好きで、料理が上手くて優しい人だった。父さんは、空手道場を経営していて、体格もよく、笑顔が眩しい人だった。写真の隣にはお守りがある。端が少し焼け焦げている。俺の両親は火事で死んだんだ。早めに飯を済まして、味気ないTVを見てもちろん勉強なんてするはずもなくベットに入った――――
重く黒い煙で目の前が覆われていて、周りは轟音をあげて火の粉が舞っている。夜中のはずなのに、外はざわめきでいっぱいだ。
「父さん、母さん」
俺は手探りで声の限り叫んだ。その度に、肺に煙が入り咽る。それでも俺は呼び続けた。父さんと母さんは寝室ではなく使われていない物置の前にいた。すでに、二人は火に囲まれていた。
「父さん、母さん、早く逃げよう」
俺は二人に手を伸ばした。
「悠人、先に行きなさい。父さん達もすぐに行くから」
「悠人これを持っていって」
俺が手を伸ばして掴んだのは、二人の手ではなくて大きな袋とあのお守りだった。父さんが何か言っているようだったが俺の意識はそこで途絶えた。父さんの口が動いてるのだけが、頭に残っていた。そして、次に目を覚ましたのは病院のベットだった。
そこで目覚ましの音。夢はいつもここで終わり。母さんがくれた大きな袋、よく見覚えのある袋は、部屋の隅に置いてあるけど、一度も開けていない。開けたくない。だるい頭を無理に起こして、学校への準備をした。学校を休みたいのに、真面目にもちゃんと行く俺の性格が嫌いだ。黒ぶちの眼鏡に、きつく締めたネクタイ、欠伸を一つして、俺は家を出た。いつもと変わらない風景。今日は遅刻せずにすみそうだ。
校門を通りすぎ、靴を履き替え教室へ向かう。いつもなら、あの集団に絡まれるのだが、今日は姿が見えない。
「今日は運がいいかも」
独り言のように呟き、気分よく教室のドアを開けた。誰かと挨拶を交わす事なく、窓際の席に座り、ぼんやりと空を眺めていた。
「なぁ、聞いたか?隣のクラスにすげーかわいい子が転校して来たらしいぜ」
「こんな時期にかよ」
「確かにな。ま、いいじゃねーか。あとで見に行こうぜ」
「おぉ!そういえば、隣のクラスに野次馬たくさんいたしな」
「オレ、アドレス聞いちゃお」
俺の隣の席の奴らの会話。ただ空を眺めていると嫌でも隣の会話が耳に入ってくる。俺がその会話に加わる事は決してない。なんたって、俺は嫌われているからな。
始業のチャイムが鳴ると教師が急いで教室に入って来て、生徒を静かにさせた。俺は興味なさそうに窓の外を眺めていた。
「えーと、今日はうちのクラスに転校生が来た」
「先生!転校生は隣のクラスでしょ?」
女生徒が質問した。
「隣のクラスにも転校生はいるが、実はこのクラスにもいるんだ」
「マジで?男?女?」
誰かが質問すると、全員気になっていたらしく、教室が静かになった。
「・・男だ」
一斉に教室中で声が上がった。主に、女生徒の。
「とにかく紹介するからお前ら静かにしろ」
教師は疲れたように言うと、教室の外にいる転校生を中に呼び入れた。その瞬間、再び女生徒の歓声が起こった。所々で、ヒソヒソ何かを話す声や、笑っている声。大方、転校生がカッコ良かったのだろう。俺は、入って来た転校生を見なかった。
「遊(ゆ)月(づき) 亮(りょう)です。よろしく」
転校生が笑顔で挨拶すると女生徒は一層盛り上がった。俺はその挨拶をなんとなく聞いていてはっとした。このよく通る声は、耳覚えがある。目線を窓から黒板の転校生にずらした時、思わず声を出してしまった。一斉に俺に視線が集まった。俺はただ驚いて転校生を見ているだけだった。
「ん?やぁ、ジョージじゃないか。そうかこのクラスだったのか」
その男は俺に気づくと気軽に話しかけていた。
「!!」
その男は昨日屋上にいたあいつだ。俺は犬に似ているとか言った、確か犬の名前はジョージだ。て、そんな事考えてる場合じゃない。
「ジョージ?遊月君。あいつと知り合いなの?」
クラスの女生徒が転校生に聞いた。転校生は少し考えると、笑顔で答えた。
「ちょっとね。あいつと俺の秘密」
「ちょっと・・」
俺は変な誤解が生まれる前に弁解したかったが、それは教師の言葉によって遮られた。
「蕪螺木の知り合いか。なら遊月はあいつの隣の席でいいな。蕪螺木、いろいろ案内してやれよ」
教師がそういうと、女生徒が不満を漏らした。
「いいか、お前ら授業を始めるぞ」
俺は言うタイミングを完全になくし、一人うろたえるしかなかった。俺の隣に転校生が来ると、やはり美形だ。周りの男が霞んでしまう。昨日と違いその顔には、眼鏡がかかっている。俺みたいな黒ぶちではなく、薄いレンズでその眼鏡がより一層かっこよさを引き立てている。その転校生の周りの男はなにやら不満そうだ。
「よろしくな。ジョージ」
転校生は俺に笑顔を向けた。普段はクールに見えるその顔は、子供みたいな笑顔だった。て、だからジョージじゃねぇよ!俺はただ頭を下げただけだった。そして、次の休み時間から俺に学校案内をして欲しいとその男は言ってきた。俺は、断る事も出来る訳なく、渋々了承した。昼休みになり、ほぼ学校内の案内も終わりかけていた。俺は必要最小限の言葉しか発しなかったが、その男は物珍しそうに学校を見ていた。各教室の前を通りすぎるたび、女生徒がその男を振り返る。たぶん、今俺の存在は霞んでいて誰の視界にも入っていないだろう。もっとも、普段から視界に入っていないだろうけど。
