第87話 おじさん、JKを教育する

「……そう、大丈夫。その調子で、ゆっくり……無理はしないで。少しでも痛みを感じたら、すぐにやめていいからね」

「……っ、は、い……」


 頬は赤く、息は熱く、形の良い眉を歪めながら。

 彼女は自らのそれ・・を、自らの指で開いていく。

 花の蕾をほぐしていくように、優しくも激しく。


「いいよ、上手だ……キープして。急に動かしちゃダメだ、慎重に」


 僕はただ、寄り添うだけ。

 彼女の肉体を傷つけないよう、なめらかに手を添えて。


「……なあ、モルガンセンセー。言うてもいい?」

「なに、フレデリカ君?」

「なんかどーもイヤラシく見えるんやけど、これウチの心が汚れてるせい? それともシズカはんの声がエロいせい?」


 ……遠くから聞こえる野次馬の声を無視して。


 彼女――シズカさんは、眼帯の下の瞼を静かに開いた。

 隠されていた右眼――とてつもなく精緻で複雑な魔法陣が刻み込まれた眼球が、俄に光を放ち始める。


「――痛っ、ぁ、あっ」

「慌てないで! 大丈夫! ……呼吸だ、そう、激流から顔を出すイメージで。意識するんだ、自分が見たいものを、焦点を当てるべき場所を。それ以外のものは無視して、集中して」


 僕はシズカさんの肩に添えた手に、力を込める。

 暑さに耐えかねて脱いだローブの下、白く細い肩は、未知の痛みに耐えて固くこわばっていた。


「……見、え、る――アレは、光が、すごい、速さで――魔法? 人間の、思考の痕、意味の轍……そう、アレは、フレデリカさん、の、ああ、遠い、時間、過去、絵が、見えて、声、音、匂い、あ、あ、ああああ――ッ」


 徐々に理性から遠ざかっていく声。


(ダメか――【極小電撃スタン・ボルト】ッ)


 僕の手のひらに発生した小さな放電現象が、シズカさんの意識を引き戻す。

 彼岸から此岸へと。


「――はッ、あっ、痛ぅっ」

「目を閉じてシズカさん! うん、大丈夫だよ、落ち着いて――そう、深呼吸だ」


 膝から崩れ落ちたシズカさんの呼吸が整い、眼帯をつけ直すまでどれぐらい時間がかかったか。

 僕はそれを、最後まで見届けて。


「……やったね、ついに目を開けられた。すごい進歩だよ」

「あ……開けて、た、んですか……アタシ」


 口を開くのもやっと、という様子のシズカさん。

 やはり【霊素眼エーテル・アイ】の消耗は激しいみたいだ。

 まともに訓練するのはこれが初めてだというから、なおさらだ。


 遠くで、視認目標となる【持続光コンティニュアス・ライト】を使っていてくれたフレデリカが走り寄ってくる。

 手際よくシズカさんの状態を確かめて、


「あー、こらアカンわ。【体力回復スタミナ・ヒール】の霊薬飲ませて休ませたらんと、動けへんで」

「ふむ。すると午後の【空間転移テレポート】は無理かな?」

「当たり前やろが! 殺す気か、モルガンセンセー!」


 フレデリカの判断に従うしかない。

 僕はシズカさんを抱き上げて、昼食を摂っていた木陰の方へと運んでいく。


「え、は……あの、大丈夫です、アル師匠。アタシ、重いです、し」

「ああ、ごめんねシズカさん、こんな運び方して。すぐ下ろすから。水は飲めそう?」


 ゆっくりと毛布の上におろし、フレデリカが処置する。

 口に含ませた霊薬のおかげで、シズカさんの顔色は少し良くなったけれど。


 その様子を見守るフレデリカの表情は暗かった。


「……眼帯外しただけでこれって、ホンマ、【霊素眼エーテル・アイ】ヤバすぎるで」

「正直、私も驚いてるよー。特に霊素エーテル濃度が高くない場所でも、こんなに使用者に対する負荷が重いなんてね」


 モルガン師匠が言うまでもなく。

 『死の世界アンダーワールド』で同じことをすればシズカさんがどうなるか、想像は容易い。


 僕はシズカさんの青ざめた頬を見つめて、考える。


(……問題は二つある)


一つは、【霊素眼エーテル・アイ】の出力を調節するスキルが足りていないこと。

もう一つは、完璧に調節できたとしても、超高濃度霊素エーテルの視認と分析にシズカさんの精神が耐えられるのかどうか。


 十分な訓練を積めば、きっと調節スキルは身につくだろう。

 それでも『死の世界アンダーワールド』という特殊な環境で力を発揮できるかといえば、確証はない。

 何しろ超高濃度霊素エーテルが滞留する現象なんて、そもそも前例が無いのだから。


「……師匠。やっぱりこのプランは無理があります。僕らにとっては重要な調査でも、実際に危険に晒されるのはシズカさんなんです」

「シズカ君の天恵ギフト無しでは、何も出来ないよ。私が前回行った調査がそうだった。表層をなぞるだけで、何一つ確証は得られなかったんだからね」


 師匠の答えは、淡白だった。

 冷酷という印象すら与えないほどに。


 求めるもののためならば、すべてを許す――伝説の魔法使いの横顔に、少しもためらいの影はない。


「君も聞いたでしょ、アル君。危険があるのは、シズカ君自身も承知しているんだよー。私達は彼女を支えるしかないんだって」

「魔法使い流に言わせてもらえば、【霊素眼エーテル・アイ】という貴重な天恵ギフトを、拙速なプランで失うなんて大きな損失ですよ!」

「ちょっと二人とも、やかましいわ! 患者の前で喧嘩すんなアホウ! 絞め落とすぞ!」


 とはいえ、僕も譲るつもりはない。


 ……魔法使いは皆、どこかで来訪者ビジターのことを実験材料として見ている。かつて僕がそうだったように。

 少し考えれば、あってはならないことだと分かるはずなのに。


「……アル、師匠」


 細く小さな声。

 横たわったまま、シズカさんがこちらを見上げていた。


「ああ、ごめん。騒がしかったね。シズカさんは、とにかく休んでて」

「……アタシは、いいです。別に、どうでも」


 力のないつぶやき。

 ただ、身体が疲弊しているというだけでなく。


「どうせ、もう死んだんだし。誰かの役に立って死ねるなら、別にいいです」


 来訪者ビジターのほとんどは、異世界での死を通じてこの世界にやって来る。

 事故や災害、病魔、あるいは犯罪の犠牲になった者達は、皆、新たな生を喜んで享受しようとするが。


(シズカさんは、もしかして)


 自殺者は、違う。

 苦痛から逃れようとして叶わなかった、という新たな絶望を裡に抱え込むことになる。


 僕が視線を送ると、モルガン師匠は気付かなかったの、と言わんばかりに首を傾げた。

 ……ああもう、本当に説明が杜撰だな、この人は!


「……分かった。それじゃ、もう少ししたら訓練を再開しよう」

「ちょっとアル兄さん! アカンて、明らかに限界やろ! 今日はやめたらんと!」


 僕は首を振った。

 多分、フレデリカの優しさじゃ、シズカさんは引き止められない。


「この程度のスキルじゃ、僕の役に立たない・・・・・・よ。シズカさんには限界の一つや二つ、超えてもらわないといけない」


 告げる。

 はっきりと――できるだけ、厳しく聞こえればいいと思いながら。

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