第10話 (ミライ)
海の街は、風が爽やかだ。からりとした空気に、水と生き物の匂いが混ざっている。
海岸には出ちゃいけないけれど、街の大通りからでも充分、広々とした海が見渡せる。少しきつい太陽の光が水面を照らし出し、休みなくさざめく小さな波が、陽光を照り返して輝いている。行き交う船が水面に波の轍を残す。船のマストの上にとまった海鳥が、キィキィとけたたましく鳴いている。
けたたましいのは、海鳥だけではない。商店が並んだ大通りも、たくさんの人が思い思いに話す言葉でガヤガヤしている。
私たち同様のよそから来た旅人、店の前で品物の売り文句を叫んでいる商人、酒屋で真っ赤になって意味の通らない何かをまくし立てている人。
「あっ、このお店面白そう!」
「おい、待て! はぐれるだろうが!」
大きな船の看板が表に出ている。ガラス窓から中を覗くと、心が踊った。動物の剥製や毛皮、馴染みのない意匠の壺、絵画に、宝石に、置物。そういうものが所狭しと並んでいる。どうやら、舶来の珍しいものを売っている店らしい。
扉を開けて中に入ると、古い埃の匂いが鼻をついた。
「お嬢さんがた、旅の人ですかな?」
でっぷりと腹の出たおじさんが、私たちに話しかけてくる。多分、この人が店主さんなんだろう。
「カモ! カモダ!」
不意に頭上から甲高い声が降ってきた。見上げると、鳥かごに鮮やかな黄色の鳥が閉じ込められている。
「あれは?」
「ああ、あいつは世にも珍しい言葉を話す鳥でございます。珍しがって仕入れたはいいものの、愛想が悪いんで売れ残ってまして。多分、元は海賊に飼われてたんでしょうな。そこで、品のない言葉を覚えてしまったようで」
「ボッタクッテヤル!」
「わっ、ほんとだ、喋る」
「えらく口の悪いやつだな……」
「チョロイショーバイダゼ!」
鳥の羽音と共に、抜けた羽毛が降ってくる。苦笑いしながら、店主が近くにあった棒で鳥かごを下から突き上げた。
「失礼いたしました。他にも色々と、面白いものを取り揃えておりますので、どうぞ、ごゆっくり」
そういえば、好きなものを買いなさいって言われてたな。せっかくお小遣いもらったんだし、ここで使っちゃおう。
「おじさん、この鳥いくらですか?」
「えっ、これが欲しいんですか? まあ、引き取ってくださるんでしたらお安くしておきますけど……」
おじさんが提示した金額は、毛布一枚よりも安かった。鳥かごを受け取って、店を出る。ジンが苦笑いしながら、かごを覗き込んだ。
「名前とか、つけるのか?」
「そうだね、なにかつけなきゃ……。その前に、なにかご飯でもあげよう。お世話したら仲良くなれるかもしれないし。この鳥って何食べるんだろ? 虫? 木の実?」
雲の切れ目から、眩しい日差しが差し込んできた。
突然の強い光に驚いたのか、鳥がかごの中で暴れ出す。錆びた金具が壊れてかごの床が抜け、鳥は勢いよく逃げ出してしまった。
「あっ! 待って!」
「アバヨ!」
走って、鳥を追いかける。派手な黄色はよく目立って、見失う心配はない。
でも、私は人ごみをかき分けて走るしかなくて、障害物なんてない空を飛んでいく鳥との距離はどんどん離れていく。
「待ってってばー!」
心臓がばくばくと脈打って苦しくて、私は膝に手を置いた。逃げられてしまった。
「うーん、残念。やっちゃったね、ジン。……あれ?」
返事がない。顔を上げて、すぐにまずいと思った。
ジンがいない。走っているうちに置き去りにしてしまったみたいだ。
目の前で、岩肌にぶつかった波が砕けている。陸地と海の境目、ここは海岸だ。来てはいけないと言われていたのに。すぐに戻らないと。
