俺が古風な幽霊に取り憑かれたら
夢空
第1話 昼間に現れた幽霊
「あ、
突然現れた人型が、俺の目の前でひらひらと手を振る。その人型はまさに、これぞ幽霊! と言わんばかりの格好をしていた。白装束に身を包み、額には漫画とかで良く見る、三角形の額当て――
性別はどうやら女性らしい。容姿はかなりの美人だ。白装束でスタイルは分かりにくいが、体格は一般的な女性と比べると少し小柄。年の頃はおそらく十代後半、いっても二十代前半だろうか。顔は小顔でとても良く整っている。目がすごい糸目で、ちゃんとこちらが見えているのかどうか分からないくらいだ。
髪を腰の辺りまで伸ばし、先を紐で緩めに縛っていた。その髪は透けて、サファイアのような色合いを醸し出している。おそらく生前は、黒真珠のような艶のある黒髪だったのだろう。
その身はうっすらと透けて、ほのかに全身が青い光を放っていた。これが幽霊と言わず、何と言うのだろう……。
(いやいや、というか何で俺はそんな冷静に分析してんだ! 大体、今は真っ昼間だぞ! 幽霊は丑三つ時に柳の下ってのが定番だろうが!)
などと、微妙に論点のずれている思考が頭の中を駆け巡る。まずは、世の中に存在するはずのない幽霊が目の前にいる、という事を突っ込むべきだろうに……。
そう。俺はこの時、今まで生きてきた人生の中で、間違いなく№1に入るほどに混乱していた。
そもそも、なぜ俺がこんな事に遭遇する事になったのか。それは、夏休みだからとだらだら過ごしていた俺に妹が持ちかけてきた、あるはた迷惑な相談が始まりだった――
◇
「あーにき!」
ぐうたらと惰眠を貪っていた俺の上に、突然何かが降ってきた。
「ぐえ!」
それは見事に俺の鳩尾へと入る。俺は思わずベッドから跳ね上がり、激しく咳き込んでしまった……。
「げ、げほ! おい美咲! 寝てる時に上から降ってくるなって、何度言ったら分かんだ!」
「そんなに怒る事ないじゃん。もう昼だってのに、いつまでも寝てるほうが悪いんだよ」
この、突如上から降ってきた憎まれ口を叩く生意気な物体こそ俺の妹、白河美咲だった。美咲は俺と六つ歳が離れている。ちなみに俺は十七の高校二年生。美咲は小学五年生だ。
美咲はとにかく元気がいい。いや、良過ぎると言ってもいいぐらいだ。今のように上から降ってくるなど日常茶飯事。一箇所にじっとしていると言う事が無く、あちこち走り回る様は、まるでハムスターを彷彿とさせる。
もう少し女らしくならないかと常日頃から思っているのだが、そんな気配は微塵も出さない。むしろ、年々その男勝りな性格はひどくなる一方で、うちの両親も頭を悩ませていた。
「で、何で俺を起こしたんだ? まさか昼飯ができたから、呼びに来た訳じゃないだろう?」
この妹が、そんな律儀に俺を起こしに来るとは思えない。そこには必ず、何か下心があるはずだった。
「あー、やっぱバレバレ?」
案の定、そう言って美咲はぺろっと舌を出す。ばれる前提で事を起こした顔だ……。
俺は大きくため息を吐く。
「とりあえず言ってみろ」
「あのさ、今日一緒に虫取りに行ってくれない?」
「却下だ。俺は寝直すから、早く部屋から出ていってくれ」
美咲の頼みをあっさりと一蹴すると、俺は横になり、頭から肌掛けを被った。こんな暑い中で虫取りなんて、考えるだけで気が滅入る。
「ええー、いいじゃん。どうせ今日も暇なんでしょ?」
美咲が俺の上で馬乗りになり、肌掛けを引っ張って剥がそうとする。俺は起こされまいと必死に抵抗して叫ぶ。
「別に俺じゃなくったっていいだろ! 友達とかと一緒に行けばいいだろうが!」
「もう皆に電話してみたけど、誰も予定が空いてないんだよ。それに兄貴って昔、虫取りがすごくうまかったじゃん? だから一緒に行こうよー」
「大体、何で虫取りなんだ。お前、虫とか全然触れないだろ?」
そう、美咲はこういう虫とかいった類が全く駄目だった。以前、家にアレが出た時など、奇声を上げながら家中を走り回り、家具やら何やらを引っ掻き回した。両親に、それはもう壮絶に叱られたもんだ。
だから、この美咲の頼みと言うのは明らかに不自然だった。本当なら、見るのも嫌なはずなのだ。
「いやあ、自由研究で昆虫採集やろうと思ってさ。あれなら虫を貼り付けて、ちょこちょこっと説明を書けば終わりじゃん?」
「だったら一人で行ってこい。そういうのは一人でやるもんだろうが」
「あたし一人じゃ、そんなにたくさん捕まえる自信ないんだよ。だから行こうってば!」
美咲が俺の上で跳ねて抗議する。しばらく無視していたが、いつまで経っても終わる様子が無く、ついには根負けしてしまった。
「分かった! わーーーかった! だからとりあえず俺の上から降りろ!」
