そこから始まる恋があれば。

玖柳龍華

前編

それはもう秒読み寸前のものだった。

だから出来ることなんてなかったから仕方ないとは思うし、そうなってしまった以上受け入れるしかないけれど、それが納得できるかはまた別問題だ。





その子は別に学園のマドンナとかクラスのアイドルとかそういう女の子ではないと思う。どこにでもいそうな可愛い物好きのおっとりした女の子。ちょっと抜けてるところがあって、本人はいたって真面目でも「おいおいおい」とツッコみたくなることが多い。そういうのを男性陣諸君から見たら『目が離せない』って言うんだろうか。

女子視点の私から見ると、『彼女』は確かに抜けてるところはあるけれど意外、というのは失礼だけど賢い。それは定期試験の結果が物語っている。

でもまぁ、バカと天才は紙一重というし。

こんなこと言っときながらも『彼女』の天然具合に毎日楽しませてもらってる。

それはもちろん私だけの話じゃない。


というより、私は『グループ』が違うからどちらかというと『彼女』がいる『グループ』が常に楽しそうというべきかもしれない。


そして女子校でもない限り、雑談に花咲かせる場所が男子禁制なんてことはない。


そんな『彼女』たちと波長が合いそうな男子のグループが親しくなるのは別におかしな話じゃない。

『彼女』がその中の誰かと惹かれ合うのもおかしくない。


ここが共学である以上、その男子が彼女たちだけと関わることはありえない。

私も話したことのある『誰か』がその中にいてもありえない話じゃないし、その『誰か』と席が隣になった時に少し話したことがあるとか。それをきっかけに好きになるとか。

ありえないことじゃないと言い切れるのはどこにでもありそうな話だからじゃなくて、私自身体験してしまった話だから。


『彼女』と『彼』が日に日に親しくなるのと同じ教室で、私も密かに恋心を募らせていただけの話。まるで恋に恋するお年頃のように『彼』を遠目で見てその日その日の授業過程を終わらせる。


話はしたいけど、でも話す内容がない。

不思議なことで、近しい友人にはシャー芯が折れたとかそんなちっぽけなことですら何気なく話せるのに話題を選別しなくちゃ話ができない。

そして大体見つからないか変に怖気付いて話はしない。

そうやって1日が終わる。


でも、どうにかなりたいとかそういう具体的なビジョンはないから、クラスメートの関係で十分。何か機会があったらちょっと話す。それぐらいで満足してる。そんな機会があったらその日はついてる日。


だからその日もついてる日だった。

朝、下駄箱で偶然会って挨拶をしただけだけど。


それは日付にして昨日のこと。

雑用の多い日直の日だったけどそれでもついてる日、のはずだった。


ウチのクラスの日直は男女別の名前の順で回す。

私は自分の席にカバンを置いてから相方の前の席に腰を下ろした。

先に来ていたそいつは生真面目なことにまだ1日も始まってないのに学級日誌を開いていた。私は前からその手元を少し覗き込む。書き込まれていたのはまだ時間割のところだけだった。


