2019/08/27(火)

 「優しいだけでは生きていけない」を書き始めてから、「小説を書くときには読者のことを考えなくてはならないか?」という問題にぶつかっている。これは小説だけでなく、芸術一般の創作とその鑑賞者との関係についても同様に論じることのできる問題だろう。

 そもそも芸術の発祥ということを考えると、存在しないものを鑑賞することはできないから、創作の方が先にあったことは多分間違いない。しかしだからといって、創作者の方が鑑賞者よりも立場が上だということにはならない。とりあえず現代社会での状況に限って言えば、多くの場合芸術は商業化されており、お金を払ってくれる鑑賞者がいなければ創作者は労力に見合った報酬を得ることができない。創作者はある程度、鑑賞者の顔色をうかがう必要がある。

 しかし小説家は読者の顔を見ることができない。音楽家なら演奏会を開けば聴衆の反応が得られるし、画家なら自分の展覧会に顔を出せばいい。しかし小説家は、人が自分の本を読むところに立ち会えない。このことは、小説というジャンルにおいて、他の芸術の分野におけるのよりも多くの割合で「奇形」の作品が生まれていることの理由ではないだろうか。新人作家たちは、読者のことなんてとりあえず忘れて自分の表現欲求を満たすためだけに小説を書く。それはマスターベーションだという指摘が飛んでくるかもしれない。しかしマスターベーションを経ずにセックスができる人なんてほとんどいないのだから、世の中の人たちには表現者に対してもっと寛容になってほしいものだと思う。

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