そうこうしているうちに、嫌な奴らに会った。どうやら彼らの視界には俺が入ったらしい。薄ら笑いを浮かべ近づいてくる。
「お、蕪螺木君じゃん?相変わらず調子こいてっか?」
「調子なんてこいてないよ」
俺は答えたが、集団は無視し話を続けた。周りにはギャラリーがたくさん見てるし、俺は早くどこかに行きたかった。
「あんた転校生の遊月君だろ?遊月君もそんな奴といない方がいいって。俺らのグループに来たら?歓迎するよー」
俺は当然、転校生は向こうに行くと思っていた。
「悪いけど、友達くらい自分で選べるから」
「は?」
「だから、俺はあんたらのグループには入らねぇよ。て事」
にっこりと笑みをその集団に向けると、唖然として転校生を見上げていた俺にも笑顔を一つくれた。
「行こうか、ジョージ」
「え?あ、うん」
その集団をその場に残し、俺たちは屋上に向かった。ちょうど、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。屋上には、涼しい風が吹いている。今日いい天気だ。唯一俺の心が休まる場所のはずなのに、隣には転校生。何でこんな事に・・。
「なぁ、ジョージ」
「だから、俺はジョージじゃないって言ってんだろ?あんた一体何なんだよ?」
「だって、俺あんたの名前知らないし」
確かに。しばらく考えて、別に仲よくなりたくもないのに、名前なんて教えたくなかったが、この先ずっと人前で“ジョージ”と言われるのを想像すると恐ろしくなった。呼ぶなといってもこの男は呼ぶだろう。そのくらいは、この短時間この男と過ごしただけで分かった。
「・・・蕪螺木。蕪螺(かぶら)木(ぎ) 悠人(ゆうと)」
「ん?蕪螺木ね。俺のことは亮でいいから」
「はぁ」
子供みたいな笑顔を亮は俺に向けた。
「なぁ。蕪螺木。なんで言い返さないの?」
「え?」
「だから、さっきの集団。何か腹立たない?」
亮は、コンクリートの上に座り眼鏡を外した。風が、亮の長い髪を揺らしている。俺もその隣に座った。
「別に。いちいち言い返してたら、キリがないから」
「ふーん。蕪螺木はおとなしい奴なんだな。もし俺が校長だったら」
なんであんたが校長になんだよ。口に出しては言わない。
「あいつらは停学だな。いや、退学か?」
「いくらなんでもやりすぎじゃない?」
どう考えてもおかしいだろ。
「なんで?はっきり言って学校なんて楽しむ場所だろ?ああいう奴らは好きにはなれない。ま、最終的には俺さえ卒業出来れば、他の奴らなんてどうでもいいだろ?」
地球を回しているのは遊月君ですか?俺は内心呟いた。
「そうだね。俺も他人にあんまり興味がないから」
俺はやんわり亮をつき離してみた。一刻も早くこの場から立ち去りたい気分だ。亮は、つまらなそうに俺の顔を見た。そして、突然言った。
「自分だけでなく、他人を愛すること」
亮はまるで教えを説くように語りかけた。
「何?それ」
俺は意味が分からず聞いた。しかも、どうやらつき離そうとして俺は言った言葉は全く無視されていた。
「オードリ・ヘップバーンって知ってる?」
「映画女優の?」
「そう」
「その人が言った言葉なの?」
「そう」
「へぇー、好きなの?」
意味が分からなかったが、一応驚いてみせた。ところが、
「別に」
あーそうですか。もう勝手にして下さい。亮と話していると、何を言い出すか分からなくておもしろくはあったが、時々腹が立つ。
「で?その言葉が何なの?」
「蕪螺木に贈る言葉」
「は?」
「蕪螺木は他人に興味がないんだろう?そんなじゃダメだぞ。そんな重たい眼鏡かけて、きつくネクタイ締めてたら、見えるものも見えなくなってしまう。もっと、他人と関わりを持ったほうがいいぞ?」
出来ることなら、亮との関わりは遠慮したい。が、もう手遅れだろう。俺は亮の言っていることが正論すぎて何も言い返せなかったが、認めたくもなかった。しばらく沈黙になり、俺は耐え切れずに言った。
「あ・・あんたは何で眼鏡かけてるんだ?最初はかけてなかったよな?」
亮はたいした事はないとでも言うように、俺に眼鏡を見せた。
「これ、度入ってないから。俺ぐらいイイ男だと眼鏡でもかけてカモフラージュしないと危険だからな」
おっと、君は世界の中心に立っているんだったね。一つ言わせてもらえば、俺がもし世界の中心に立てたら、愛なんて叫んでないで、亮への不満を叫ぶよ。
「それに・・」
「え?」
「それに、この世界には視えなくていいものが多いだろ?」
亮の顔は笑顔だった。けど、今までの顔とは少し違うと思った。見間違いだろうか。亮の顔はいつものクールな顔に戻っていた。
「蕪螺木。なんで走らないんだ?」
俺は、一瞬にして全身が強張るのを感じた。
「知らないわけないだろ?当時新聞とかいろいろ出てたしな。お前の名は全国区だよ」
「昔の話だろ?今は関係ねぇよ」
