8 訃報

 高三の夏だった。ある日の夕方、唐突に家の電話が鳴った。

 珍しいことだった。わたしたちが小さかった頃はともかく、その頃には父の仕事の電話にせよ学校からの連絡にせよ、たいてい父の携帯に掛かってきていたし、わたしも妹も、もう携帯を持たせてもらっていた。

 もう固定電話を引いている意味もたいしてなくなってきていた頃だったから、てっきりどこかの業者の営業電話ではないかと思った。父も同じことを考えたのだろう。腰を浮かしかけたわたしを手で制して、自分が立ち上がった。

 わたしも妹も自分たちには関係のない話と決めてかかって、父が子機を持ち上げたときにはもうテレビのほうに気をとられていた。

「はい。ええ、安藤です。……はい」

 何か相手の話に相づちを打っていた父が、長く黙り込んだ。

 その沈黙を訝ってわたしたちが振り返ったとき、父の横顔はひどく青ざめていた。

「……はい。待ってください、メモを」

 その手がボールペンを取り落とすのを見て、わたしと妹は顔を見合わせた。

「お願いします。……はい。これから伺います」

 いまから? わたしたちは怪訝な顔をした。じきに暗くなりかかる頃だった。どこに出かけるのか知らないが、そんなに急ぐ用事なのだろうか?

 短くはない通話を終えて、父はそのまま立ち尽くした。

「父ちゃん? どうしたの?」

「――暁美さんが」

 亡くなったって、と続ける声は掠れていた。



 父と一緒に隣の県の警察署まで引き受けに行ったときには、母はすでに焼かれて骨になっていた。

 最初、帰りが遅くなるかもしれないからと、父はひとりで出かけようとしたのだが、残るほうが心細いからと、わたしたちも一緒に車に乗り込んだ。

 高速を使って片道一時間半。隣の県の知らない町に着くまで、わたしたちは言葉少なに、カーナビの示す内容だとか、警察署に行くなんてはじめてだねとか、そんなことをぽつぽつと話した。

 身元確認用に撮られていた遺体の写真を、父はわたしたちには見せなかったが、紛れもない母本人だったそうだ。

 酔っ払って深夜に路上で寝入り、そのまま吐いて、窒息して死んだ。子どもたちが目の前にいるからか、警察の人はいくらか言葉を濁して説明したけれど、どうやらそういうことらしかった。

 母らしい死に方だ、というのがわたしの感想だ。

 泥酔してバッグもどこか別の場所に置き忘れ、そのせいで身元の確認に時間が掛かったらしい。誰かと一緒に飲んでいれば介抱もしてもらえただろうに、母がどういう心境でひとりで飲み歩いていたのかはわからない。

 まだ酒を飲む年齢ではないわたしにとって、それはただただつまらなく、みじめなことのように思えた。

 それでも、無断欠勤が続いたことを心配した同僚が警察に届けたというから、思うよりは人との繋がりが希薄だったわけでもないのかもしれない。

 意外というなら、邪魔者のコブがいなくなったというのに、母に恋人だとか同棲相手だとか、そういう相手がいなかったらしいことが、わたしには予想外のことに思えた。

 もっとも、出て行ったあと、あの母がずっとひとりで寂しく暮らしていたとはわたしは思わない。そのときたまたま男を切らしていたか、相手が名乗り出もしない程度の間柄だったかのどちらかだろうと思っている。



 父が何か手続きの書類を書いたり、警察の人から説明を受けたりしている間、妹と二人、待合のベンチに並んで座って、ぽつぽつと話した。

「遺影とかどうするんだろ。写真、ないよね」

「ないね」

 祖母も母も写真が嫌いだった。それでも一枚も撮ったことがないなんていうことはなかったのだろうけれど、わたしたちの手元には何も残っていない。引っ越しのときに処分したのか、もっと前に捨てていたのか、母は自分の卒業アルバムさえ手元に残していなかった。

「どうすんだろ」

「お葬式なんてやったって、誰も来ないでしょ」

「どうだろ。同級生とか」

「いるのかな」

 いないはずはないのだろうけれど、わたしの記憶にある範囲では、母が友達と連絡を取り合ったりしていたことはなかった。父が連絡先を知っている相手もいるだろうけれど、知らせるほど親しい人がどれだけいたのかはわからない。

 帰りの道中では、意外にも父は泣かなかった。長距離の運転が久しぶりで気が張っていたのかもしれないし、もっと単純に、まだ実感が追いついていなかったのかもしれない。

 わたしが泣かなかったのは、もう少し醒めた理由からだ。少なくともわたしにとっては、母はもうとっくにいないも同然の相手だった。生きていたところで戻ってくることもないだろうと思っていたし、生きていようが死んでいようが大差はなかった。



 数日後、時子さんが前触れなく顔を見せた。

「あらやだ、あんたまた痩せたんじゃない。女の子はちょっとふっくらしてるくらいのほうがいいわよ」

 そう言って押しつけてきたタッパーは、精進料理でもなんでもなく、唐揚げだの肉じゃがだの生臭物だらけだったが、それでも時子さんは部屋に上がるなり、お骨の前で正座して神妙に手を合わせた。

 時子さんからしてみたら一度しか会ったこともない相手で、迷惑きわまりない疫病神だったはずだ。籍を入れて一年もせずにこぶ二人を押しつけていなくなった女のことなんか、義妹と思ってもいなかっただろう。

 そういうことを正面から口にする神経の太さはわたしにはなかったけれど、何事にも頓着しない明里は平気なもので、

「時子さん、おかーさんのこと嫌いだったんじゃないの」

 そう正面から聞いた。時子さんは何ともいえない顔をしたけれど、

「そうだけど。でも、あんたたちのお母さんでしょ」

 そんなふうに言った。

 母のためにというよりは、わたしたちの心情をおもんぱかって手を合わせたのだと、そういうことなのだろう。

「だいいち、死んだらみんな仏様よ。亡くなった人に文句言ったって、いまさらどうしようもないじゃない」

 しみじみと骨箱を眺めた時子さんが、そんなふうに言うのを、薄情だとは思わなかった。悪く受け取るなら、いっそ死んでくれてせいせいしたとでも言わんばかりの内容ではあったけれど、それで腹を立てるほど、わたしは母に同情的になれなかった。

 時子さんが持ってきてくれた料理は、どれもわたしや明里の好物で、何が好きとか何が嫌いとかそういうことをゆっくり話した記憶もないのに、しっかり把握されていたことには、遅れて気がついた。

「時子さん、来てくれてありがとう」

「伯母さんでいいわよ」

 どういう心境の変化か、時子さんは苦笑してそう言った。もしかしたらその言葉は、とうとうお互い以外の血縁者を喪ったわたしたち姉妹への同情からだったのかもしれない。それでも不快ではなかったのは、押しつけがましさを感じなかったからだ。

「それにしても、こんなときにねえ。あんた受験勉強で大変なんじゃないの?」

 まあ大丈夫だと思う、模試の判定は悪くなかったから、というようなことをわたしは言ったと思う。

「あんたはほんと、しっかりしてるわよねえ」感心したような呆れたような口調で、時子さんは言った。「まあでも、がんばんなさいね、一生のことだからね」

 それから時子さんは、明里のスカートの短いのをひとしきりくどくどと叱ると、洗い物をしながら父と何か少し話し込み、励ましのつもりなのか、濡れた手で父の背中をばんばん叩いて悲鳴を上げさせて、

「ま、何かあったら連絡しなさいよね」

 そう言い残して帰って行った。

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