魔法使いのサバイバル! ~どうやら俺には魔王の才能があるようで~

無糖メグル

第1話 “ようこそ裏世界へ”

 



 ――やがて世界は、神秘まほうに侵食される。




 






 空には煌々と満月が輝いていた。


 さながら太陽の如く、巨大な銀月が夜の街並みを静かに照らしている。

 何故だか人の営みが感じられない、どこか作り物めいた灰色の住宅街。その一角に、小山ほどもある一つの黒い影が蠢いていた。


 ニチッ――メチャグチャ、ズルッボギンッ!


 地面に蹲るよう背を丸めた影が身を震わせるたびに、生々しくて水っぽい、それでいて時折硬い物が折れるような音が響く。


 喰らっているのだ。何かを。恐らく元は血の通った生物だったであろうモノを。


「Hruuuu……」


 人通りのない道。光を灯さない信号が見下ろす交差点のど真ん中で、しばらく食事に勤しんでいた影は、やがて満足したように喉奥を震わせながら熱い息を吐く。


 月明りに照らし出されたのは、ペンキを塗りたくったような不気味な青白い肌。上半身は荒縄を束ねたような筋肉で隆々に盛り上がり、下半身は野獣に似た剛毛に包まれている。

 指の先には鋭い鉤爪がズラリと揃い、頭部はぐるりと大きな巻き角の生えた山羊のもの。背中では蝙蝠のような滑らかな翼が一度、バサリと空を打った。


 それは『バフォメット』と呼ばれる、空想上の怪物にそっくりな姿をしていた。


 現代には存在しないはずの生き物。科学の発展と共に、人々の想像の産物へと貶められたはずの怪物は、全身で受け止めるように降り注ぐ銀月の光を見上げる。

 顔の作りは人間と全く違うはずなのに、何故だかその表情からは腹が満たされた以上の深い充足感がうかがえた。


「――はぁ、俺の支配領テリトリーでチョロチョロ反応があると思えば」

「Ga?」


 不意に、その背中へと第三者の声がかけられる。


 ピタリと動きを止め、のっそりと背後を振り返る怪物。その視線の先には先程まで存在しなかったはずの、黒いローブを着込んだ人間が立っていた。


 被っているフードの影に隠れているせいで人相は判別できないが、声からするにかなり若い男だろう。それこそ、まだ十代半ばの少年のような声色だった。

 まるで自室でくつろいでいるかのように場違いな調子で、彼は呑気に目の前の存在を値踏みするよう睥睨する。


「体感レートAくらい、か。この辺りじゃそこそこの大物だな」

「Gurrrrr……」


 それを挑発されたと受け取ったのだろうか。怪物は一転して不快げに唸り声を上げ、炯々と燃ゆる真っ赤な双眸でフードの男を睨み付ける。


 心の弱い者ならばそれだけで心臓を止めてしまいそうな威圧感を伴う眼光に、けれど男は小さく肩を竦め息を吐く。


 そして瞬間、怪物の視界から彼の姿が消えた。


「GuBaっ、GaAA――ッ!?」


 驚きに声を上げる怪物。直後、腹部で重い衝撃が弾け、その巨体は勢いよく地面と水平方向に吹き飛んだ。

 無人の交差点を突っ切り、歩道をワンバウンドで飛び越える。ビルの外壁に激突してもなおその勢いは止まらず、コンクリート壁を粉々に突き破り轟音と土煙を撒き散らした。


 一方、直前まで怪物が立っていた場所には、足を振り切った体勢の男が立っている。

 巻き上がったフードの下から露わになったのは、声色から察せられた通りの年若い少年の顔だ。


 彼はチラリと足元に散乱していた怪物の食事跡へ目を落とす。眉間にしわを寄せて一度舌打ちすると、気を取り直すように瓦礫の山へと顔を向けた。


「さっさと出て来いよ。この程度じゃ全然効いてないはずだろ」

「GuRuuuuu……!」


 少年の問いかけに答えるよう、怒りの声をあげながら怪物が瓦礫の中から這い出てきた。

 その外観に目立った傷は見当たらず、精々少しばかり表皮が土埃で汚れている程度であろう。