俺は立ち上がりドアの方へ歩き始めた。手が妙に汗ばんでいる。
「おとなしいふりしてんなよ。逃げんのかー?」
亮が後ろから言った。俺は、我慢出来ずに振り返り怒鳴った。
「うるせぇ!!俺は走るのが嫌いになったんだよ」
冷たい目を亮に向け、屋上のドアを思い切り閉め教室へ向かった。高校に入って初めて怒鳴った。
「おぉ、怖。やっぱおとなしい系じゃないな」
一人屋上にとり残された亮が笑いながら呟いた。
「あーあ、何怒らしてんの、亮」
亮のさらに後ろのフェンスに一人の少女がいた。
「ヒヨリ」
蕪螺木が屋上から出て行ってから誰も入って来ていないはずの屋上。いつからいたのか?どうやって入って来たのか?亮はそんな事どうでもいいかのようにその少女に向き直り知り合いのように話した。
「ヒヨリ、お前は手を出すなよ?この件は俺やるから」
「別に言っけどさ。あんま無茶すんのやめなよー」
「分かってるさ」
亮はふいにフェンスの下側を見た。そこはグラウンドで陸上部が走っているのが見えた。
一方、蕪螺木はイライラしながら家に向かっていた。亮は蕪螺木悠人という名前を知っていたのに、知らないふりをしていたのか?わざと犬なんて言ったのか?そして何より図星を指されて、ムキになっている自分にさらに腹が立った。
「俺はもう走らないんだ。走れないんだ」
まるで自分に言い聞かすように、家への道を急いだ、消して走りはしなかった。家に着くと早歩きしていたせいか部屋が蒸し暑く、俺はすぐに制服を脱ぎ、窓を開けベットに横たわった。机の上にある両親の写真が心なし翳って見えたが、俺は見てみぬふりをした。俺のせいだからー――
その夜は何もする気になれず、ただただベットに横になっていた。窓からは、6月中旬の気持ちいい風が吹いてくる。俺は、そのまま眠りに落ちていった。
翌日、寝すぎたせいか頭がぼっーとするが、早く起きた。また学校に行って亮と会わなければならないのかと思うと気が重い。席が隣なのだから、逃げようもない。俺は、亮に軽い嫌悪感を抱き始めていたのかもしれない。それでも、俺の嫌な性格は学校へ行こうとする。少し余裕を持ちすぎたのだろうか、そろそろ家を出ないと遅刻しそうだ。今日は朝から教師の説教を聞く気にはなれない。ふいに、机の上の写真が目に入った。その隣には少し焦げたお守り。俺は、お守りを手に取るとしばらくの間見つめていた。
「やべ・・遅刻」
我に返ると、とっさに手に取ったお守りを制服のズボンのポケットに入れてしまった。俺がそれに気づいたのは家を出た後だったので、戻るわけにもいかず、
「まぁ、いいか」
そのまま入れたままにした。俺は遅刻する事なく、校門を通りすぎると、例の集団が待ち構えていた。
「おはよう、蕪螺木君」
一人の男が言った。
「昨日のお友達はどこ行ったんだよ?良かったな。お友達が出来てよ。おい、聞いてんのかよ!」
後ろから背中を蹴られた。俺は、前のめりに倒れそうになったが、何とか持ち直した。眼鏡がずれるのを押さえながら歩き続けた。
「あの転校生もありえないよな。こんな奴と友達だなんて」
別に友達じゃない。俺は反論したかったが、無駄な努力だ。その時、後ろから声がした。
「余計なお世話だって言ってるだろ?」
振り向かなくても分かる、亮だ。亮はまた教えを説くようにその集団に話始めた。
「全く。お前らにはやりたい事がないのか。はっきり言って、蕪螺木なんかからかってもおもしろくないだろ?そいつ全然反応しないからな」
俺も黙って聞いていた。この集団も何が何だか分からないが、おとなしく聞いているようだった。亮は、一人で話を続けた。朝から学校の玄関先で一体何をするつもりだろうか?通り過ぎていく生徒達がちらちら視線をよこした。
「お前ら美化委員会に入ったらどうだ?確か、緑化委員会てのもあったな」
「あ?何言ってんだ、お前意味分かんねぇよ」
集団の一人が亮に向かって言った。亮は腕を組みやれやれと言ったようにこっちに歩きながら喋り続けた。
「意味なんてどうでもいい。お前らはやることがなくて、やりたいことがなくて蕪螺木に絡んでいるんだろ?要するに暇なんだ。だから、お前らにやることを提供してやったんだ」
亮は笑顔で答えた。
「そして、せっかくやるんだから世界に貢献した方がよくないか?美化委員なら、俺の歩く所を綺麗にする、緑化委員なら、俺の見る所を綺麗にする。暇なら己を犠牲にして世界に尽くせ」
亮ははっきりとそう言った。ん?なんだか宗教臭い。しかも、世界に貢献ていうか、亮に奉仕しろ。て事に聞こえる。まぁ、亮が世界の中心なんだからあながち間違いではないのか?多分、集団は亮のペースにはまっている。さっきと目が違う。・・騙されてるって。
「お前何なの?」
集団のリーダーらしき男。常に俺に絡んでくる男が亮に食って掛かった。
「別に、何者でもない。俺は俺だ」
その集団はこれ以上付き合ってられないというように、立ち去った。けど多分、亮の教祖ぶりに恐れをなしたんだと思う。あれじゃあ、軽い宗教勧誘だ。俺は隣に立つ長身の男を見上げた。俺にも宗教勧誘がきそうでちょっと怖い。
「大丈夫か?」
「え?何が?」
「あいつら。また絡まれてたんだろ?」