「やった! 兄貴大好き! それじゃ昼飯食べたら行こうね」
言い終わるが早いか、美咲はさっさと俺の部屋を出て行く。
俺は軽く溜息を吐くと、カーテンを開けて外の光を部屋に取り込む。外はむかつくくらいに良い天気だ。これからさらに暑くなるだろう。そんな天気にげんなりしながらも、俺は着替えてリビングへと向かった。
リビングでは、すでに昼食の準備が整いつつあり、テーブルの中央にグリーンサラダが乗っている。今日はおそらく、レトルトのカレーというところだろう。
向かいのキッチンから、俺が起きてきたことに気づいた母さんが声をかけてきた。
「あら、今日はずいぶん早いのね」
「美咲に叩き起されたんだよ、虫取り手伝えって……。美咲は?」
「なんか外に出て行っちゃったわよ。ほら、これ持ってって」
そう言って二人分のカレーを付き出した。俺はそれを受け取ると、テーブルの両端に置く。
なぜ美咲が外に出たのか。その理由は大方想像がついた。虫取りにはかかせないアレを取ってくるためだ。
玄関の方からドアの開く音が聞こえ、けたたましい足音が迫ってくる。
リビングに飛び込んできた美咲の姿は、虫かごを肩からかけ、虫取り網をさながら長坂橋の張飛の如く構え、頭には端が少し破れてささくれだった麦わら帽子を被りと、これ以上無いぐらいに準備万端だ。
「どう? かっこいいでしょ!」
「気が早いにも程があるぞ、お前。なんでそんなにやる気なんだ?」
「美咲! もうご飯なんだから全部外しなさい!」
「ちぇ。はーい」
渋々だが素直にそれらの装備を脱ぎ捨てると、美咲は自分の席に座る。俺も向かい側に座って、母さんが自分の分を持ってきて隣に座った。
『いただきます』
両手を合わせ、俺達は早めの昼食を食べ始めた。カレーはレトルトにしてはかなり辛めで、まだ少し寝ぼけ気味だった頭が徐々に冴えてくるようだった。
『七月二四日に起きた桐谷悟さんの転落事故ですが、未だ明確な原因が分かっておらず、遺書もない事から警察は……』
点けっ放しのテレビから昼のニュースが流れてくる。家の近所だが、別に知り合いでもないので気にするはずがなかった。
「で、今日はどこまで行くんだ?」
「へっほ、はひゃひひゃふぁひ」
「……まずは口の中のもんを飲み込め」
呆れる俺を尻目に、美咲はまるでハムスターみたいに頬袋をパンパン膨らませて詰め込んでいたカレーを、一息で飲み込んだ。そして口の周りに大量のルーをつけたまま、大声で叫ぶ。
「見栗山!」
「ああ、あそこか」
見栗山は町の中心にある小高い山で、昔から小さな子供達の定番の遊び場になっている。俺も昔は年がら年中通って、友人達と遊んだものだ。虫も、トンボからカブトムシまでかなりの種類を見た覚えがあるから、昆虫採集にはうってつけだろう。
そんな事をぼうっと考えていると、カランと乾いた音が響いた。見れば、もう美咲はすっかりカレーを平らげてしまっていた。俺はまだ半分も食べてないというのに。
「ごちそうさま! ほら、兄貴もさっさと食べちゃってよ!」
「起き抜けにそんな早さで食えるかバカ!」
正直、さっきから胃がなかなかカレーを受け付けてくれない。朝は弱い上に刺激物のカレーはちょっと重た過ぎだ。
「ぶー! ねー、早く早く!」
美咲がテーブルに身を乗り出し、椅子の上でバタバタと足を鳴らした。そんなに急かされても入らないものは入らないというのに……。
「ああもう、お前先に行ってろ! 食ったらすぐに行ってやるから!」
「絶対だよ! 十分待たせたら駅前のクレープ奢ってもらうからね!」
了承もしないうちに理不尽な約束を取り付けられ、美咲は床に放ってあった装備をかき集めると、鉄砲玉みたいに外へ飛び出していってしまった。
台風一過の後、俺と母さんは大きく溜め息を吐いた。
「あの子ももうちょっと落ち着きがあるといいんだけどね」
「……なんだかもう今日一日分疲れた気分だ」
俺はカレーをスプーンの先でつつきながら、げんなりとうな垂れる。美咲が元気なのはいつものことだが、今日はことさらパワーが違う。
「明日、
と、このままぐずぐずしている暇はなかった。遅れれば本当に無理矢理にでもクレープを奢らされてしまう。
とりあえず三口だけ何とかカレーを胃に押し込み、口直しにサラダのレタスを一切れ食べる。
「御馳走様でした。じゃあ行ってくる」
「気をつけて行ってらっしゃい。あの辺、今工事してるみたいだから」
「分かった」
玄関に向かうと、虫かごと虫取り網が一揃えで置いてあった。どうやら美咲が俺の分も用意してくれていたみたいだ。俺はそれらを取り、美咲を追いかけて見栗山へと向かった。
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