日付と天気を書き込み、そこでそいつはようやく顔を上げた。

そして私にシャーペンを渡すように向けてくる。


「名前、自分で書く?」

「ん? んー、中川が書いて」


そう言うと、中川は私の方をじっと見た。

少しの間目があったけど、気づいたら顔はこちらを向いているのに目が合わなくなった。怪訝に思ったのは一瞬で、すぐに名札を見たのだろうと分かった。


対して難しい苗字じゃないけど、でも普段書かないから不安を感じるのはわかる。


「やっぱ変わろうか?」

「いや、大丈夫」


淡白にそう答えると、中川は先に私の名前を書き始めた。

苗字だけじゃなくてご丁寧に下の名前まで。


私は綺麗な字で書かれたその字列を見て少し吹き出した。


「なんでフルネームなの」

「特に意味はない」


そう言いながら中川は自分の名前も同じくフルネームで書き連ねる。


運動部だからというのは偏見だけど、中川の字は綺麗だ。変な癖がついてる私の字で書かれていない私の名前を見る機会はあまりないからすごく新鮮。


「あれ? 中川、いつもフルネームで書いてたっけ?」

「覚えてねーや。前のページ見れば分かるだろうけど、急にどうした?」

「ううん」


ウチの学校の名札は苗字しか書かれていない。

苗字は確認したように見えたのに、下の名前は確認しないでも覚えてるんだってことが意外だっただけ。

中川はああ言ってたけど多分前の日直の時もフルネームで書いてたんだろうなぁなんてどちらでもいいことを考えていると、「なぁなぁ」と声を飛ばしながら一人が歩いて来た。


『彼』といつも一緒にいるクラスメートだ。


なにやら口元をニヤつかせながら歩いて来たそいつは中川の机の横で座ると、私たちに顔を寄せるようなジャスチャーをした。

密談でもするかのように三人が顔を寄せると、そいつは話を切り出した。


「お前ら今日日直だろ?」

「そうだけど。ってか黒板に書いてあんでしょ」

「まぁそういうなって、新田。確認だって」


こんなにテンション高いやつだったっけ? と私は緩みきっているそいつの口元に目をやった。


「お前らに頼みがあんだけどさ」

「なに。日直ならよろこんで変わるよ」

「え、それは勘弁。そうじゃなくって、今日の放課後教室に残らねぇで欲しいんだけど」


つまり、ホームルーム後に残って日誌を書いたり、黒板を綺麗にしたりするのはやめてほしいということだ。


「なんで?」


それがさ、とそいつはニヒヒと笑う。

なんかいいことでもあったの? と聞きたくなるほど表情にダダ漏れだ。締まりのない顔だなぁと冷めた目で見ていると、そいつは本題に入った。


「『あいつら』を二人っきりで残してやろうと思うんだ」


『あいつら』。

そんなの誰のことなのか聞かなくてもわかる。だってもはやクラス公認なんだから。


「分かった。……それでいいか? 新田」


……よくない。


「いいよ。さっさと撤収すればいいのね?」

「おう! 頼んだぜ!」


そいつは親指を立てて別の場所に同じ様子で近寄っていく。

今週の掃除当番だ。

掃除したら早く撤収してくれって頼むんだろう。


「……黒板、いつやる?」


一応秘密ごととして扱ってるのか、中川の声は小さくて一瞬聞き漏らしかけた。

もしかしたら聞きたくなかったのかもしれないけど。


「ホームルームの前でいいんじゃない?」


なんてことを口で言いながら、内心は『どうしよう』でいっぱいだった。

とっさに浮かんだのが『どうしよう』だった。

でも、なにが『どうしよう』なのかは分かってない。


だってどうしようもないじゃない。

どうにかできるものじゃないもの。


でも、落ち着かずにひたすら『どうしよう』を頭の中で回していた。



冷静になったのは1時間目が始まってからだった。


朝のホームルーム中もまだ何かを考えられる状態じゃなかった。

全員が席についてその全員が放課後のことを知ってるのかと思うと、変な焦りが生じた。今更焦ったってどうしようもないのに。


でもそれがかえって落ち着く材料になったのかもしれない。

勝手に孤立無援を感じて、始まってもないのに諦めるしかないって結論が出ると、まるで他人事のように思えるようになった。


そうやってそのまま切り離せて、このことは早速昔話にしてしまえと思ったけどそううまくはいかない。

だって、痛いんだもの。

胸の真ん中らへんが。


誰かと誰かが好き合って、付き合って。

隣を歩いて、顔を見合わせて笑いあって。


そんなの珍しいことでもないしぶっちゃけいえば関係ないし。

そうやって冷めた考えを割るようにして出てくるのは、その光景を早かったら明日から見続けることになるんだぞという容赦のない一言。


私は『彼』と手を繋ぎたいとはまだ思ってないけれど、でも、そう思えていたのはまだ誰かのものじゃなかったからだ。

誰かのものじゃなかったし、誰かが『彼』のものでなかったから。


だから呑気に思っていたの。

誰かのものじゃなければ話しかけてもいいし、向こうも優しくしてくれるって。

でもそんなことはなくなる。

今日でなくなる。


『彼』は『彼女』の彼になる。


きっと話しかけるたびに『彼女』のことを思い出して、私は勝手に気が弱くなる。


もう今まで通りではいられない。

私がどうしようがどう思おうがそんなこと御構い無しに、きっと明日になれば全部が変わる。

なにもしなくても、変わる。


だったら。


私は開いていた教科書を端に追いやり、カバンから連絡事項などをメモするためのリングノートを取り出した。


雑貨屋で売ってるようなキャラものだが、無地のルーズリーフよりはいいだろう。

それからシャーペンをノートの上に転がして、私は4色ボールペンを握った。


書き出しはどうしようか。

フルネームは重いか。

苗字だけにしよう。


授業中になにしてるんだって思ったけど、でも休み時間の方が難しい。

みんなが『彼ら』の『味方』なんだから、気づかれちゃだめだ。


とかなんとかいって。

当の本人にぶつけようとしてるんだけど。









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