あぁ、それか。俺は亮の行動が全く分からない。
「隣人を愛せ」
亮が突然言った。
「何それ?」
亮は、そんな事も知らないのかとでも言いたそうな顔を俺に向けた。確かに俺は物を知らないけど、常識がないわけでも、探究心がないわけでもない。むしろ、ある方だ。
「”隣人を愛せ”新約聖書より」
亮が端的に言った。やっぱり宗教かよ。
「あんたはキリスト教なの?その言葉好きなの?」
「あんたじゃなくて、亮。キリスト教じゃない。てか、嫌い」
ある意味予想通りの回答だ。
「あのさ、別に好きでもなくて、興味があるわけじゃないのに、他人にそういう言葉言っていいのか?」
俺たちは、教室に向かいながら話している。
「いいんだよ。俺が好きか嫌いかは問題じゃない。その時に応じてそいつに適した言葉を与えているだけだから。俺の言った事は、座右の銘にしてもらいくらいだ」
亮が一人で薄く笑っている。俺は、気づかれないように溜息を一つついた。
「あんただけは、敵にしたくなぃな・・」
「ん?大丈夫だぞ?俺は、お前の敵にはならなぃさ」
いやに、自身たっぷりに言う亮を目の前に俺は今度は聞こえるようにため息をついた。そして、放課後いつものように俺は屋上へと行った。今日は、空に雲が多く、曇っている。少し肌寒い風を感じながら寝転がる。下の様子がよく見えた。頭に後ろで腕を組んで寝ていると、ふとポケットに入れっぱなしだったお守りが気になった。取り出して、高く空に翳した。このお守りにいい思い出なんて一つもなぃ。思いだすのは、あの日の事ばかりだ。
今日の空に、俺はぴったりだな。
どんよりと重たい雲を見つめながら、俺は一人苦笑した。
「蕪螺木、見っけ!」
「・・・出た」
亮は、俺の顔を上から覗き込んだ。なんで、こう・・・いつも現れるのかな。
「お前、本当いつも屋上にいるのな!見つけやすいよ」
「ここが、一番落ち着くんだよ。あんたは何でいつもここに来るんだよ!」
迷惑だ。と暗に言ってるのだが、多分・・亮はそんな隠された言葉に気づかないだろう。俺は、屋上で亮と話すのが苦手だ。いつも俺がキレてたいだぃ終わる。疲れる。今日も、例外なくそうだった・・・。
「何か、話そうぜ?」
「は?」
「俺、蕪螺木の事全然知らないからさ」
別に知ってもらわなくても結構だ。これ以上、干渉されたくなぃ。
「別に、言う事なんてなぃよ。亮が知ってる事で全部だろ」
「そんな事ない。俺は、なんでお前の両親が死んだのか知らない」
「・・・そんなの教える必要がなぃだろ!それに、言いたくない」
「OK・・言いたくないのはしょうがないな。んじゃ、もう一つ。俺は、何でお前が走らないのか知らない」
「・・・またその話かよ」
「それだけ俺はお前の事知らないって事だよ。だから、話す価値はあるだろ?まず、走らない理由から行こうか?」
亮は意地悪そうな笑顔を俺に向けた。もう、限界だ。うんざりする。俺に絡んで来る集団も、しつこい亮も・・・そして、自分にも。
「いい加減にしてくれ!お前と話す事なんてないんだよ!もう、俺に関わらないでくれ!ほっといてくれ!」
俺は、亮をつき飛ばした。亮は、フェンスに思いきりぶつかったが、怒る事はなかった。そんな亮が、さらに俺を苛立たせた。俺は、勢いよく屋上を飛び出した。もう、あいつと関わりたくない・・・本当にそう思った――ーー
「大事な物を落としていくなんて、たいがぃあいつも慌て者だな」
屋上の亮は、落ちている焦げたお守りを拾った。そして、その場にいつかの少女もいた。
「まーた、怒らせて。早くこの仕事終わらせたいのに」
「そう言うなょ、ヒヨリ。あいつの傷は深いんだ。簡単にはいかないさ」
「そうだけどさー」
ヒヨリと呼ばれる少女は、フェンスの上を歩いている。今にも落ちそうな場所を軽々と歩いてみせる。
「んで、それがあの2人が残したってヤツ?なんで亮が持ってるの?」
ヒヨリは亮が持つお守りを指さした。
「あいつが落としていった」
「マジで?大切な物落とすなんて・・。あの2人が可哀想だね」
「そうでもなぃさ。これはチャンスだからな」
「チャンス?」
「そ。まぁ、ヒヨリは見てな。そろそろ仕上げるからよ」
「まぁ、頑張ってよ」
そういうと、ヒヨリはフェンスから飛び降り、屋上を後にした。
「・・・蕪螺木。こんないい物持っていて気づかないのは、罪だな」
亮は苦笑した。そして、落ちていたお守りを自分のポケットにしまった。
俺は、荷物も持たずに家に帰ってしまった。小さなアパートの階段を駆け上がった。
「何だよ!あいつ!!」
そのままベッドに雪崩れ込んでふて寝した。そして、次に目を開けたのは、深夜だった。水が飲みたくて目が覚めたのだ。自分がまだ制服のままだった事に気づいた。机の上には黒縁の眼鏡が投げつけてあるし、ネクタイは床に落ちていた。そして・・・
「!・・・俺、お守りどこやったっけ?」
いくらポケットの中や部屋の中を探しても見つからなかった。
「マジかよっ!」