海岸にたくさんの人骨が転がっている。
さあっと血の気が引いた。人間の死体、初めて見る。
打ち上げられたたくさんの骨はうず高く積み上がり、岩と岩の隙間に足の骨が挟まっていたり、潮溜まりに腰骨が沈んでいたり、波打ち際でコロコロと頭蓋骨が弄ばれていたり、とにかくたくさんある。見渡す限り全部、海岸は人骨で埋め尽くされている。
「やっと一人になったか。お前と話がしたかったんだ」
不意に聞こえた声に驚いて、ビクッと肩が跳ねた。
「あっ、あなたは……」
あの時の、人さらい。
波に洗われている真っ白な骨の山の中に、その黒い鎧の男の人は現れた。暗い瞳が私のことをじっと見据えている。
「こんにちは! あなた、お名前は?」
レンが仲良くなれるかもって言ってたし、話をしてみよう。大丈夫、レンが私に嘘をついたことなんてないんだから。
「まずはお前が名乗れよ」
「ああ、ごめんなさい。私はミライ」
「……俺は一号」
「イチゴウ? 変わったお名前だね」
「ホムンクルスの最初の一体なんだ。だから、一号」
「えっ、嘘! ほんと!?」
なんだ、私の他にもいたんだ! ジンがホムンクルスを作るのはいけないことだっていうから、この世に私しかいないかもって思ってたけど、そんなこともないみたいだ。
「はあ? あいつから聞いてねえのか? 恋人のくせに?」
「うっ、それを言われると」
一号の視線が、じっと私を射すくめる。威圧感がすごい。私のわずかな動きも見逃すまいとしているみたいだ。
「なんで、お前みたいなちんちくりんがあいつと一緒にいるんだ?」
「なんでって言われてもな。生まれた時から一緒だったし」
「はあ? 年が合わねえだろ。お前は見た所16歳かそこらか? 生まれた時から一緒なんだったら、俺があいつと一緒にいた頃に会ってるはずだ」
この人、昔はレンと一緒にいたのか。そんな話、聞いたことないけど。
「ううん、生まれたのは最近なの。私もホムンクルスだから。生まれた時からこれくらいの背格好だよ」
一号が、目を見開いて硬直した。おぞましい怪物でも見るような目で私を見る。ざぱん、と大きな波が岩に当たって、水しぶきが飛んできた。
「お前もホムンクルス?」
「うん。あなたと一緒」
「誰に作られた?」
「レンだよ」
「俺もだ」
「ほんと!?」
こういうのを、確か兄妹というんだったっけ。それも本で読んだ。私と一号に血の繋がりはないけど、同じところから生み出されているのだから、そういう理解で多分合ってるだろう。
「あの野郎、また性懲りもなく……」
一号はしばらくブツブツとなにかつぶやいて、私の肩に手を置いた。大きくてゴツゴツしてる手だ。レンも大きくて硬い手をしているけれど、レンの手とは違う。一号の手は、潰れた血豆とたくさんの傷跡で硬くなった手だ。
「お前、大丈夫か? ひどいことされてないか? 飯はちゃんともらえてるか? 寝る暇もないほど働かされたりしてないか?」
「え?」
「いいから答えろ」
「ひどいことなんかされてないよ」
私が答えると、一号は即座にそれを否定した。
「嘘だな。もう大丈夫だ。お前は俺が守ってやるから、本当のことを言えばいい。あんなやつに義理立てする必要はない」
「だから、大丈夫だってば」
「嘘をつくな。あいつがホムンクルスをどういう風に扱うか、俺が一番よくわかってる」
どうもおかしい。イマイチ話が噛み合ってない。
「なにを言っているの?」
「俺は、戦闘用兼人体実験用ホムンクルスとして作られた。お前は、なんのために作られた?」
この人は、一体なんの話をしているの?