 その点について、少年に動揺はなかった。曲がりなりにもレートAクラスであれば、先程の一撃程度で怪我を負うはずもない。

 まさに超常的な頑丈さ。けれど只人ただびとならば恐怖するしかない威容にも、彼は何ら臆した様子もなく、不敵に不遜に鼻で笑い飛ばした。


 直後――ゾプリ、と。


 少年の周囲の空間が揺らめいたかと思えば、まるで明度を一段と落としたかのように闇が濃く深くなる。

 それはさながら、彼の周りだけ夜が二重に訪れたかのような変化だった。


 粘度が上がったかのごとくドロリと蠢動した影は、それ自身が意思を持つように鎌首をもたげて怪物と相対した。


「あんまり調子に乗るなよ、魔力源エサ風情が」

「GuRuAAaaAAaAAAAA!」


 その挑発に応えるよう、ビリビリと肌を突き刺す雄叫びがあがる。地面を砕きながら突撃してくる怪物を、男は嘲笑を浮かべ迎え撃った――





          ◇◆◇




 “Q:月から日までのうち、あなたが一番好きな曜日は何ですか?”

 “A:土曜日”


 “Q:犬と猫のうち、あなたが好きなのはどちらですか?”

 “A:犬”


 “Q:十二星座のうち、あなたが一番好きなのは何ですか?”

 “A:天秤座”



 ポチポチと、スマホの液晶に表示される設問に答えを打ち込んでいく。

 どれもがさほど悩む必要もない簡単な問いばかり。一つ答えるごとに次の質問へと切り替わる画面に、俺――高月こうづき 弥代やしろは自室のベッドに横たわったまま大きく背伸びをした。


「くぁ……っ! これ、いつまで続くんだよ」


 欠伸を一つこぼし、ゴロリと寝返りを打つ。横目で壁にかかった時計を確認すれば、既にスマホを弄り始めてから三十分以上経っていた。


 平日ならば教室で机に向き合っている時間帯ではあるが、本日は日曜日。高校は休みである。俺は部活にも入っていないから、今日は一日フリーだった。


 そんな日に朝から俺は何をしているかと言うと、大したことはない。たまたまネットで見つけてダウンロードした、スマホゲームの初期設定である。


 『魔法使いのサバイバル』


 内容としては、魔法使いとなった主人公が魔力を回収するため、他の魔法使いたちと時に協力し、時に敵対しながら現代社会に出現した悪魔を討伐するというものらしい。


 特に目新しさがあったわけではない。同じようなストーリーのゲームは、それこそネットに掃いて捨てるほど転がっているだろう。

 だが、アプリの紹介ページに載っていた登場キャラ……特に女の子のデザインが好みだったから、まあ時間つぶしにプレイしてみるか、とインストールしてみた次第である。


 先程からの設問は、主人公――つまりはプレイヤーの初期能力を決めるためのものだった。


 あれだ、竜がストーリーのどこに関わっているのかよくわからない某RPGの三作目に出てきた、性格診断のようなものなのだろう。


 出来るならば最初から強い状態でストーリーを進めたいところだが、どうやらこのゲームは配信したばかりなのか、あるいはマイナー過ぎるのか、ネットで検索しても関連サイトが一件も引っかからない。


 普通は攻略wikiどころか、公式ホームページすら引っかからなかった時点で違和感を覚えそうなものだが、この時の俺は何故だか『そんなこともあるだろう』と大して気にも留めていなかった。


 仕方がないので質問には直感で答えているが、どうにも数が多すぎて面倒臭い。

 中には似たような問いが幾つもあって、ここまで来るとゲームへの期待よりも、何度も同じ手順を繰り返させられる苛立ちの方が大きくなっていた。


 朝からダラダラと無意味に時間を浪費するのもそれはそれで贅沢だとは思うが、こうまで進展がないと億劫さが強くなってくる。

 ゲームが始まる前からここまで手間暇が必要になるとは、人気のなさも頷けると言うものだろうと内心で納得した。


 “0~9までのうち、あなたが一番好きな数字は何ですか?”