どこかに落とした?いや・・・絶対あの時だ。屋上に落ちてるに違いなぃと思った。とりあえず明日は早めに行って、探すしかないか。制服からパジャマに着替え、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してベッドまで戻るとまた眠りについた。
次の日は、目覚ましより早く目覚めた。少し、寝すぎた。とりあえず、制服に着替え、床に落ちているネクタイを拾い、眼鏡をかけてから、今日は欠伸の変わりに伸びをして、部屋を出た。まだ時間に余裕はあったが、お守りの事が心配で自然と足並みが早くなる。学校の前まで来ると、今日はまだ人通りが少ない。俺はそのまま屋上へと急いだ。目線はすぐに床だ。
「絶対ここに落としたはずだ」
今日は風が強く、整えられた髪の毛が崩れそうになる。優等生ぶっている俺にとってはゆゆしき事態だが・・今はそんな事気にしている場合じゃない。やはりどんなに探してもお守りは見つからない。いつの間にか始業時間間際だった。
「探してる、探してる」
亮が下の階から、屋上を見上げていた。そして、その手には昨日、蕪螺木が落としたお守りが握られていた。
「さて、仕上げだな」
亮は薄く笑うとお守りを自分の制服のポケットに閉まった。そして、何事もなかったかのように、他の生徒に紛れて教室に向かった。一方、俺は・・・現在も屋上を捜査中。
「なんで、ないんだよー・・」
がくりと肩を落とし、屋上のアスファルトの上でうな垂れていた。もう少し、授業が始まる。このまま探していたけど、後々面倒そうだ。仕方なく、俺は屋上を後にする事にした。ため息をつきながら、教室のドアを開けた。また、いつもと同じ。
一瞬俺に視線を向けたかと思えば、元あった場所に視線を戻す。俺は、そのまま自分の席まで行くと、無言で座る。そして、周りの席の奴のくだらない会話を左から右へと聞き流す。そして、転校してきた隣の奴は、一人で静かに本を読んでる。今日は絡んでこない。俺が横目でそいつの本を見ると・・・【帝王学と周りの愚民共】。そいつは真剣な目で読みふけっている。
あんたには、すでに帝王学ばっちり見についてるだろ・・。俺はその本を見なかった事にしようと決めた。
そして、いつものように1限の授業が始まった。でも、どうしてもお守りが気になる。次に、探しに行けるのは、放課後だ。
まだまだ長い。いつものように授業の大半を寝て過ごすからいいけどね。そんな事を考えていたら、1限が終わった。
「おーぃ!遊月クン。呼ばれてるぜ?隣の転校生だ」
「・・・あぁ」
俺の隣の住人は、それまで読んでいた本を置くと、ドアの方へ向かった。ふいに俺もその方向へ目をやると、ドアのこちらを覗いている女の子がいた。
「おい!あれ、隣のクラスの転校生じゃん!やっぱ、可愛いよな」
誰かがそう言った。
「やっぱ、遊月くらいかっこよくないと、相手にもされないのかね~」
さらに、誰かがため息をついて言った。それから、休み時間が終わっても、亮は戻って来なかった。転校生に呼び出されて帰って来ない・・この事実は俺意外の生徒を動揺させた。俺にとったら、願ったり叶ったりだ。そして、本当に放課後まで亮が戻ってくる事はなかった。俺は、そんな事気にもかけずに、終礼と同時に屋上に向かった。勿論、お守りを探しに。
「絶対、見つける!!」
俺は、屋上に這い蹲って探し続けた。でも、いくら探しても見つからない。
「か~ぶ~ら~ぎっ!」
その声に驚いて振り返ると、屋上の扉の前に例の男が立っていた。俺は、思いっきり嫌な顔を亮に向けた。それでも、亮は笑顔で俺の顔を見ている。
「今、俺忙しいから・・ほっといて」
俺は、亮を無視をして探した。
「なぁ、蕪螺木?」
「・・・うるさぃなぁ」
「なぁ、蕪螺木ってば!!」
しつこい・・・。
「うるさいっつーの!!何だよ?!」
俺が、振り返ると亮が少し焦げた小さなお守りを持ってそこに立っていた。
「い~のかなぁ~?これ、いらないの?」
「!!!それ・・どこに?」
「落ちてた。屋上に」
「いつ!?いつ拾ったんだよ?」
「昨日、お前と別れた後」
「何で?なら、昨日渡してくれれば・・」
俺が言い掛けると亮がそれを遮った。
「返して欲しいだろ?」
「は?当たり前だろ!!!」
「なら、勝負だ!!どっちが先にグラウンドまで行けるか。俺、けっこう足速いよ」
「嫌だ。なんでそんな事・・」
「これ欲しいんだろ?俺が勝ったら、これは返さないぜ?」
亮が目の前でお守りを揺らした。はるか下で走っている陸上部のホイッスルの音だけが頭に響く。
「ふざけんなっ!!いいから、返せょ!」
「無ー理。んじゃ、ヨーイ・ドン!!」
笑顔で亮は走り出した。
は?ありえないだろ?!何コレ。つか、俺が走るわけないだろ?
「行ったほうがいいんじゃないの?」
その声に我に返ると、そこには今朝、亮を呼び出した転校生がいた。
「亮は、マジでやるよ?早く追ったほうがいいって」
扉にもたれかかってその少女が言う。
本当、訳わかんない。けど、お守りは・・・。次の瞬間、俺は走り出していた。少女の脇をすり抜けて、階段を駆け下りた。少女が、軽く笑う。少し遠くに、亮が止まってるのが見えた。
「・・・来たな」
亮は薄く笑うと再び走り出した。くっそ~!俺を甘く見てるな?絶対、取り返す!!
