第35話 おじさん、悪徳貴族の罪を暴く

 二人の淑女が、帽子にかかっていたヴェールをたくし上げた時。

 ジェヴォンは獣のような笑顔で、エヴァンは湖のように静かな表情を浮かべていた。


「ご無沙汰ね、パイク。こんな素敵な催しがあるなら、教えてくれればよかったのに」

「……これはこれは。ラーヴェルート伯爵、何故あなたが、この二人と?」


 パイクの険しい顔など、どこ吹く風。

 マリーアン様は長い足を組むと、


「ここに至る道中、たまたま知り合ってな。リリー家のご係累で、ぜひパイク殿とお話がしたいとおっしゃるので、我が友人としてご参加いただいたのだ。ご迷惑だったかな?」


 そう嘯いてみせた。


「……フン。他人に寄生するしか能のない田舎女が、今度は伯爵殿を騙したのか」

「るっせぇクソ野郎! お母様にナメた口聞いてっとマジでブッころモゲモゴモグ」


 椅子を蹴って立ち上がったジェヴォンの口を、レオンが手際良く塞いだ。

 流石、動きがいい。予測してたな。


「相変わらず口が過ぎますね、パイク。ジャックはいつも、あなたのそういう所を心配していましたよ」

「貴様が兄上を語らないでもらおう。我がリリー家に潜り込んだ泥棒鼠の分際で」


 確かに口は悪いが、パイクはきちんと場をわきまえている。

 連れてきたマリーアン様を攻撃の的にせず、すべての避難をエヴァン自身に向けているのがその証拠だ。

 身内の恥としてエヴァン達を切り捨てることで、事態を収めたいのだろう。


「ジェローム! 兵を連れてくるんだ。この恥知らずをつまみ出せ」

「かしこまりました、パイク様」


 パイクの後ろに控えていた側仕えの男――ジェロームが手を挙げると、会場の隅に控えていた衛兵達が駆け寄ってくる。


「まあ、久々の再会だと言うのに随分な態度ね、ジェローム」

「ご無礼をお許しください、奥様。私はリリー家・・・・に仕える身です。――ものども、この侵入者をつまみだせッ!」


 ジェロームが号令をかける。

 エヴァンは物憂げに頭を振ると、席を立った。


「その誠実さは美徳ね。でも、ジェローム。今は控えていなさい」


 彼女の腕を掴もうとした衛兵達の前に、ミドとファドが立ちふさがる。


「おかあさまに近寄るな!」

「いくらオマエたちでも、オレたちはてかげんしないぞッ」


 二人は牙を剥き、元は同僚であっただろう衛兵達に向かって吠えた。

 見た目は子供だが、反射神経では並ぶもののいない獣人の戦士だ。

 衛兵達も迂闊に手が出せない。


「誤解が無いように言っておくわね、パイク。今日はあなたではなく――この場に集った全ての方々にお話があるの」

「黙れ、泥棒鼠! ここに集っているのは我がリリー家の客人だ。貴様のような下級貴族の戯言に耳を貸す者などいるものか」


 パイクは落ち着きを崩さず、大きく両手を広げてみせた。

 あくまでこの場を支配しているのは自分だと、主張するかのように。


「我がリリー家? 本心からそう言っているの? 私の最愛の夫を殺したあなたが――事故に見せかけてジャックを暗殺までしたあなたが、このリリー家と愛すべき領民達を、自分のものだと思っているの?」


