第92話 おじさん、親友をぶん殴る
魔法使いにとって、魔法とは腕や足の延長のようなものだ。
気付いたときにはもう身の裡にあり、死ぬまで逃れることができない。
日常の便利な手段であり、身を滅ぼす危険であり、最後に頼るべき寄す処でもある。
(だからこそ、
例えば、声が出せない時。毒や病で集中力を保てない時。
周囲の
どうやって挽回するか、どうやって窮地を脱するか、どうやって生き延びるか。
『
これは、普通の魔法使いにとっては狂気から一歩手前の発想だった。
(例えば、腕や足を失った状況で、そのまま戦い続ける剣士がいるだろうか? 真っ先に撤退すべきじゃないか?)
かつて同じようなことを問われたマーティンおじさんは、こう答えた。
その疑問がお前の命を救ってくれたら良かったのにな、と。
(あなたは正しかったです。マーティンおじさん)
繰り出されるミシェールの拳、肘、そして回し蹴りを紙一重でかわしながら、僕は胸中で認めた。
「オイオイ、どうした親友! 歳食って鈍ったんじゃねぇか!?」
「君は――変わらないなっ、ミシェールッ!」
冷静に考えて。
素手の殴り合いで、僕がミシェールに勝てるはずもなかった。
ミシェールは僕よりも背が高く、腕も太い。
更に言えば、吟遊の道すがら培った喧嘩の腕前は僕のおざなりな格闘訓練とは比べ物にならない。
魔法が使えない『
周囲に張った【
(とはいえ。条件はミシェールも変わらない)
僕らは自分の片手片足を縛ったまま剣を振りかざしているも同然だ。
それがハンデであり、チャンスでもある。
――しなやかに伸びてくるミシェールの上段回し蹴り。
金属で補強されたブーツの爪先でこめかみを砕かれないよう、わずかに首を反らす。
かわした。と思った瞬間に、蹴りの軌道が変化した。
「甘いんだよッ」
「――くッ」
頬を走る灼熱。
ミシェールのブーツにつけられた拍車が、赤い雫を散らしながら空転する。
「まだまだァッ!」
続けざまの拳が、顔を守っていた僕の腕を弾き飛ばし。
後頭部まで突き抜けるような一撃に、視界が白くなった。
「まだ倒れんじゃねえよッ、親友ッ! オマエがぶっ壊したもんはッ! こんなもんじゃねぇぞッ!」
ミシェールの叫びが、遠い。
まるで水面の向こうから響いているみたいに。
叩きつけられる拳も、膝も、ブーツですらも、真綿を通したように柔らかで。
(分かってるよ、そんなこと)
何度、悔やんだか。
何度、死のうと思ったか。
真夜中に目が醒めて、自分が憎くて仕方なくて。
横で眠るカレンの手を握って、思いとどまって。
(でも、もう、決めたんだよ)
誰かが許してくれなくたって。
自分自身を許せなくたって。
僕は、唇を噛みしめる。
強く。皮が破れ、血が出るほどに。
「――おおおおぉぉぉぉぉッ」
そして叫んだ。
喉が張り裂けるほどに。
「悔いろッ! 血を流せッ! オマエが傷ついた分だけ、アイツらは報われるんだよォッ!」
「――――ッ!!」
――使えるはずがない。
僕達はこの街に入る直前から、ずっと【
暴走する
いつかのように、結界の内部に残された
当然、ミシェールもそれを理解している。
だからこそ彼は驚愕し、動揺した。
「オマエ、まさか――ッ」
僕が、ほんの一瞬だけ、恐ろしいほどのスピードで動いたことに。
どうやってこの状況で魔法を使ったのか――それを理解できたからこそ。
(――体内
魔法使いにとっての禁忌。
自らの命を薪として炉にくべる――純然たる自殺行為。
心臓を貫くような激痛。血液が煮え立つような苦痛。
すべてを雄叫びでごまかしながら、僕はミシェールの拳をかわした。
振り回される腕の外側から背後に回り込み、右腕をミシェールの首に巻きつけると、左手で固定して一気に締め上げる。
「が――お、あ、バカ、や……ッ」
かつて出会った
肘の内側を使って頸動脈を圧迫することで血流を阻害し、約七秒で相手を失神させる。
(相手がエレナのような生粋の戦士か、絞め技の対応に慣れていれば、七秒の間に反撃を受けることもある)
だが。
ミシェールもまた、僕と同じく格闘のエキスパートではない。
「く、そ、きた、ねぇ、ぞ――ォ」
「……僕は、魔法使いだからね」
求めるならば、すべてを許せ。
それが、魔法使いのやり方。
……七秒を待つまでもなく、ミシェールは失神した。
同時に、体内
結果、双方の【
そんな結末にならないことを、僕は確信していたけれど。
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