第15話 おじさん、JKと最後の夜を過ごす

「あ。ご、ごめん。ちょっと、ウトウトしてたかも」

「一日歩き回って、おつかれですよね。今日はありがとうございました」


 月に照らされたチヅルさんの頬は、まだ少し赤い。

 もぎたてのリンゴのような。


「お隣、いいですか?」

「どうぞ」


 椅子に腰掛けたチヅルさんの手には、ワインの入った酒坏が二つ。


「あー、ええと、ごめんね、折角だけど」

「あの……ル・シエラさんが。わたしと二人なら良いんじゃないか、って」


 ……何を考えてるんだか、あの家妖精シルキーめ。


 結局、遠慮がちに見上げてくるチヅルさんの視線に負けて。

 僕は酒坏を受け取った。


「主賓に勧められたのに、お断りするのも失礼か」

「えへへ。そうです、わたし、主賓ですよ」


 カチン、と乾杯の音。


「……気分はどう?」

「えっと……すごく、ふわふわして、ぽかぽかして――わくわくしてます」


 久々に味わうワインは、爽やかで果実味が強い。

 軽くて飲みやすいチョイスは、ル・シエラなりの心遣いかもしれない。


「この世界に来てから、ずっと不安だったんですけど……でも、わたしのことを誰も知らない場所で、自由に生きるって……よく考えたら、すごく楽しいなって」


 チヅルさんは、故郷では決して見られなかった双子の月を見上げて、とつとつと言葉を紡ぐ。


「今日は何しようとか、明日は何しようとか。ものすごくたくさん選択肢がある暮らしなんて……地球にいた頃は、考えたこともなかったから」


 月影に浮かぶ横顔は――やっぱり、チトセによく似ていた。

 この世界に来たばかりの頃の、あの人に。


「そんな風に思えるようになったのは、アルフレッドさんのおかげです」

「……僕?」


 夜空色の瞳に、虚を突かれた僕が映る。


「右も左も分からないわたしを、受け止めてくれたから。わがままを聞いてくれて、命を懸けてまで救ってくれて。あなたがくれたたくさんの優しさが、あったから。怖がらずに進んでいこうって、思える気がして」


 そんな、おおげさな。僕はただ当たり前のことをしただけで。

 それに。

 

(チトセにそっくりな君を、どうしても他人とは思えなくて)


 ……色々な言葉がぐるぐると脳裏を回ったけれど。

 何を言っても野暮な気がする。


「……少しでも役に立てて、良かったよ」


 だからつい、そんなことを言ってしまった。


「――そういうところですよ、アルフレッドさん」


 いきなり、チヅルさんがむくれはじめる。


「わたしだって、その、どうしたらいいか、分かんないんです」

「えっと……な、何の話?」

「だから、ええと……ああ、違う。違うんです。わたし、全然そういうのじゃなくて。アルフレッドさんのことは、お父さんみたいな、あの、でもウチの父親よりもずっと優しくて、だから、その? 尊敬してるっていうか、カレンちゃんのお姉さんみたいな気分だったっていうか」


 まるで手品みたいにくるくると変わっていく表情。

 見ているうちにおかしくなってきて、僕はつい吹き出してしまった。


「あ! わ、笑いましたね!」

「ごめんごめん。でも、流石に、娘というには大人すぎるというか」

「じゃ、じゃあ! 娘じゃなかったら……わたしって、何なんですか?」


 チヅルさんは酒坏を勢いよく置くと、ぐいっと身を乗り出してきた。


「何って――」


 ただの研究者と研究対象。

 初めはそうだったかもしれない。

 けれど、でも。


「あーっ! ちょっと、ひっく、コラぁ、なにユーリィの許可なくイチャついてるんですかぁ」


 勢いよく開いた玄関から飛び出してきたユーリィは、がんばって引き留めようとするグロリアとカレンを引きずりながら、こちらへとやってきた。


「あなた、おえっ、来訪者ビジターっ、うげぇ……アル先輩はっ、誰にでも、優しいだけで……うぶ、別にっ、あなたが特別、って訳じゃ、ぐぶ、ないんですよぉ」


 いちいちえづきながら喋るのはやめてほしい。

 あと、吐くならポーチじゃなくて草むらにしてほしい。


「な、あ、わ、わか、分かってますよっ」

「ホント、です、ぐ、かぁ? あなた、なんて……ぶぶ、ちょっと、チトセに似てるだけ・・・・・・・・・で! ただの、来訪者ビジター、なんです、から、ね」


 あ、危険な顔だ。


「ユーリィさん、こっち、こっち、階段、降りて、吐くなら外で――わああああっ」


 グロリアの悲鳴に続いて、聞くに堪えない音。

 ……明日の朝、本人に掃除してもらうか。


 僕は溜め息をつくと、チヅルさんに向き直る。


「ごめん、ユーリィは悪い子じゃないんだけど、人付き合いが下手というか、攻撃的なところがあって」

「……今。ユーリィさん、なんて言いました?」


 えっ、と思わず聞き返す。

 チヅルさんは、驚き以外の全てを取り落とした表情で、僕を見ていた。


「……チトセ、って」

「ああ、うん。カレンの母親で……僕の妻だった人」


 呆然としたまま。

 チヅルさんは、言った。


「……行方不明になった叔母と、同じ名前です」


 ――取り落としたワインが、床に赤い染みを作る。

 くるくると回ったゴブレットが止まるまで。


 僕とチヅルさんは、次の言葉を見つけられなかった。

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