俺は、周りの目なんて気にしてる暇も余裕もなかった。でも、ただ余裕がなかっただけで、周りの生徒は男2人のマジダッシュに何事かと注目が集まった。だが、一瞬で目の前を通りすぎるので、それを追う者はいなかった。亮との距離はかなり縮まった。グラウンドに出るまでに越せる!!そう思った時、亮の速度が上がった。
俺も、さらに速度を上げた。走りながら、きついネクタイを緩めた。風が気持ちいい。もう、手の届く距離に亮だ。そして、あと500m弱でグラウンドだ。亮の荒い息遣いも聞こえる。俺は額から一筋汗が流れるのを感じた。そして、それは一瞬だった。一気に亮を追い抜きそのままグラウンドの中心へ。陸上部や、サッカー部の練習している間を通り抜けた。練習していた生徒は一斉に視線を2人に向けた。俺は、亮を抜いた瞬間、景色が広がったように見えた。そして、グラウンドに倒れた。
「かっー!!きつっ!やっぱ、駄目だな」
一瞬、全てを忘れてた・・・。
「やっぱ、速いな。さすが陸上部のエースだな。はぁ・・やっぱ追い越された」
亮が後ろで肩で息をして、膝に手をついていた。俺は、振り向けなかった。お守りの事なんて忘れてた。自分の事を殴りたくなった。
「・・・最悪だな」
俺は自己嫌悪で呟いた。
「・・・『何があっても走る事を止めないでください』」
突然、亮が言った。俺は、亮に背を向けたままだった。急に何だよ・・。亮は、言葉を続けた。
「これさ、お守りの中に入ってたって知ってただろ?」
「・・・・」
俺は答えなかった。でも・・・知っていた。何かが入っている事を。でも、怖くて開けれなかった。それを見たら、全て終わってしまう気がして。
「まぁ、いいや。これは、たまたま見つけただけだしな。これからが、俺の仕事だ」
俺は、後ろから風が吹いてくるのを感じた。とてもとても強い風だ。周りにいる部活をしている生徒には吹き付けていない風。俺は、亮を振り返った。そこには、亮がいた。そして、亮の周りに何か?漂っている。
「蕪螺木、お前の両親からの伝言だ。しっかり聞けよ?」
亮がそう言って、手をパチンと鳴らすと、亮の周りの漂っていた物が形を現し始めた。薄くて、よく見えないけど確かに俺の両親だった。無表情で、目の前を・・浮いている。そして、二人が口を開いた。それは、いつも聞いていた懐かしい声だった。
「あなたなら、出来るわ。どうか・・・どうかこの先何があっても走る事をやめないで」
「昔からお前には走り続けろ!て言ってただろ?お前は笑顔で走ってればそれでいいんだ」
それだけ言うと、二人の形をした物は消えてしまった。最後まで無表情だった。目の前には、亮だけがたたずんでいる。父さんも、母さんも死んだ。あの日、火事で。
「良い両親だな。ずっとお前の事、自慢してたぞ?走るの大好きな子だってな。いい加減、気づけょ。いつまで、あの二人に心配かけるつもりだ?」
分かってた。本当は・・・走りたい。何も考えずに思い切り走りたい。あの頃のように。けど、俺が殺したんだ。俺が、いつまでも走らないせいで・・。父さんも、母さんも物置に取りに戻ったんだ。
「なんで・・・なんで、それなのに、走れ!とか言うんだよ。なんで、誰も俺を責めないんだよ!!いっそ責めてくれたほうがどんなに・・。なんで、最後まで俺の事なんか」
俺は、頬に涙が流れるのを感じた。涙なんて流すのは両親が死んで以来だ。
「親は、子の幸せを願うもんだよ」
亮は複雑そうな顔で俺を見た。両親と過ごした日々が蘇ってきた。いつでも、笑顔だった二人。そして、俺も笑っていた。あの頃は、一日中だって走っていられた。
「・・・走りたい。俺、もう一回走りたいよ」
その時、亮が俺の前にしゃがんだ。そして、いつものクールじゃなく、あの子供みたいな笑顔で言った。
「走れよ」
次の瞬間、また両親の形をした物が二つ、俺の頭を触った。
『悠人、幸せになりなさい』
俺が見た最後の両親の表情は、笑顔だった。俺は二人の笑顔が大好きだった。いつの間にか忘れていた・・。俺が、二人から笑顔を奪っていた。それは・・俺がずっと走るのを拒んだから。そんな事・・・本当は分かってたんだ。俺が幸せになれる方法も、俺が両親にしてやれる事も、全部分かってたんだ。目の前が霞むくらい泣けた・・・。どうしようもなく泣けた。いつだって笑顔だった両親が大好きで、その中で笑顔で走る自分がいて、それが全てだった頃を思い出した。
「俺の・・・負けだな」
俺は、亮に向かって苦笑いをして見せた。そして返ってきた返事は、
「ん?いや、この勝負はお前の勝ちだろ?」
不敵な笑顔で俺を見る亮。確かに。グラウンドまでどちらが先に辿り着けるか、この勝負に俺は勝った。現に、お守りも手元に戻ってきた。さらには、両親?にまで会えた・・・・・
て、ちょっと待て待て!!!何それ?なんで両親に会えた?
俺は、未だ止まらない涙を無理に拭きとると、我に返り亮に詰め寄った。
「お前・・・一体なんなんだよ?!」
「え?何が?」
きょとんとした顔で亮はしらをきる。そしてその時、ちょうど亮の後ろから一人の少女が出てきた。
「あっ!やっと終わったんだ~依頼終了だねー亮!」
「・・・ヒヨリ。今その話するなよ」
亮が少し戸惑うように少女に話しかける。しかし、少女はお構いなしにどんどん進める。
「悠人!あんた足やっぱ速いね~上から見てたょ!さすが、あの二人の自慢の息子!」
「・・あの二人?」
俺は聞き返した。
「そうそう!あんたの両親。もうあたし達の前で親バカ炸裂?てゆーの?あんたが走ってるところが好きなんだって、笑顔で言ってた」
「・・・どーゆー事?」
意味が分からない。俺の両親はすでに死んでいて・・・生きてる時の知り合い?はありえないだろ!なんで、この二人が俺尾の両親とそんな仲良さそうに話してるんだ!?
「ヒヨリ!喋りすぎ!行くぞっ!!」
「えっ!?」
今まで黙っていた亮が会話に入ると、ヒヨリと呼ばれる少女を掴むと・・・消えた。消えたのだ。俺の目の前で。だから・・・意味がわからねぇー!何コレ?どういう展開?人が消えた?あいつら何者?
