6 飛んで火に入る

 わたしたちの母親は気まぐれな人だった。気まぐれに遊び、気まぐれに金を遣い、気まぐれに男を変えた。気まぐれにわたしたち姉妹を愛し、気まぐれにうっとうしがった。

 ひと晩じゅうどこかで遊び回って連絡ひとつよこさず、冷蔵庫はほとんど空のまま、わたしたちにお金を持たせることも忘れて平気で男に媚びていられる。そのくせ、ときどき急に母性だか愛情だかを思い出して、うんざりするほど私や妹をぎゅうぎゅうに抱きすくめて頬ずりする。

 幼いころのわたしは機嫌のいいときの母を愛し、そうでないときの彼女を憎んだ。けれどいつかどこかの段階で、わたしはそれらの感情を、忘れてしまうことにした。

 薄情でろくでなしで自分勝手ではた迷惑な、いないほうがましな女だった。わたしの中で母は、最初からそういう存在だったことになった。そのほうが都合がよかったからだ。

 気分屋で身勝手だけれども、ときには優しいところもあったというよりは、救いようのない悪い母親だったと思っているほうが、いくらか気の持ちようが楽だったから。

 妹はどうだっただろう。あの子はわたしほど器用ではない。母親のいい思い出をそっと取り出して胸のうちであたためるような日も、もしかしたらあったかもしれない。

 けれどわたしたち姉妹のあいだで、母のことが話題に上ることはほとんどなかった。それは暗黙の了解としてそこにあった。母を恋しがってはいけない。母との思い出話を口に出してはいけない。



 祖母が死んだあと父と暮らすようになる前の時期のこと、母と妹と三人だけで暮らした一年間を、口にしないだけで、わたしは本当は少しも忘れてなんかいない。

 しょっちゅうお腹がすいていた。いつ帰ってくるかわからない母を待てずに、ビールのほかはほとんど何も残っていない冷蔵庫を未練がましく何度も漁った。

 小遣いなんていうものはもらっていなかった。母は留守にするとき、千円札をテーブルの上に置いていくこともあったが、何の予告も書き置きもなく帰ってこない夜もあった。

 頼るべき祖母はもうおらず、ほかの親類とも縁が切れていて、家に遊びに行けるような親しい友達は近所にいなかった。前にはいたこともあったけれど、妹を連れて行けるほど気兼ねのいらない相手は少なかったし、その家の大人たちにあれこれ詮索されるのがいやになって、だんだん敷居が高くなっていった。

 それでもせいぜい一日か二日もすれば、たいてい母はいつの間にか帰ってきていたけれど、ときにはそれが三日になったり四日になったりした。このまま二度と戻ってこないんじゃないかと思う夜もあった。

 ――ねえちゃ、おなかすいた。

 明里はすぐ泣いた。わたしだって泣きたかった。小学校の給食以外に何も口にしていないのはわたしも同じだった。

 だけどわたしがしっかりしなきゃって、あの頃は何度も何度も自分に言い聞かせていた。お姉ちゃんなんだからあんたがしっかり妹の面倒みてよねと、母はよく口にしていたし、それに明里は同級生に比べてもずいぶん小さくて、本当に痩せていた。もしかしたらこの子は大きくなれないまま死んでしまうんじゃないかと不安になるくらいに。

 心細かった。妹の気をまぎらすためにもう読み飽きた絵本を開き、折り紙を折り、歌を歌い、絵を描いた。それでも明里が泣き出すのを宥めすかしながら、自分も泣きたかった。

 もし母がこのまま何日も戻ってこず、明里が先に死んで、わたしだけが生き残ってしまったとしたらどうなるんだろう。その悪い想像は不意にやってきて、何度となくわたしをおびやかした。小さな妹を死なせて自分だけ生き残った姉は、世間からどれほど責められることだろうと。

 つまりは妹よりも、自分のことを心配していたのだ。子どものころのわたしは少しも子どもらしくなく、あるいはひどく子供じみて、打算的だった。

 ――おかーさん。

 明里はいつも母を恋しがって泣いた。わたしはどうだっただろう。母に早く帰ってきて欲しいと思っていたのは一緒だけれど、それは空腹と生活の不安のためであって、いつごろまで純粋に母自身を恋しいと思っていたかは、もうよく覚えていない。

 明里が熱を出した夜もあった。保険証がどこにあるかも知らなかったし、病院代なんかもちろんなかった。明里は熱のせいでいつも以上にぐずって、常備薬も家にはなかった。見よう見まねでタオルを濡らして額に当てるくらいのことしかわたしにはできなかった。

 誰かを頼ればよかったのだと、いまなら思う。隣の部屋の住人でもいい。歩いて行ける近所の交番でもいい。友達の家でもいい。

 もう小学校の三年生にもなれば、それくらいの判断はできてもよかったはずだ。だけどわたしは頑なに外の人に対して、自分の家の中で起こっていることを話したがらなかった。妹が病気に苦しんでいるときにでさえ。

 ひと晩あけると明里の熱はけろりと下がり、朝帰りをした母に、わたしは泣いて前の日のできごとを訴えたけれど、母はごめんごめんと気もそぞろに謝るきりで、形ばかり妹の額に手を当てて熱が下がっていることをたしかめると、そのまま布団に潜り込んで寝てしまった。



 まだ父がわたしたちの父ではなかった頃、ふたりの結婚のきっかけになった会話を、よく覚えている。

「暁美さん、もう、ふらふらするのやめなよ。ちゃんと落ちつきなって。無理にでもさ。あの子たちのために」

 父は、わたしがその話を聞いているとは思っていなかっただろう。わたしは襖を挟んだ反対側の部屋でぐっすり眠っているはずだったし、父は声をひそめていた。少なくとも本人はそのつもりだった。だけどもともと地声の大きい人だったし、わたしは寝付きのいい子どもではなかった。

 母はいっとき、父の言い分を黙って聞いていたが、やがてぽつりと呟いた。「そっか。あの子たち、可哀想なのか」

 その言葉に対して父が何か、反論だか弁解だかを言いかけるのを遮って、

「それなら浩二、あんた、あの子たちの父親になってくれる?」

 そうけろりと言った。

 馬鹿じゃないの、とわたしは襖の反対側で思った。

 父はたしかに、子どもたちのためというお題目にかこつけて、母を口説いたのかもしれない。だがそれにしてもその台詞はあんまりだろうと、子ども心にでさえ思った。言葉の中身そのものよりも、どちらかといえば母の口調のせいで。

 思えば母はいつでも男を切らさずにいたわりに、いつまでも男心に疎いようなところがあった。駆け引きとか照れ隠しだとか、そうした機微も何もない、ただ本当にそうしてくれるならちょうどいいとでも言いたげな調子だったのだ。

 それじゃあただ都合よく利用したいと言っているも同然じゃないかと、聞いているわたしのほうがやきもきした。

 だが父はそれを上回る馬鹿だった。

「俺でよかったら、喜んでなるよ。あんないい子たちなら」



 そして馬鹿な男は自分から飛んで火の中に入って、女は籍を入れて一年もしないうちにさっさと逃げ出し、父の手元にはまだまだ金も手間もかかる子どもふたりだけが残されたのだ。

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