「あいつは、なにをさせるためにお前を作ったんだ?」
「そんなの知らない」
「そんなはずはない。お前も、なにか用途があって作られてるはずだ。もしかして、都合の悪いことは教えてもらってないのか?」
「都合の、悪いこと?」
一号が私の顎を掴んで固定した。
「見ろよ」
私の目の前には、足の踏み場もないほど積もった、人間の骨。
「ここにある骨はな、全部廃棄されたホムンクルスだよ。半分はレンが、半分は俺が殺したんだ」
喉がカラカラに乾いて、上手に息ができない。
「このままだと、お前もこの山の一部になっちまうかもな。あいつ、平気で禁忌に手を出せちまうイカれ野郎だし。まともな倫理観なんか備わってねえよ」
「嘘言わないで」
「全部本当だ」
「嘘よ!」
信じられるわけがない。生まれた時からずっと一緒にいて、たくさんのことを教えてくれて、私に全てを与えてくれた人が、そんなひどい人だなんて。
「ミライ? ミライか? 海岸には来るなって……。一号か」
レンの声。近くにいたんだ。私の声を聞きつけて、来てくれたんだ。
「ミライと随分仲良くなったみたいじゃないか。嬉しいよ」
プツプツと、鳥肌がたった。一号が、レンに激しい敵意を向けているのが肌で感じられる。
「懲りねえやつだな。一体なにがしたいんだ」
今なら逃げられる。一号の意識は、全てレンに向いている。私を掴んでいる手を振りほどいて、レンのところまで走っていける。
「えいっ!」
「あっ、こら! 逃げるな!」
鷹から逃げる兎みたいに、勢いよく走ってレンの後ろに滑り込む。レンのマントを握り締めると、少しだけ安心することができた。
レンの陰から、一号の様子を伺う。尻尾を膨らませた猫のような、ピリピリと殺気立った顔でこちらをじっと見ている。
「おっと。ごめんよ一号。この子は長いこと山奥で暮らしていて、あまり人に慣れてないんだ。ホムンクルスに会うのもお前が初めてだよ」
「へえ。昔みたいにむやみやたらと量産するのはやめたんだな」
「まあね。さすがの僕でも反省くらいするよ。ミライ、怖がらなくていい。大丈夫」
「大丈夫なもんか。ミライ、俺と来い。そいつはお前をひどい目に合わせる」
「そんなことないもん!」
大声で、怒鳴る。こんなに大きな声を出すのは初めてだ。
「一号、今日はこの辺にしておこう。人が来た。お前も、不必要に晒し者になりたくないだろう?」
確かに、潮騒に紛れて聞き取りづらくはあるけれど、遠くから人間の声がする。こっちへ向かっているようだ。
一号は少しの間黙り込んで、軽く舌打ちをした。
「……チッ、今回は引く。でも、待ってろ、必ず助けに行く」
そう言い残して、一号は海に向かって走り出した。勢いよく海に飛び込み、そのまま上がってこない。どこかへ泳いで行ってしまったんだろうか。
「ふう。ダメじゃないかミライ。海岸には近寄るなって言っただろう?」
「ごめんなさい」
「ジンは? 一緒じゃないのか?」
「はぐれちゃった。どうしよう」
「そうかそうか。それじゃあ、一緒に探しに行こう」
やっぱり、優しい。一号が言ったことが本当なわけがない。レンが、倫理観のないイカれ野郎だなんて。
「ちょっと待ってね。あの人たちに今日はもう帰るって言って来るから」
「あの人たち?」
「この街のお役人さんでね、シュウに「海岸で不思議なことが起こるからなんとかしてくれ」って頼んで来たんだって。あいつ、顔広いからこの辺じゃ便利ななんでも屋みたいなことになっててさ。僕はそれを手伝ってたんだ」
「そうだったんだ。教えてくれてもいいじゃん。なんで黙ってたの? 気になるよ」
レンは、困ったように笑って、人差し指で頬をかく。
「うん、ごめんよ」
「不思議なことってなに?」
少しだけ、レンの目が泳いだ。私に話しても大丈夫か、考えているんだろう。
「ここの人骨の山がどういうものか、一号から聞いたかい?」
「うん」
「そっか……」
レンは、少し悲しそうに私をじっと見ている。否定してくれないのか。あんなの嘘だって言ってくれれば、安心できるのに。
「それでそれで? なにが起きてるの?」
「増えるんだって。ここの人骨」
「増える?」
「次から次へと、どんどん新しい骨が流れ着くんだ。船が沈んだわけでも、誰かが溺れ死んだわけでもないのに、どこの誰かもわからない骨が、毎日のようにどんどん流れて来るんだってさ」
ふと、足元をカニが歩いているのに気がついた。土色の甲羅が、カサカサと骨の隙間に滑り込んで行く。
誰も死んでいないのに骨だけが流れて来るなんて、確かにそれは不思議だ。
レンがお役人さんと話しているのを待つ間、潮溜まりの中を覗き込んでみる。腰骨にヒトデが張り付いていた。
遥か上空で、海鳥が鋭い声で鳴いた。
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