 エヴァンのよく通る声――会場に、ざわめきが走る。


「何を言い出すかと思えば。女神の手違いで夫を失った寡婦という点では、貴様に同情もしよう。だが、言うに事欠いて、私が暗殺した、だと! 言いがかりにもほどがある!」


 パイクが声を張り上げた。


 動揺している様子はない。

 それなりの額を積んで闇ギルドに依頼したのだ――証拠など見つかるはずもない。

 そう信じているのだろう。


「よくも言えたものね、パイク。その様子だとご存じないのかしら? つい先日、この領都に潜んでいた闇ギルドのアジトが摘発されたことを」

「……何を言っている? 我がリリー家の目と鼻の先に、そんな汚れた連中の巣があるはずなかろう!」


 パイクは敢えてとぼけているのか、それともピンクの魔法使い達が事実を隠していたのか。


「では事の真実を訪ねてみましょうか? ピエール殿――冒険者ギルドの長を務めていらっしゃるピエール・ラングレン殿は、当然この場にお招きしているのよね?」


 これまで涼し気な表情を崩さなかったパイクが、僅かに目を泳がせた。


「おや、どこかから我が名を呼ぶご婦人の声がしたようだ! このピッエール・ラングレン、麗しき淑女のためならば、例え地の果てからでも馳せ参じよう!」


 無駄に長い口上と、大げさなステップを踏みながら。

 領都切っての色男にして面白色ボケギルド長こと、ピッエール・ラングレン氏がパーティ会場の中心――まさに舞台上へと姿を見せた。


 僕の隣でエレナが溜息をつく。フランソワーズさんは声を出さずにくつくつと笑っている。

 僕は、なんていうか……生暖かい目で見守ることにした。


「我が名を口にしたのはあなたかな、レイディ――おお、あなたは! エヴァン・リリー様! お変わり無く美しき方! 王都に居た頃も、あなたのお噂はよく耳にしましたとも!」

「ご丁寧にどうも、ピエール殿。お尋ねしたいことがあるのですけれど、良いかしら?」


 優雅に膝をついたピエールに、エヴァンが声をかける。

 パイクから注がれる視線を楽しんでいるかのように、ピエールは頷いた。


「先日、港の倉庫で騒ぎがあったようだけど、あれはなんだったのか教えてくださる?」

「流石はレイディ、お耳が早い! 我がギルドの優秀なる『闇狩り』達が、この領都に巣食う病巣――憎き闇ギルドの支部を制圧したことを、もうご存じとは! これは、今朝公表をしたばかりの情報なのですがね!」


 なんと言えばいいのか――あまりにも大げさすぎて、逆に白々しさを感じさせないピエールの話し方は、実はすごいテクニックだと思う。


「だからなんだと言うのだ! この領都が一段と美しくなった、それだけではないか――」

「それで? 闇ギルドの支部では、一体どんな収穫が?」


 パイクを無視して、エヴァンが質問を重ねた。


「見つかったのは闇ギルドの帳簿と顧客名簿ですよ、エヴァン様。悪党らしい徹底した隠蔽でしたが――我々の共通の友人・・・・・・・・はそれを上回る徹底ぶりで、この重要な証拠を守り抜いてくれました」


 何故かこちらにウインクを飛ばしてくるピエール。

 やめてくれ。僕達の存在がバレたら話がこじれるだろ。


「ふ、ふざけるな、そんなものでっちあげだろうッ! 大方、そこの雌犬が、どこかのゴロツキに金でも握らせたに違いない!」

「どうしたんです、パイク? 顔色が悪いじゃありませんか――私達はただ、闇ギルドの捜査について話しているだけだというのに。何か後ろ暗いことでもあるのですか?」


 徐々にパイクの顔色が悪くなっていく。

 隣りに座っていたエリザベートは、顔を伏せたまま。

 パーティ会場には、どよめきが広がっていく。


「……ふ、ふんッ。あー、ピエール殿。貴殿の仕事ぶりはお見事。闇に潜む者共を狩り出した武勇伝、ぜひ機会を改めて伺いたいものですな」

「お褒めに預かり光栄です、パイク様。お言葉ですが――その機会・・とやらが訪れるとは思えませんね」


 ピエールは気取りに気取った手付きで、懐から紙束――闇ギルドの金庫から盗んできた帳簿を取り出す。

 彼が掲げた紙束に、会場の視線が集まった。


「これなるは闇ギルドの支部から押収した取引記録でございます――ここには、こう記されています。『パイク・リリーより依頼あり。戦術魔法士とA級冒険者による護衛。ならびに、ジャック・リリー暗殺。偽装工作オプション』とね」


