第27話 おじさん、娘と魚釣りする

「……う、ん――あれ……僕、ええと……寝てた?」


 アルフレッドさんはベッドから起き上がるなり、丸っきり寝ぼけ眼でこんなことを言った。

 ……本当に、この人、こういう所がズルいと思う。


「寝てた、じゃないですよ、もう! なんですか、いきなり倒れたりしてっ!」


 思わず大きな声を出してしまって、わたしは慌てて声量を落とした。


「憶えてませんか? アルフレッドさん、朝一で用事を片付けてくるって言って、別棟で倒れて、エレナさんに運ばれてきたんですよっ」

「ああ……ああ、ごめんチヅルさん、そうだった。カレンとジェヴォンと四人で釣りに行く約束だったよね、待たせてごめん」


 ベッドから降りようとするアルフレッドさんを、とっさに支える。 


「ちょっと待ってください! いきなり起きたらダメですよ、アルフレッドさん」

「問題ないって、少し魔法を使いすぎただけだから」

「ひどい顔色ですから、本当に」


 案の定、押されて彼はあっさり倒れた。

 一体どうしたらこんなフラフラになるんだろう?


「そんな状態で行ったら、かえってカレンちゃんを心配させちゃいますよ」

「でも、約束が」

「でもじゃありません。まずはお水飲んでください」


 ベッドサイドの水差しからゴブレットに水を注ぐ。

 一気に飲み干すと、アルフレッドさんの顔に少し生気が戻ってきた。


「……一体、エレナさん達と何をしてたんですか?」

「パイクとの『話し合い』に必要な交渉材料を揃えてたんだ。その途中で、ちょっと魔法が必要になってね」

 

 わたしは、じっとアルフレッドさんに視線を注ぐ。


 これまでの短い異世界生活の中で分かったことがある。

 この人は、わたしの眼に弱い。

 多分、チトセおばさんと同じ黒い瞳だから。


「……昨日捕まえた刺客の一人に、雇い主を聞こうと思って。でも、彼らには話ができないように魔法がかけられてた。それを解いたんだよ」

「危ない作業だったんですか?」

「うん、でも、以前に何度かやったことがあったから」


 それともう一つ、分かったこと。


 この人は自分を危険に晒すことをためらわない。

 カレンちゃんを守るのはもちろん、他の誰かを――例えばわたしや、ジェヴォンちゃんや、見ず知らずの暗殺者を救う時でさえ。


「……アルフレッドさん」

「どうしたの?」


 わたしはいつの間にか、アルフレッドさんの手を握りしめていた。


「ごめんなさい。わたし、こんな……アルフレッドさんが、危ない目に合うなんて」

「えっ、ちょ、なんでチヅルさんが謝るの?」

「わたし、異世界で旅が出来るって浮かれて、アルフレッドさんの負担になるって分かってて、でも呑気に一緒に行くなんて……ううん、分かってたのに、考えてなかった」


 ただでさえモンスターがいる世界なのに、貴族の権力闘争にまで首を突っ込んだら、危険がないって考える方がおかしい。

 アルフレッドさんやエレナさんなら強いから心配ないって、わたしが勝手に思い込んでたんだ。


「ええと、落ち着いて、チヅルさん」

「でも、でも」


 今度は、アルフレッドさんに手を握り返された。

 骨ばっていて大きくて、少しざらっとした肌。


「君が悪いんじゃない。今回の話を引き受けたのは僕だし、これはちょっと魔法の使い過ぎで疲れただけ」


 翡翠色の眼が優しく笑う。

 すると、わたしの胸の奥の方が、きゅっとなる。


 何だろう。この感覚。

 頭がボーッとして、眼の前がチカチカするような。


「でも、チヅルさんの言う通り、釣りに行くのはもう少し休んでからにしようかな。カレンとジェヴォンには、お昼を食べてからにしよう、って伝えてくれる?」

「……はい、分かりました」


 突然感じた息苦しさから逃れたくて、わたしは慌てて部屋を後にした。


 扉を閉めると、廊下の壁にもたれかかって深呼吸を一つ。


(……だって。アルフレッドさんは、わたしの恩人で、カレンちゃんのお父さんで、チトセおばさんが愛した人で……もし怪我をしたり、死んでしまったりしたら、みんなすごく悲しむと思うし)


 だから心配なんだ。

 わたしにできることなら、何でもしてあげたいって思うんだ。


(そう。だから……これは、ふつうのこと)


 誰かに聞かれたわけでもないのに、もう一度だけ、胸の中で呟いて。

 わたしはカレンちゃんとジェヴォンちゃんが待つ部屋に戻った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 リリー家の敷地の外れには、小さな清流がある。