グラウンドに取り残された俺は呆然と二人が消えた場所を見つめた。が、ずっとそこにいるわけにもいかず・・さすがに恥ずかしいし。とにかく家に帰った。家に帰る途中も家に入った瞬間でさえも考えていたのは、あの二人の事。両も、ヒヨリとよばれる少女も何者なんだよ・・。消えるとか・・ファンタジーの世界?!・・・と、次の瞬間。
「‼痛っ!」
部屋の隅にある物体に躓いて転んだ。少し青みのかかったその袋は中身なんて見なくても分かる。俺の・・シューズ入れだ。これを、火事の時、両親は俺にお守りと一緒に渡した。あの日から一度も袋を開けず、これからだって開けるつもりもなかったのに・・・それでも捨てれなかった。今なら、笑顔で開けるような気がした。優しくその袋を撫でると、俺は両親の写真の前に立った。まだ・・・不安だけど、もう一度始められる気がした。そして、写真の中の両親も、笑ってくれたような気がした。
「父さん、母さん、ごめん。・・・・・ありがと。それから、もう一人・・・言わなきゃいけない奴がいるんだけど・・あいつ明日学校来るのか?何者かも分からないけど、とにかく会わないとな」
なんだがウキウキした気分になり、今日は早めにベッドに入り、明日を待った。問題は、明日なのだ・・。
次の日・・・
「なんで、昨日あんな早く寝たのに、寝坊なんだよ‼」
俺は急いで準備したが、このままじゃ完全に遅刻だ。もう校門前で教師に停められて説教はこりごりだ。眠たいを目を擦って、欠伸をすると、緩く軽くネクタイを結び、度の入っていない黒ぶち眼鏡はつけず、軽くズボンを下げ、頭は寝癖のまま。床に置いてあった青みのかかった袋から中身を取り出すと、そこには使い古された靴が入っていて、俺は慣れた手つきで靴紐を掬び、6畳一間の部屋を飛び出した。朝からランニングをしている人に軽く挨拶をし、それをこして学校に向かう。走れば間に合う距離だ。遠くで校門が見えた。その手前にはいつかの集団。俺に絡んでくる集団だ。ヤツらも遅刻ギリギリなのかはしっていた。が、どうにも遅い。一般人から見たら、普通なのかもしれないが・・・。やはり遅い。俺はいつかの事を思い出した。
もう集団の会話が聞こえるくらいの距離だった。
「やべぇょ!間にあわねぇー!絶対遅刻だ!」
集団の一人がそう叫ぶ。そでに、校門の門は閉まり出していた。次の瞬間、“ドンッッッッ!”
集団の脇をぶつかるように通りすぎる。
「痛ぇな!誰だ!?」
俺は通り過ぎた後、少し振り向くと笑顔で答えた。
「悪い!大丈夫?つか、急がないと遅刻するんじゃない?」
「‼蕪螺木っ?!」
集団は、俺の変わりように驚いたのか、唖然とした顔で俺の背中を見つめていた。俺は笑顔だけを残し、そのままさらりと校門が閉まる前にスルーした。このくらいの距離なら走ってもまだ呼吸は乱れない。それがどうにも嬉しくてニヤけが止まらない。走るのが楽しい。本当にそんな気持ちでいっぱいだった。そして、案の定例の集団は校門を目前にして、中に入る前に閉まってしまった。
「っと・・どこいるかな」
教室に向かう途中でも廻りをきょろきょろ見ながら歩く。そして、廻りの生徒も俺の事を珍しいそうに見ている。そんなものには、お構いなしだ。今はあいつらを探すだけ。結局見つからず、教室に辿り着いてしまった。もしかしたら、教室にいるかも・・淡い期待を抱いて開いたドアの向こうには・・やはりいない。その変わり、教室の全員が俺を見た。そして、そこかしこで何か話している。まぁ、これが俺だし、どう言われようといいけど。
いくら待っても亮は教室に現れない。俺は気になって初めて・・・前の席の生徒に話しかけた。
「あのさ・・今日、遊月見た?」
少し戸惑ったような表情を見せたその生徒は、さらにとんでもない事を口にした。
「えっと・・・遊月って誰?」
「え?だから・・この前転校してきた遊月亮て男の事だよ!ちょっと変だけど、顔はけっこうかっこよくて・・」
「誰それ?最近転校生なんて来てなくない?」
奴を【かっこぃぃ】と言う自分に多少イラだったが・・それよりもどういうことだろう。他の生徒に聞いてみても同じ答え。
「遊月?誰それ」だ。まるで、亮の存在なんて最初からなかったみたいだ。あれが、夢なわけはなく、意味が分からない。むしろ、夢であってたまるか!どこを探していいか分からなかったが、探さずにはいられなかった。こんな簡単に目の前からきえるなんて思いもしなかった。ここ数日毎日のように付きまとわれてたんだ。そんな・・・ちょっと興奮気味の自分にまた腹が立った。何がって・・・案外簡単に見つかった。
「あっ!蕪螺木だ」
屋上。いつもの場所。亮とヒヨリはそこにいた。俺は、二人の前でがくりと膝をついてうな垂れた。
「普通にいるじゃん・・」
「何が?普通にいるよ。もういなくなるけど」
亮は笑顔で俺に話しかける。その笑顔は冷たかった。
「あっ、見たよ。今日朝走ってたな。うん・・楽しそうだった」
その時の亮の笑顔はあの少年のような笑顔だ。分からない。何でこうもいろいろな顔をするんだろう。けど、そんな事を気にする前にやる事がある。
「説明してもらおうか?!お前らどういう何なの?まるで、お前らの存在が消えたみたいな反応された」
俺は、真剣な顔で見つめた。さすがの、亮もヒヨリも困った顔をして見せた。
「・・亮のせいだ。最後に悠人見たいって言うから・・」
「それはさっき謝ったろ?」
「けど・・本当はダメなんだよ」
「分かってるって」
なにやら、二人で会話してる。俺にとったら全く意味不明だ。
「いいからっ!説明!!」
俺は二人の会話を遮って迫った。亮がゆっくりと口を開いた。
「んで・・蕪螺木は何を知りたいの?」
「全部」
「全部って言われてもな~とりあえず質問してくれたら答えるけど?」
何だか亮にはまだ余裕が見えた。それが少し腹立つ。
「・・まず・・お前ら二人は人間じゃないのか?」
我ながらおかしな事を聞いている。『人間じゃないのか?』・・漫画じゃあるまいし、そんなおかしな事があってたまるか。そう思っても目の前で起きた事は変えられない。
「うん・・まぁ、もう人間ではないな」
「あっ!亮!!」
ヒヨリが止めに入るが、亮はそのまま続けた。
「もう?」
俺はそのまま質問を続けた。
「そこらへんは説明すると長くなるからさ~俺らあんま時間ないし」
「それじゃ、納得いかねぇよ!いいから!全部話せ!」
俺は少し声を荒げた。亮はやはり困った顔をした。
「本当に全部聞きたいの?」
「・・・あぁ」
俺は頷いた。ヒヨリも何だか諦めた様子で亮に話しかけた。
「亮・・あたし知らないからね」
亮は何も言わずにヒヨリの頭を軽く叩いた。そして、亮がため息を一つついた後、いつもの笑顔に戻った。
「俺達・・・簡単に言えば、【死神】なんだ」
「はっ?」
まさかの答え。亮は変な奴だと思っていたが、そこまでおかしな奴だとは思わなかった。何?電波系とかそっち系?
