第31話 吉祥寺店店長さま②

 視界から類の姿が消えても、さくらは動けなかった。

 どきどきが止まらない。目に焼きついてしまった、さきほどの類の笑顔が痛い。いくら特別なお客さまでも、ほかの女の子なんて、見てほしくないのに。


「ちょっと、そこ。浮気現場?」


 シバサキのジャケットを脱いで片手にかかえた類が、さくらのすぐそばに立っていた。もう片方の手にはコーヒーを持っている。

 で、類の妻であるさくらはというと、真冬に肩を抱かれ、身体は密着されまくりである。


「る、るうるるるるっるうるるるいくん!」

「呂律が回っていないよ、さくら。カフェではお酒を出していないはずなんだけど。真冬さん、さくらになにかした?」

「なにかしたのは、ルイさんだよ」


 ふたりは睨み合った。立っている類のほうが威圧感があるけれど、真冬だって負けていない。龍虎、揃い踏み!(効果音はゴゴゴゴゴゴゴ……!)


「……ああ、なるほどね」


 現況を読んだ類は、納得した顔で着席した。少々乱暴に。長い脚を投げ出すようにして。


「その間から、見ていたんだね。覗きともいう」

「いいの、仕事は?」


 真冬が類に問うた。


「ちょっと休憩。あの子の相手、骨が折れるし。いずれ、引継ぎ案件だよ」

「ルイさんの顧客でしょ、俺についてくれるかどうか」

「うまく言い含めるよ。あの子を取り込めたら、まふゆんの成績があがるよ。全国一位なれるかも」

「ルイに俺の成績の心配をされるなんて、世も末だね」

「どうだか」


 うわあ、とうとう真冬が類を呼び捨てにした。どきどきする。やめてほしい。やっぱり、深い仲だったのかと疑いそうになる。


「で、今日はどれぐらい使わせたの」

「使わせた、じゃなくてお買い上げいただいたの。二百十六万」

「おいおい、いいのか」

「いいの。これでも、止めたんだよ。もっと課金しようとしていたから」

「お店のために、じゃなくてルイのために、ね。いーなー」

「彼女に買ってもらわなくても、ぼくはじゅうぶんトップクラスの売り上げなんだけど」


 営業部では、ノルマというか、個人の営業成績が発表される。誰がどれだけ売ったか、リアルタイムでデータが更新され、ランキングされる。


 ゲームみたいだけれども、そのシステムが苦しいと言っている社員もいるらしい。月間の上位者には、社長から表彰され、ご褒美が出る。もちろん、類も真冬も常に上位である。


「で、なにしていたの、ふたりはここで? エロいこと?」

「そんなこと、していない! 真冬さんにはお店を案内してもらって、類くんを待っていただけ」


「ふうん。夫以外の男と密着して、ねえ。お互いの顔、くっついてたよ」

「ごめんね。そうしないと、バックヤードから出てくる類くんが見えなかった」


「誤解を生むような行動は禁止、さくら。すでに、函館で騙されてキス済なんだ。さくらのガードのチョロさは天下一品」

「はい……ごめんなさい」


 類の怒りとただならぬ雰囲気を察知した様子で、真冬が立ち上がった。


「じゃ、俺は帰るね。ルイ、またな。さくらさんに昔のこと、白状したよ。いいよね」

「は。昔のこと? どれ? あれ? それとも?」


 珍しく、類があわてた。

 真冬が立ち去ると、類は困ったような笑顔でさくらに向き合った。


「過去だから。ぜーーーーーーーーーーーーーんぶ、過去。まふゆんの話は、過去。今のぼくは、さくらだけ。あと、あおいね」

「昔、一緒に遊んだりもした仲なんでしょ。分かっています。ちょっとあぶない遊びもしたんでしょ」

「え、えーと。それは……」


 顔がひきつっている。これは、相当やましい過去の持ち主らしい、類。


「いいよ。もう聞かない。ほじくり返しても、いいことないもん」

「さくら、まじ女神!」

「類くんの悲しそうな顔、見たくないし」

「やっぱりさくらはすごくいいなあ。助かった。ま、さくらだって、過去には玲と寸止めだったもんね、人のこと言えないよね!」


 せっかく、さくらがほじくり返さないと宣言したのに、類よ。なぜ、そこに触れるかな? ほんとうは、あの資産家の娘とも、どんな仲なのか問い質したいのに。


「とにかく。えーと、私もそろそろ帰ります」

「もう?」

「だって、ごはんの支度が」


「店長・類くんの雄姿を目に焼きつけにきたんでしょ、お店を案内してあげる」

「私、さっき真冬さんに」

「ぼくが、案内したいの。さ、行こっか」


 類はジャケットの袖に腕を通し、さくらの手を握って立ち上がった。

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