第8話 お宅訪問①
次の日曜日。
杉並区内にある美咲の家に、あおいと遊びに行くことなった。
仕事が早く終われたら、類が迎えに来てくれるという。
さくらだけではなく、『北澤ルイが来るかもしれない』と、美咲の家も張り切っているらしい。
新宿駅でおみやげのお菓子を買って、あおいと向かった。駅から徒歩五分の低層マンション。公園の近くに建っていて、落ち着いていた雰囲気を持っている。
インターフォンを押すと、しばらく応答がなかった。室内から、言い争う声がかすかに漏れている。訪問のタイミング、よくなかった?
「俺は出かける!」
さくらがちょっと驚いていると、叫びとともに急にドアが大きく開いた。
「あ……」
出てきたのは、たぶん美咲の夫。玄関先で、美咲が困ったような顔をして立っていた。目が合った。
「さくらさん、こんにちは。騒がしくてごめんなさい。あなた、シバサキの娘さんで、ルイさんの奥さまよ。それと、ふたりのお子さんの、あおいちゃん。こっちは夫の宏明(ひろあき)です」
「は、はじめまして。柴崎さくらです」
美咲の夫、宏明がさくらを一瞥した。
「シバサキ姫、か。うちの妻をたぶらかすのも、たいがいにしてくれ。出かけてくる」
「宏明さん?」
振り返らずに、美咲の夫は行ってしまった。シバサキ姫……か。
「……ごめんなさいね、どうぞ上がって」
「今日、来たらよくない日でしたか? これ、おみやげのお菓子ですが」
「あおいのすきな『はとちゃぶれ』だよ。おばきゅでかった!」
「はと……新宿の小田急百貨店で『鳩サブレー』ね、どうもありがとう。私も好き。あまくておいしいよね。パッケージもかわいいし。今日、家族での予定はなかったし、さくらさんが来るってことは、あの人も分かっていたんだけど、幼稚なのよ。詳しくはあとで話す。子どもたちが、あおいちゃんをお待ちかねなの」
「りくくーん、そらくーん! あおいだよっ」
「こら、あおい。人のおうちで走らない! 騒がしくてごめんなさいっ」
***
「あおいちゃん、かわいいワンピースを着ているね」
本日のあおい。青い生地に黄色の小花を散らした、膝丈のワンピースである。
スカート部分はボリュームをたっぷりと持たせ、少々激しく動いても裾が乱れないつくりになっている。髪にはワンピースとお揃いの生地でできたリボンで結ってある。
「ありがとうございます。これ、私が縫ったんです」
「は? ワンピースを?」
「これぐらいの子どもって、すぐに大きくなって服が着られなくなりますよね。だからといって、大きくてだぼだぼでもみっともないし、何度も買いに行くのも大変ですし、だったらぴったりサイズの服を作ろうってことになったんです。安く上がりますよ。デザインの基本は類くんが考えるんですが、細かなところは私が修正を加えて」
「すごい……さくらさん器用! ルイさんもモデルだったもんね、お洋服の知識が豊富そう」
「ミシンって、向き合っていると無心になれるんですよ。縫い目をじーっと見ているだけで。美咲さんはそんなことないですか?」
「うーん。私、左利きなの。だから基本、世の中の道具は使いづらくて。ミシンも、右手で操作するように作られているし」
「そういうものなんですか」
「自動改札、自動販売機、投入口はみんな右側。はさみは右用がほとんど」
「確かに」
しかし、さくらにとっては、左利きのほうがよっぽど器用に思えるけれど。類は両利きだった。
「ねえ、シバサキで売り出してみたらどう? ルイさんデザイン、さくらさん作の女の子服」
「これをですか? いやあ、あおいだけですよ」
「受けると思う、絶対。さくらさんって、自己評価が低いよ。もっと自信を持って。若いし、見た目だってかわいいのに、なるべく地味に生きようとしているでしょ」
「そんなことないですって」
「あの柴崎家の面々に囲まれたら、誰だって委縮しちゃうと思うけど、さくらさんならできるよ」
「うう、はあ。ありがとうございます」
あおいはふたごちゃんと遊んでいる。
「私ね、さくらさんたちには感謝しているの。ほんとうは、さくらさんと入れ違いで、春に退社するつもりだったから」
「退社? 初めて聞きました!」
「夫が仕事を辞めろ辞めろと言うし、育児も大変だし、来年三十だし……でも、働きたい。夫も子どもも大切。だけど、このまま『ふたごちゃんのママ』で終わりたくない」
「あ、私もです! すごく、分かります。『あおいのまま』である前に、『柴崎さくら』なんだぞって」
「……だけど、私が会社を辞めたら建築事業部に欠員が出る。さくらさん、希望の部署なんでしょ」
「それはそうですけど、美咲さんを押しのけてまで入りたくありませんよ。できたら、一緒に働きたいし。あの部は店舗勤務が必須って聞きました。今の私には、条件が足りません」
「今までは、ね。でも、さくらさんなら、みんなができなかったことをやってしまいそう」
褒められて、照れる。てへへ。
「美咲さんは、ふたごちゃんを授かったとき、どんなお気持ちでしたか」
「ふたごを? ああ、そっか、柴崎家は子だくさんの大家族狙い?」
「い、いやいや。そういうわけではないんですけれど、いずれはもうひとりかふたりぐらいってことで」
「いいじゃない。ルイさん、子ども好きそうだし。あおいちゃん溺愛でしょ」
「はい。あおいを溺愛です」
「ぷっ。柴崎家は円満そう」
「そんなことないです。類くんが、赤ちゃんほしいほしいうるさくて」
「おのろけ。それを円満っていうのよ。いいなあ。うちはね、ふたごって分かったとき……うれしい気持ちより、どうしようって思った。ふたごなんて、親戚にも見当たらないし」
美咲は、大学時代の友人の紹介で夫と出逢い、結婚したという。大恋愛ではなかったけれど、人生のパートナーとしてはいいかもと妥協して。お堅い公務員の夫は、ふたご懐妊後、美咲がすぐに仕事を辞めるものだと決めつけていたらしい。
「多胎だと、リスクが高まるぶん、管理入院の期間も長くなるし、産後も修羅場。私も、退職しようかなと考えたんだけど、そこは」
やはり、聡子社長が取りなしてくれたという。
「特例の出産休暇をいただいて。育児休暇も長くもらったし、今も時短勤務で出張はなし。ふたごを妊娠したら『美咲ルール』が適用されるって、社内でも評判になっちゃった」
「おかあ……いえ、社長は働く女性にやさしいですから」
しかし、『美咲ルール』って。『修造ルール』みたい。
「子どもが大きくなったら、会社に恩返ししたい。それを主張するたびに、『子どももより仕事を選ぶのか』って、夫とはぶつかった。いざ、復帰しようとしたら、保育園の空きがなくて。辞める寸前まで追い込まれたんだけど」
「会社に『シバサキ保育園』ができたと」
「ありがたかった。天の助けだった。社内に、保育園ができると聞いて、飛びついた」
「社長の英断です。私たちも、社長のところの皆くんのおかげで、おこぼれにあずかっているようなものです」
「シバサキは社長の存在がすごく大きい。類さんはいずれ、社員たちの期待を全部引き継ぐんだね」
そう、いずれは……って、ほんとうは半年後なのだ。と、言いたいけれど、極秘事項。さくらは黙って笑って過ごした。
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