第7話 類の休日②
その後、表参道に移動。『北澤ルイ』が在籍した芸能事務所へ。
「こんにちは、社長」
「ルイか、よく来たな。座れ」
武蔵社長は類にコーヒーを淹れてくれた。
幅広い世代に高い人気を誇った北澤ルイの名付け親、武蔵。そして、実の父親でもある。この事実は類と、母の聡子、妻のさくらしか知らない。兄と義父には、たぶんまだ隠してある。
「早く家族スチルが撮りたい。小娘の了解は出たのか」
聡子と同じことを聞いてきた。思わず、失笑。
「いいえ、まだですが。必ず近いうちに」
「適当に言い含めて騙せ。お前のあおいにも会いたい。メイクのミノルさんが、あんな美形は見たことないと。今世紀最大の逸材だと言っていた」
やっぱり、武蔵はあおいに興味津々だった。孫、というよりも素材として。
「今世紀、まだ八十年も残っていますよ。あおいは芸能人にはさせませんし」
「しかし、埋もれさせるには惜しい、超美少女なんだろ? 北澤ルイの娘だ。話題性もある」
「会社の広告に、ちょこっと使うだけです。ぼくの家族には、普通の暮らしをさせたい」
「……まあ、無理な願いだな。お前の輝きは、周囲の人間を巻き込む。少し太ったか?」
「引退前の仕事量をこなすつもりはありません。このままでもじゅうぶんです。毎晩、子作りに励むには、そこそこ体力も脂肪も必要なんです。さくらを喜ばしつつ、回数もあったほうがいいんで」
持論を語った類は、にこりと笑った。
「ほんとうに、シバサキ関連のモデルしかしないつもりなのか。もったいない」
「こちらの芸能事務所を通して、仕事を選ぶつもりです。よろしくお願いします。社長にはお世話になったので、マネジメント料をなるべく優遇しますので」
「だったら娘を預けろ。金の卵を」
「それだけはいくら社長の依頼でも、お断りですよ」
類は笑顔で断った。『北澤ルイ』かつての必殺技、天使のほほ笑みは健在である。
「『じいじ』が懇願してもだめか?」
じいじ……つまり武蔵は、あおいの祖父だと強調しているのだろう。
「すみませんね、『じいじ』枠はもう埋まっているんです。それに、自分がじじいだなんて、一ミリも思ったこと、ありませんよね社長?」
「会わせるぐらい、いいだろうが」
「情がわくから、会わないほうがいいって言い出したの、社長ですよ」
「じゃあ、奥の手だ。『ピピクポテプ体操』に、あおいを出してやる」
「えっ! ほんとうですか?」
今度は類が動揺した。食いついてしまった。
武蔵社長が提示した『ピピクポテプ体操』というのは教育テレビの、幼児向け番組である。とても人気があり、三歳のあおいは出場できる年齢なのだが抽選になかなか当たらないと、さくらがこぼしていた。
「でもなんでその話、社長が知っているんですか」
「聡子に聞いた。『一家で広告塔』の案に賛成だからな、あいつも。取り引きに手段は選ばない」
母よ、おしゃべりな……! 類は天を仰いだ。体操には、三歳児しか出られないのだ。すでに、半年が過ぎている。このまま、落選しつづけてあおいが出場資格を失ってしまう可能性もある。
「それに。先日、東京競馬場の『体操』イベントに参加しただろ。しばさきあおい、と名乗った超美少女がターフビジョンに映ったと、関係者の間で噂になっている」
「まじで、そこまで追跡されているんですか? たぶん、それはうちのあおいです。さくらが競馬場に連れて行ったとき、体操イベントに参加したらしいので」
がっくりと、類はうなだれた。
「世界が放っておかないんだ。隠せない。『体操』の収録日にさりげなく見せろ、いいな。付き添いはお前がするんだ。どっちにしても、収録は平日。内勤の小娘には無理だと言って。あおいを、『北澤ルイ』の娘だと周囲にアピールできる」
「だから、あおいは芸能界デビューさせませんってば。あおいは『北澤ルイ』のことも、理解できていませんよ」
「あおいがやりたいと言ったら? あの体操のメンバーには、レギュラー出演の子どももいる」
「う……」
「決まりだな。最初は素人枠で入れておいてやろう。あおいの収録日が決まったら連絡する。番組側もお前の娘なら大歓迎だ。コネを使え、コネを」
「そういうの、ぼくは好きじゃありません。職権乱用」
「つべこべ言っている場合か。娘が喜ぶぞ」
社長には弱い、類だった。
類は昔、国営放送の番組を私用して壊したことがある。生放送で婚約宣言をした。トーク番組はめちゃくちゃになった。しばらく、国営放送関係の仕事は来なかった。
あおいが落選続きなのも、当時の事件が尾を引いているのかもしれない。となると、抽選には永遠に当たらない。コネか。コネしかないのか?
***
その日の夜。食卓にて。
「あおい、ピピクポテプ体操に出られることになったよ」
類は、さくらに相談なく、あおいに直接話した。
「うれしい。あおい、うれしい! ぴぴくぽてぷたいそう! ぴぴくぽてぷたいそうだいにも、できる?」
「もちろん、できるよ」
あおいは両手を挙げて喜んだ。
「どういうこと? 今月も落選だったし、来月の分は抽選待ちだよ」
「今日、母さんのお見舞いへ行ったあと、武蔵社長に会ったんだ」
『武蔵社長』のひとことで、さくらもピンときたらしい。
「コネでごり押し? やだな」
「いいじゃん。出られるんだし。あおい、喜んでいるし」
「……ずるい」
先にさくらへ報告したら、社長経由なんて絶対に反対されると確信していたので、直接あおいに話しかけたのだ。さくらは、あおいを取り込んでしまった類の狡猾さに不満をいだいた。
「ぴぴくぽてぷたいそおおおっ」
ふだんは舌足らずのくせに、謎の呪文のような『ピピクポテプ』だけは、なぜかじょうずに発音できる。
「収録は平日になるみたいだから、あおいはぼくが連れていくね」
「連れて? テレビ局だよね? いいの? 私が行ったほうが」
「ただの付き添い。主役はあおい。お子さまひとりにつき、同伴者はひとりだけ。社長が……あおいに会いたいって。でも、名乗るつもりはないって。こういうチャンスがないと紹介できないし」
さくらはどきりとした。武蔵は実の祖父なのに、孫のあおいにまだ一度も会ったことがない。
あおいは超ごきげんで、ごはんの途中だったのに椅子を下りて、フローリングでピピクポテプ体操のテーマソングを歌いながら、高速モードで実演している。出場は、やっぱり間違いでしたとか、冗談でしたとか、言えない状況だった。
「それは、そうだよね。じゃあ、類くんにお願いしようかな」
ずるいと思いながらも、類はあおいがすでに芸能関係者に目をつけられていることも隠した。そして、その原因をつくったのが、競馬場へ連れて行ったさくらの行動だということも。
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