第9話 (ミライ)

 馬車が走る。幌の隙間から、風が吹き込んでくる。私はジンの目の前に本を広げて、一つずつ説明をする。

「いい? 錬金術っていうのは、不完全なものを完全に近づけるための技術なの」

「なあ、なんであたしは勉強させられてるんだ?」

 ジンは不満げで、見るからにめんどくさそうだ。

「錬金術は金になる。鉱石を加工して純度の高い金属にしたり、水を綺麗にしたり。意外と仕事はあるんだよ。覚えておいて損はない。その知識がミライを助けてくれた礼、ってことじゃダメかな?」

 ピシッと鞭の音がなる。馬がいなないて、馬車が揺れた。

「そりゃありがてえけどさ、あたしにできるわけねえだろ。こちとら学のないケチな孤児なんでね」

「人に教えるっていうのはとても効率のいい学習方法だ。ミライの勉強を手伝うと思って、おとなしく教えられてくれ」

「まあ、いいけどさ。あんま期待すんなよ」

 私はページをめくって授業を進める。

「ざっくりしたイメージだけ伝えるとね、錬金術でできることは、二つ。すでにあるものを分解して純度の高い物質を取り出すことと、複数の物質を混ぜ合わせて新しいものを作ること。この後色々細かい話するけど、全部これの応用だから、わからなくなったらこれを思い出してね」

 私の手の中にあるのは、古い本だ。家にはたくさん本があったけど、全部レンが燃やしてしまった。今手元にあるのは、この錬金術の基本が載っている本だけ。

「この世の中の全てのものは、バラバラに分解したり、混ぜ合わせたりすることができるんだって。一番簡単に分解する方法が、火で燃やすこと。うっかりすると、バラバラになりすぎて塵になっちゃうから、加減が難しいけど」

 風でめくれそうになるページを押さえて、ジンに見せる。黄ばんだページとにらめっこして、ジンは首を傾げた。

「錬金術を使えば不老不死になったり黄金が無限に手に入ったりするって聞いたぜ? それのやり方は載ってないのか?」

「うん。載ってない。まだ誰も成功してないから。すごく難しいんだろうね」

「そりゃそうか。そんなうまい話がその辺に転がってるわけないよな」

 ふっ、と空気の匂いが変わった。どこか懐かしいような、暖かいような気がする。

「海が近いな。そろそろ到着だ。ついたらすぐ馬車を宿屋に預けるから、持ち歩く物を手元に準備しなさい」

「おー! あれが海の街トゥーガか! でけえ街だな!」

「昔は漁村だったところが、港町として発展したんだそうだ。海の向こうから渡って来た珍しいものがたくさんある、愉快なところだよ」

 キーッ、と甲高い音がした。聞いたことのない音だ。なにかの声だろうか。

「なんの音?」

「海鳥の声だよ。見てごらん。海辺に住んでいる人たちはあいつらの動きを見て、空や海の様子を知るんだ」

 レンの指差す方向を見ると、見たことのない鳥が群れをなして飛んでいる。白い翼が眩しい太陽の光に溶け込んでしまいそうだ。森にいれば目立ってしょうがないだろうけど、海と空の間を飛んでいる彼らは、周囲の景色と溶け合って、自然とそこにある。

 山の中で見るよりも、太陽が強く輝いている気がする。それは、このカラッとした空気のせいだろうか。

 私は胸いっぱいに、海の空気を吸い込んだ。


 街に着いて宿に馬車と荷物を預けると、レンは私とジンに少しのお金を渡した。

「僕は用事を片付けてくるから、二人は街を見て回ってくるといい。おいしい食べ物も綺麗なお土産もたくさんあるから、好きなものを買いなさい。ああ、でも海岸には近づいてはいけないよ。危ないからね」

「レンは一緒に行かないの?」

 宿の一室のガラス窓から、知らない街をちらりと見る。白い土を塗り固めて作った建物がたくさん並んでいて、いたるところに漁のための網が広げられている。その上で、色とりどりの旗が高く掲げられ、風になびく。鮮やかな赤や青や緑の旗の上で白い海鳥が休んでいる様は、一枚の絵画のようだ。

 ここはどんなところなのだろう。知らないもの、本でしか見たことがないものがたくさんある。今日は、いつもみたいに一つ一つ教えてはくれないのだろうか。

「用事が済んだらすぐ行くよ。大丈夫、大したことはないから、僕のことは気にしないで」

「あたしも一緒にいた方がいいと思うぜ。あの人さらいが近くにいるかもしれねえし」

「問題ないよ。そんなに悪いやつじゃないから。案外、ゆっくり話してみたら仲良くなれるかも。じゃあ、行って来るね。空が赤くなったら、ちゃんと宿に戻るんだよ」

 足早に宿を出て行ったレンを見送って、私はジンと顔を見合わせる。

「どうする?」

「え? 外を見に行くんじゃないの?」

「いや、やめといた方がいいだろ。あの鎧の人さらいは、危ないやつだ。レンのやつの知り合いらしいが、だからって信用できねえ。外に出れば鉢合わせるかもしれねえだろ」

「でも、だからってずっと宿に閉じこもってるのは嫌だよ」

「やめとけって、前回は運よく助けてやれたけど、今回もそうとは限らねえんだからな」

「大丈夫だよ。だってレンがいい人だって言ってたし」

「正気か? お前をさらおうとしたんだぞ?」

「行こうよ。海に来るのって初めてなの! 一緒に色々見て回ろう?」

 ジンは心配そうな顔で考え込んでいたけれど、すぐに笑って頷いてくれた。

「そうだな。あたしも海は初めてだ」

 私たちは頷きあって、一緒に宿屋を出た。

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