 困惑。どよめき。

 会場の賓客だけではなく、衛兵達にも動揺が広がっている。


 ゲストの中には平静な人々もいるが――恐らく、この事実を予測していたか、事前に知っていた者達だろう。

 自分に火の粉がかからないよう、どう振る舞うか計算しているに違いない。


「ば、馬鹿馬鹿しい! どうしてこの私が、敬愛する兄上を殺そうなどと企むのか!」


 パイクがそう吐き捨てたとき、動いたのはレオンだった。

 ジェヴォンの口を抑えていた手を外すと、


「むしろ聞きたいのはこちらですよ、パイク様。私はジャック様が事故に合われた現場を調査しました。そこで、極めて強力な魔法使いが残した魔法痕サインを見つけました――あの土砂崩れは、何者かが意図的に起こしたものです」


 彼は、ジェヴォンの肩を強く掴んだ。

 まるで少女を守るように――あるいは、自分自身を抑えるように。


「……ジャック様は、私にとって恩人でした。魔法使いとしての腕を評価していただき――何より、このように素晴らしい主人に仕える栄誉を与えてくださった。あの強く真っ直ぐで、誠実なお方を――こんな、いたいけなご令嬢の、たった一人のお父君を! どうして奪ったのですか!」


 ジェヴォンが、驚きとともにレオンの顔を見上げる。

 もしかしたら彼が本気で怒ったのを、初めて見たのかもしれない。


 思い返してみれば、レオンはいつもジェヴォンには甘々だったな。


「黙れ、使用人風情が! そもそも貴様のような野良犬を大事な跡継ぎ候補に仕えさせるなど、私は反対だったのだ!」


 パイクは額に青筋を浮かべながら、唾を飛ばす。

 いよいよ冷静な仮面が剥がれてきたようだ。


「黙るのはテメェだ、叔父様ッ! お父様を殺し、お母様を侮辱し、アタシのレオンまでコケにしやがって! この落とし前、どうつけてくれるってんだ、オウ!」

「一端に言うようになったではないか、ジェヴォン。だが、その汚い言葉遣いはなんだ! 所詮は野良貴族との混血――私のかわいいエリザとは違う、半端者よ! 貴様らのような輩がいるから、我らリリー家はファミリー・・・・・の一員になれないのだ!」


 ジェヴォンは、右手を覆っていた絹の手袋を食いちぎるように脱ぐと、レオンが腰に下げていた剣――ジャックが愛用していたミスリル製の業物を掴む。


 そして、脱いだ手袋を、パイクに向かって放り捨てた。


「拾えよ、叔父様――いいや、パイク! 冒険者ギルドの手で法廷に引きずられていく前に、アタシがこの手でリリー家の恥をすすいでやる!」


 ……正直な所、僕はこの決闘には反対していた。


 確かにパイクは罪を犯した。裁かれるべきだ。

 でも、それは司直に任せておけばいい話で、まだ十四歳の子供に、死ぬかもしれない危険を冒させる必要なんてない。

 何より、エリザベートの存在を無視することもできない。


 そう言っても、ジェヴォンは譲らなかった。

 これは貴族の務めだと。


(……家族を奪われたら、僕も同じことをするはずだ――って)


 ジェヴォンの言葉に、僕は何も言い返せなかった。

 確かにそうだと思う――だから僕は、ずっと自分を責め続けているのだ。

 愛しい娘から母親を奪ってしまった自分自身を。


 いずれにせよ。


 それが貴族の――彼女達の生き方だというのなら。

 僕にできることはない。ほんの少ししか。


「……懐かしいな、ジェヴォン。お前が小さい頃は、よく剣の稽古をつけてやったものだ。だが、何度私に勝てたかな?」

「ビビってんならそこに膝をつきやがれ、パイク。お父様の剣が、テメェの首を斬り落としてくれるぜ」


 パイクは、白い手袋を拾うと。

 ジェロームが差し出した剣――ジャックの遺品によく似た拵えの一振りを、鞘から引き抜いた。


「いいだろう。これも叔父としての務めだ――あらぬ嫌疑をかけてくる無作法者に、礼儀を教えてくれよう」


 ジェヴォンとパイクは――左足を後ろに引いた、よく似た構え方で相対する。


「あの世でお父様に詫やがれ、クソ野郎」


 戦いの始まりを告げたのは――城の尖塔で鳴らされた、鐘の音だった。

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