 “7”


 “太陽と月のうち、あなたが好きなのはどちらですか?”

 “月”


 欠伸を噛み殺し、惰性で回答を続ける。もはや何度目かもわからぬ似たり寄ったりな設問を半ば流し読みながら、次こそは、次こそはと文字を打ち込んでいく。


 最初こそ興味を引かれたタイトルであったが、既にその熱はほとんど冷めかけていると言ってもいい。

 こうまでユーザーの心情を慮れない運営だと、正直ゲームの中身の方もさほど期待できそうにないだろう。


 それでも途中で投げ出さないのは、せっかくここまで付き合ったのだから、一回くらいは本編の方もプレイしてやらなきゃ損だ、というよくわからない理論に突き動かされてのことだ。


 そして――同時に自覚こそなかったが、何故だか『途中でやめてはならない』という強迫観念にも似た思いが、俺の頭の中に巣食っていた。




 ――“あなたは、日常に満足していますか?”




「…………」


 ふと、画面を操作していた指の動きが止まる。


 表示されているのは、どこかこれまでとは毛色の異なる質問。俺は視線をスマホから外し、宙へと彷徨わせた。


 ちょっとだけ、考える。


 別に、今の生活に不満があるわけじゃない。


 学校に行って、適当に勉強して、時々友人たちと馬鹿やって。

 テスト前には一夜漬けて範囲を頭に叩き込んだり、課題の多い先生の悪口を仲間内で共有したり、彼女が出来た奴に嫉妬したり。


 自分で言うのもなんだが、一般的な高校生のお手本になるような日々を送れていると思う。


 家族の仲が悪いわけでも、極端な悩みを持つわけでも、ましてや虐めにあっているわけでもない。

 だからこそ、だろうか。


 平凡で、平坦で、普通で普遍で。


 そんな変わり映えのしない毎日を退屈だと、つまらないと感じてしまったのは、きっと贅沢なのだろう。


 まあ、だからと言って自分が特別になりたいわけでも、何かが変わればいいと願っているわけでもないのだけど。




 “いいえ”




 何も含むところなく俺は、その問いに安直な答えを返した。


 そしてその直後、スマホの画面が一瞬だけ眩く発光する。

 突然の光に目を細める中、俺の動体視力で僅かに捉えられたのは、まるで幾千幾億もの歯車がかみ合わさったかのように回転する、複雑な記号で出来た円陣のようなものだった。


 見ているだけで不安になるような、胸の内側を鋭い爪で引っ掻かれるような不快な気分になる紋様。

 例えるならば、それは魔方陣とでも呼ぶべき代物だったろう。




“ありがとうございます。

 プレイヤー名: 高月 弥代 様の情報を登録いたしました”




 光が収まった時、確かに画面に浮かんでいたはずの魔方陣は綺麗さっぱり消えていた。その代わりと言わんばかりに、スマホには別の一文が表示されている。


 俺は事態を理解できず数秒呆け、すぐに背筋に冷や水をぶっかけられたような気分になった。


「は……ちょっと待て! まさか個人情報抜かれた!?」


 入力した覚えのない実名表記に、反射的にベッドの上から飛び起きる。

 もしやウィルスに感染してしまったのだろうか。こういう時、はたしてどのように対処するのが正解なのか。


 パニックを起こした俺は、ひとまずこれ以上情報を抜かれないようにと、混乱した頭でスマホの電源スイッチを押す――が、画面は点灯したまま切れる気配がない。


 これは本格的に感染したか!? と俺が戦々恐々と画面を見つめていると、ザッと一瞬ノイズが走り、新たな文章が表れた。




“ようこそ、裏世界へ

 我々は、新たな魔法使い様の存在を歓迎いたします”




「え――――ぁ?」


 途端、まるで糸が切れたかのように、俺の体から力が抜け落ちた。どころか不自然な睡魔が意識を襲い、ぼふんと音を立てながら布団の上に逆戻りする。


 抗いがたい眠気に目蓋が重く閉じかける。


 霞む視界、手のひらからスマホが滑り落ちる中で、俺はまるでドロリと世界が溶け落ちるような光景を目にした気がした。



 

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