「・・・その顔は信じてないな」
亮が俺の顔を見ながら、苦笑する。
「まぁ、別に信じなくてもいいけど。話は続けるぜ?・・・死神って言っても、死ぬ人間の前に現れて、魂を獲っていく、空想の死神とは違う。まぁ、それも仕事の一環だけどな。そーだなー。分かりやすくいえば、人間界で言う、宅配便みたいな?俺達はこっちとあっちの世界の狭間でいろいろ荷物運んでるんだ。・・・付いてこれてる?」
亮が説明しながら首を傾げる。
「・・ちょっと待って」
ついていけてない。うん・・落ち着いて整理しよう。まず、二人は人間じゃなくて死神で・・でも、荷物運送の仕事してて・・って・・えぇ?!意味わからん。ありえるの?!この展開は。
「人の命とか獲らないの?鎌とか持ってないの?」
「!悪魔みたいないい方するな!あたし達は悪魔とは違う!」
ヒヨリが怒った。亮は、ヒヨリを宥めながら笑顔で言う。
「いや・・まぁ、鎌とか持ってる奴はいるけど、それはたまに仕事とかで使う程度で。俺達は、悪魔とは違う。死神はあまり人間に干渉しない。悪魔とは全く違う存在だ」
めっちゃくちゃ干渉しまくってきた亮が言うと、説得力はない。俺の頭の中は混乱状態。いきなりこんな話・・・誰が信じるのか・・・。
「・・・うーん・・・。百歩譲って、お前らが人間じゃなくて、死神だとして、何で俺に関わったんだ?」
「それは簡単!さっきも言ったように、俺達は運び屋だ。蕪螺木の両親に頼まれて、蕪螺木の前に現れたんだ。お前の両親は、ずっとお前のコト見てたんだ。でも、お前がいつまでもウジウジしるからさ~依頼が来たんだよ。私達の思いを届けて欲しいって!」
「ありえるのか・・・そんなコト」
俺は、小さく呟いた。
「ありえるから、あたしらはここにいるんじゃん?」
ヒヨリが口を挟む。
「・・えぇー」
未だに納得いかない。もうどうすればいいのか分からない。そんなり信じられるほど、メルヘンな自分じゃない。でも・・目の前に事実。信じるしかない。
「・・もうどうにでもなれ!だ!」
俺は、大きくそういうと自分の頬をパチンと叩いた。
「それで?これからお前らはどうすんの?」
「ん?とりあえず依頼は終わったし、俺らの世界に帰るだけかなー」
亮が普通に答えた。
「俺の前にいきなり現れておいて、いきなり消えるのか?!」
俺は怪訝そうな顔で亮を見つめる。亮もそれを見て、笑う。
「まぁ、それはしょうがないだろ?依頼だったわけだし。俺はもともと高校生でも・・人間でもないんだ。蕪螺木も変わったわけだし、もう別に俺が近くにいなくても前に進める」
「そんなずるい!!」
俺は子供みたいに言う。そんな俺は見て、亮もヒヨリも笑う。けど、俺はそれどころじゃない。こんな終わり方はない。言いたい事もまだ全部言ってない。
「いや・・俺としては、蕪螺木にも来て欲しいけど・・」
「亮っ!それは規則違反!いい加減しな!」
ヒヨリが怒鳴る。
「ヒヨリ~お前が規則違反とか言うなって!お前だってまだここにいたいだろ?」
「なんであたしが?!別に人間界になんて興味も未練もない」
ヒヨリはそっぽを向く。
「俺も行ける場所なのか?」
俺は口を挟む。
「まぁ、行けるっていうか、こっちの世界の家にだけどな。したら、自分で頼めるだろ?」
「は?」
亮はすっかり笑顔だ。
「亮・・本当知らないからな!」
ヒヨリはそういうとまた・・・消えた。俺の目の前で。亮は、苦笑いだ。とにかくは今は、亮の言う通りにするしか方法はない。この先、全く予想できない。俺はどこに行って、どうなるんだろう。亮と俺だけになって屋上で一人で考える。
「ほらっ!蕪螺木!全は急げ!今すぐ行こう」
「ん?・・・これからぁぁ?!」
俺は振り返ると亮はすでに屋上を降りようとしている。
「ちょっ・・待てって!」
俺は亮を追いかけて屋上を降りた。
それが、これからの大変な道になるとも知らずに。
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