その日常 1
『はあ、社長さんに?俺の片想いですって?言うわけねぇじゃん。いくら仲良しでもそこまで開けっ広げじゃねえわ。あきらお前俺のことなんだと思ってんの?』
慎二は呆れたような空笑いをした。
電話で確認とってようやく安堵した、早めの仕事終わりの夜飯時。
インターホンで呼ばれて玄関を開けるとそこには陽平さんがいた。
「あれ、どうしたんすか」
「あー……、あのなあ、閉め出されちまったんだよ」
「はあ?」
「悪いんだがしばらく入れてくれないか。外にいたんだが、暑くてな」
隣の部屋のドアを恨めしそうに見ながらばつが悪そうに頭を掻いて、口元だけで苦笑いをする陽平さんは、いつもの如くぼさぼさ頭に無精髭、そしてTシャツにジーンズという楽そうな格好だった。
「はあ、どうぞ。なんもないですけど。大変ですね」
「いやあ本当悪いな」
「いいですよ、俺も一人で飯食ってたとこだし」
すっかり慣れた相手にやれやれと思いながらも部屋へ入れてやる。
陽平さんはサンダルを脱ぎ捨てるようにして部屋に上がってきた。
「喧嘩ですか?珍しいですね。どれくらい外にいたんですか?」
「いやあ、珍しくはねえよ。明日は仕事休みで助かった。出てたのはまあ30分もないくらいなんだが、あいつ今日は虫の居所が悪かったんだろうな」
痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんなのであまり深くは聞かないが、少なくとも陽平さんがなにかを反省しているような素振りはあまりなさそうだ。
喧嘩相手に苛ついている風でもないし、それどころか人の夜飯を覗き込んで、ついでにキムチのパックに指を伸ばして摘まみ食いをしているくらいだ。
「もしかして鍵、閉められたんですか?」
机の前に座り直そうと思って、その前に台所から箸をもう一膳と冷蔵庫から缶ビールを持ってきてやる。
コップは要らないと言われた。
「おう。蹴り出されたうえに、ご丁寧に内鍵までがっちりだ。近所に響くから大声出すわけにもいかんしな」
陽平さんは苦い顔をした。
蹴り出されたとは、わりとやるなあ、エリカさん。
「へーえ。エリカさんの怒ってるとこなんて想像つかないっすけどね」
俺の中のエリカさんはいつでも豪快に口を開けて笑っているイメージだ。
こないだはちょっと嫌そうな顔してたけど。
ようやく座り直して箸を掴む。
陽平さんは既に缶のプルタブを開けていた。
「んなことねえよ。あいつは昔からわりと喜怒哀楽が激しいんだ。よく泣いてよく怒るぞ」
言いながら箸で人のおかずをがつがつ食っている。
エリカさんもそうだったけど、本当にこの人たちは人の飯をなんだと思っているんだ。
遠慮なさすぎだろ。
もう食い終える頃だったから良かったけど。
「ちょっとちょっと食いすぎですよ、俺のがなくなる」
「あ?おう、すまんすまん」
「もしかしてなにも食べてないんですか」
「ばれたか」
いやいやいやいや。
エリカさん、飯も出さなかったのか。
……本当になんて手のかかる人たちなんだ。
「コンビニでなんか買ってきます?」
「そうすっかな。ついでにお前の摘まみも買ってきてやるよ、なんかいるもんあるか」
「まじすか、じゃあ遠慮なく、なんか適当にお願いします」
それから陽平さんが選んだスナック菓子を摘まみに、一緒に買ってくれていた缶酎ハイを二人で開けた。
いつもはビールばかりだから、慣れない甘味とアルコール濃度が酔いを早める。
なんでこんなジュースみたいなもんがビールよりもアルコール度数高いんだよ。
陽平さんはそれに足して弁当も食っている。
よくこんな甘いのと唐揚げ弁当を一緒に食えるな。
太るぞオッサン。
「でもどうするんですか、内鍵閉まってたら入れないでしょう。明日エリカさんが出掛けるまで待つんですか?」
「ああ心配すんな、多分寝る前には開けといてくれるわ」
この言い切る感じ。
慣れてるなあ。
「……なんか、いっつもそんな感じなんですね」
「まあな。あいつはなんだかんだ文句は言っても、俺のことを蔑ろにはできないからな」
「のろけですか、愛されてますね」
「だろ」
愛されてますね、なんて言葉がわりと自然に出てきて、はたと気づく。
そういえばこの人既婚者らしいんだった。
本来の奥さんとか、その辺どうなんだろうか。
気にならないと言えば結局嘘になるし、かといってそんな踏み込んだようなことを聞いてみてもいいんだろうか。
酒の肴、とかでどうだろう。
無礼講、とか?
「あの、聞いてみてもいいですか」
「おう、どうした」
どんと構えたような陽平さんに、俺はなにをどんなふうに聞けばよいのだろうかと、アルコールの混じってきた頭をぐるぐる回す。
「飽きたりしないんですか?同じ人と長く一緒にいるのって」
……ん、なんか違うな。
なに聞いてんだ俺。
無意識に奥さんのことを聞きづらいと思ったろうか。
「はあ?」
「いや、こないだ、知り合ってから結構長いって言ってたんで、エリカさんと。ずっと一緒に暮らしてるわけですよね。だから、飽きたりしないのかなっと」
「お前面白いこと言うな」
陽平さんは俺の不躾だったであろう質問に特に不快そうな素振りも見せずに、代わりに酔っぱらい特有のへらりとした笑いを寄越した。
「そうだなあ。なあ、あきらよ、」
陽平さんは一度缶酎ハイを煽ってから、今度はにやりと、たまに見せる人の悪そうな顔で笑った。
「お前は、自分のその左手に飽きたことがあるか」
左手?
言われて、指で示された自分の左手を開いてまじまじと眺めてみる。
飽きるか、と聞かれても……
「考えたことねえ」
「だろ。そんな感じだよ」
……ふーん。
全然わかんねえわ。
「あいつは俺の身体の一部だ。外せねえし代えられねえ。あるのが当たり前なもんなんだよ。お前だって付き合いの長い奴がいるんだろ。似たようなもんじゃねえのか」
「……いや、多分、全然違うと思いますよ」
似たようなって、これ多分慎二のこと言ってんだよな。
いくら長い付き合いとはいえ、慎二が俺の身体の一部とか、ないないないないんなわけない。
あんな左手なんて嫌だ。
3本開けて、陽平さんは酔いが回ってきたのか饒舌だった。
俺も時間が経つにつれて随分楽しくなってきて、仕事の話とか、近所の店の話とか、どうでも良いようなことを二人で長々話し合った。
それでも結局、奥さんの話はできなかったし、俺も途中から諦めた。
陽平さんは日付が変わる頃になって隣の部屋に戻って行った。
ガチャガチャ音がしていたから、恐らく部屋には入れてもらえたのだろう。
俺も楽しく酔ったおかげで相当良い気分になっていて、片付けも全くすることなくそのまま万年床に転がって、そのまま気絶するようにころっと眠りについた。
翌朝になって俺の出勤時間にあわせてエリカさんが隣の玄関から顔を出した。
すっぴんだった。
陽平さんから昨日のことを聞いたのか、迷惑をかけて本当にごめん、と平謝りしていた。
俺は全く気にしていなかったので、大丈夫を繰り返しながら会社に向かった。
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