 馬で渡るのは厳しい程度の深さがあって、多分屋敷が建てられたのもこの川が防衛上有効だったからだろう。

 僕らはその淵に座り込んで、釣り糸を垂らしていた。


 かれこれ、二時間ほど。


「……ね。おとーさん」

「んー?」

「カレン、ちょっと、飽きてきたかも」


 逆立ちしながら芝生を歩く蟻の数を数えていたカレンが、ボソリと言った。


「奇遇だね。僕もだよ、カレン」

「オイ、おチビ! もうすぐだよ、もうすぐ釣れっから! やる気出せよ、なァ」


 少し離れたところで糸を垂らしていたジェヴォンは、まだまだやる気十分。

 ものすごく短気な子だと思っていたけど、こういう時は意外と粘り強いんだなぁ。


「えー、ジェヴォンおねーちゃん、さっきも同じこと言ったー」

「いや今度こそマジだって! そろそろ来る気がすんだよ、デッケーやつがさァ!」

「それも言ってたよ、さっき」


 るっせー、と唾を吐くジェヴォン。

 まさかと思うけど、君が大きな声を出すから魚が逃げてるんじゃないだろうね?


「みなさーん、差し入れ、もらってきましたよー」

「あー! チヅルおねーちゃーん!」


 チヅルさんが屋敷から運んできてくれたのは、果汁ジュース入りの瓶とビスケットが山盛りのカゴ。

 駆け寄ったカレンはカゴの方を受け取ると、一転してルンルン気分で戻ってくる。


「おやつっ♪ おやつっ♪ おいしそうっ♪」

「なんだよおチビ、いいのか? そんなもん食ったら、焼き魚が入らなくなるぞ?」

「いいのー! おさかなさん食べる前におなか空いて死んじゃうもんっ」


 僕もカレンと同じ意見だ。

 それに、『空腹のコックに料理は作れない』って言うだろ。


「……あっ、これ、美味しいですね! ビスケット、なんかしっとり系だ、懐かしい。前の世界でよく食べたやつです」

「うん、ホントだ、食感が面白いね。これもボビーさんが?」

「いや、菓子とパンはビリーだ。弟の方だな」


 どうやら弟は兄に負けず劣らずの腕前らしい。

 僕も少し教わってみようかな。家ではいつもル・シエラに任せっきり、ってのも父としてどうかと思うし。


「なあ、おチビ」

「むぐ……ん、なにー?」

「オマエ、クッキー好きか」


 カレンは素直に頷いた。

 ていうか欲張りすぎ。ほっぺたパンパンだよ。かわいいなぁ。


「ウチの子になったら、毎日食えんぞ」


 むせた。僕が。


「げっほげほ……ちょっと、何言い出したんだ、ジェヴォン」

「言葉通りの意味だっつの。ボビーもビリーのリリー家のお抱えだからな。ウチの人間は毎日アイツらの作る食事を楽しんでる」


 君、それはまさか、昨日言ってたエヴァンの再婚の件か?

 カレンを懐柔して、僕に心変わりさせようって作戦なのか。


(馬鹿なこと言うな、って言いたいけど)


 カレン自身は、どうなんだろう。

 母親の不在も、辺境での質素な暮らしも、全て僕の都合だ。


(やっぱり思うんだろうか。母親がいて、大きな屋敷に住んで、贅沢に暮らしたい、って)


 カレンは少し悩んでから、


「ウチの子、って、ジェヴォンおねーちゃんのおうちのこ、ってこと?」

「ああそうだ、アタシとお母様の家族ってことだ。あのど田舎の村を出て、ここで暮らすんだよ。オマエのお父様も連れてきていいぞ?」


 話の方向が掴めたのか、チヅルさんが戸惑った表情で僕を見る。

 一応、首を振って否定しておく。

 僕とエヴァンはそういう関係じゃないし、そうなる予定もないからね?


「……いい」

「あ?」

「いらない」


 カレンは摘んでいたクッキーを、ジェヴォンに差し出した。


「クッキーも、ジェヴォンおねーちゃんも好きだけど……カレン、おうちが好き。おとーさんと、ル・シエラと、チヅルおねーちゃんがいる、おうち」


 少し名残惜しそうに、寂しそうに、けれどはっきりと。

 そう言って、カレンは僕に抱きついてきた。


「……カレン、ル・シエラのごはん、食べたくなっちゃった」


 僕はカレンをしっかりと抱きしめると、黒く美しい髪を撫でる。


「お父さんもだよ。もう少ししたら、うちに帰れるからね。帰ったらカレンの好きなもの、いっぱい作ってもらおうね」

 

