応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 2019/10/01(火)への応援コメント

    わたしの考える幸せの『あり方』は、大切な人と笑顔で過ごした時間が積み重なっていくことでしょうか。大切な人は、家族や友達、恋人などです。小さな幸せを感じることもありますし、大きな幸せを感じることもあります。

    ちなみに、身近には他の人と比較して恵まれていることで幸せを感じている人もいます。人によって色々な幸せの感じ方があるようです。

    その人が幸せだと感じることができる、「何かがあること」「幸せを感じれること」が幸せであるように思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「大切な人と笑顔で過ごした時間が積み重なっていくこと」、素敵な幸せの形ですね。
    私は人との繋がりというものを議論から取り除いてしまっていたかもしれません。

    「他の人と比較して恵まれていることで幸せを感じ」る。それもそうですね。
    でも、ここでの「恵まれている」は、「不自由がない」とも言い換えられるのではないでしょうか。
    そのレベルを超えると(つまり、例えばお金が必要以上にあると)、いくら恵まれていても、しばしば幸せは飽和します。

    幸せを感じられることが幸せだというのもよくわかります。
    それには他の人との比較が鍵になってくるのでしょうね。

    貴重なご意見ありがとうございました。
    もしまだ言い足りないことがあれば、近況ノートまでどうぞ。


  • 編集済

    2019/08/28(水)への応援コメント

    こんばんは。
    僕凸様の雑感を興味深く読ませていただいています。
    さて、作品「優しいだけでは生きていけない」がお蔵入りしそうだとのこと。なんと!読んでみたいと思っていましたので、残念です。
    人の創り出す作品は、その個人と無関係ではありません。全てを曝け出すわけではありませんが、その人の感覚や考え方がその根底に静かに流れています。そして読者は、作品に触れることでその感覚や考えに共感する場合もありますが、読者のそれらとの違いから新鮮な驚きが与えられ、新たな感覚などがもたらされる場合もあります。作者に読者の顔が見えないように、読者も作者の顔が見えないので、意図を考えず自然にその作品のもたらすものを享受することができます。
    そうであるならば、ひとます読者のことを考えず、公開されてみてはいかがでしょうか。
    ・・・申し訳ありません!作品を読んでみたかったので、それらしく長々と書いてしまいました。
    このような考え方もあると心に留めていただけると幸いです。本当に長々と失礼しました。   紫夜

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    これはあくまで私の持論ですが、作家たるもの、自身の作品に対してある程度の批評能力を備えていなければいけないと思います。つまり、いい作品を世に出そうと思うのなら、作品を執筆しながらそれを批評することが必要だということです。世に出てしまえば作品は作者の手を離れるわけですが、だからこそ、世に出るまでは、作者が責任を持って育て上げるというか、ちゃんとしたものにするというか、そういう意識はあってしかるべきなのではないでしょうか。
    アマチュアの私がこのようなことを言っても偉そうなだけかもしれませんが、アマチュアといえども私はいい作品を世に出したいので、いま現在満足のいかない出来である「優しいだけでは生きていけない」を発表するわけにはいかないということです。ご期待に沿えなくてごめんなさい。
    今後もっといい作品をどんどん書いていきたいと思いますので、そちらにご期待ください。