 言いながら、僕は少しだけ泣きそうになってしまって、ぐっと唇を噛んだ。

 三十歳になると、涙もろくなっていけないな。


「――せんぱ~いっ、アル先輩~っ!」


 今度はユーリィが館の方から走ってきた。


「おつかれさま、どうだった?」

「さっき、あのダークエルフ――デズデラも目を覚まして、話を聞くことができました★ 彼女、相当怒ってるみたいで、洗いざらい教えてくれましたよっ」


 よかった。苦労したかいがあったな。


 まだ魚を諦めないと主張するジェヴォンを残し、本館に戻るカレンとチヅルさんと別れて、僕はユーリィと共に別館へ向かった。

 道すがら、ユーリィから話を聞く。

 

「デズデラが【呪詛カース】をかけられたのは、領都のスラム街だそうです」


 怪しいボロ小屋で魔法使いの男に、魔刻器エンクレイブドを使われたらしい。

 妙な仮面をつけた男曰く、「仕事が終われば金を払う。その金で負債が返せれば呪いも解いてやる」とか。


 ついでに言えば、他の刺客達は同じようにその小屋に集められた連中で、ほとんど初対面だったそうだ。

 

「……これって、完全に闇ギルドの手口ですよね?」

「ほぼ、間違いないだろうね」


 推測するに、デズデラが呪いをかけられた小屋は中継地点だろう。

 リリー領における闇ギルドの拠点は、もっと見つけづらい、あるいは侵入しづらい場所にあるに違いない。

 パイクを当主の座から引きずり落とす為の武器は、そこにあるはずだ。


 ――別館の奥、実験室の扉を開く。

 今回の調査の拠点として貸し与えられたこの部屋で、エレナとフランさん、マリーアン様とデズデラがテーブルに地図を広げていた。


「やあ、釣果はどうだったね、アルフレッド先生?」

「ははは……僕は川釣りより海釣り派なんで。それより、話はユーリィから聞きました。デズデラ、色々教えてくれてありがとう」

「恩は返ス。エルフは誇り高き生き物ダ!」


 胸を張るデズデラは、すっかり元気そうだ。

 革鎧とローブを身に着け、銀の髪も結い上げた冒険者スタイルに戻っている。


「それで、連中の根城は掴めそうですか?」

「いや、残念ながらデズデラの話だけでは情報不足だな。領都は入り組んだ街だ。怪しい場所は山ほどあるぞ」


 エレナは、デズデラが言っていた小屋のマークを指で示してから、その周囲に大きく描かれた円をなぞってみせた。

 いくつもの建物があり、路地があり……確かに机上では検討のしようがない。


「ニンゲンの作るマチというのは、ドウシテこう分かりづらいのダロウな? ドワーフどもの穴蔵の方がまだマシだ」

「確かにね……領都に土地勘のある人はいますか?」


 全員が否定の仕草。

 それもそうか。親衛隊のみんなはもちろんだけど、冒険者が多い街でもない。

 商人や輸送業者からの小口の護衛依頼が多いから、特定の冒険者には人気みたいだけど。


 さてどうしたものか……と考え込み始めたところで、エレナが手を上げた。

 ものすごくしぶしぶとした様子で、


「……知り合いがいる」

「助かるよ。冒険者関係の?」


 僕が聞き返すと、エレナはますます苦い表情になる。


「……ギルドの職員だ。この前、領都に赴任したと知らせがあった」


 手紙のやり取りがあるのか。結構、親しい仲なのかな?


「……エレナ先輩。それは、まさか、あの男・・・のことか?」


 なんとも言えない顔のマリーアン様。

 例えるなら、戸棚の奥で腐っていたベーコンを見つけたときのような……もしくは歯医者に行く友人を見送るときのような。


「頼む、マリーアン。ソフィでもいい。あたしの代わりにギルドに顔を出してくれ」

「そりゃ無理ッスよ、エレナ姐さん。あいつ・・・が、ウチらの話聞くわけないッスよ」


 マリーアン様と同じく、エレナの冒険者時代を知るソフィさんは、ちょっと違う様子だった。

 まるでサーカスの客席でピエロの登場を待つような。


「ピエールのヤツ、姐さんのクツを舐めるのが生きがいなんですから」

「やめろソフィ、その名前を出すな!」


 エレナは顔を真赤にするが、ソフィはあっはっはと笑うだけ。

 マリーアン様は深くため息をついて、僕の耳に顔を寄せた。


「悪いが触れないでやってくれ、アル先生。もし当人――ピエールを前にしても、黙っていてほしい」

「い、いいけど……なんで?」


 もう一度、マリーアン様の溜息。


「会えば分かる」

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