「古代の戦術④海戦の始まり」〜衝角と艦隊の補給機能〜

「古代の戦術④ 海戦の始まり」

 

 ——戦場に現れた船——

 

 紀元前二十五世紀。エジプト古王国を旅立った兵士たちは、現代のイスラエルであるパレスチナへと進軍することになった。その時に初めて兵士が海路を利用したと言われている。船舶が軍用として利用され始めたのはここからだ。

 エジプト新王国ではナイル川に停泊中の海の民(名義上は蛮族)の船舶に対して、弓や投げ槍で攻撃を仕掛け撃退するなど、河川での運用のみが可能な船がメインで用いられていた。

 同時期の地中海世界においては、気候の安定した地中海の内部であれば海上でも運用が可能な船舶が開発され、エジプトと同じような形で海戦を行ったと言われている。

 

 この場合、海戦において最も有利な隊形は横陣である。脆弱な舵側を守り合うため、船は横並びか、それを変形させた弓形や三日月型を組んだ。ファランクスと同じく側面が弱い。また互いに甲板を投擲武器で攻撃し合うのが基本なため、乗員の腕が船の実力に直結した。

 船はいわゆる動く拠点のようなものであり、船自体にはこれと言った武装がなかったのである。

 

 

 ——衝角(ラム)の衝撃——

 

 船そのもので船を沈められないか? そう考えた末に生まれたのが衝角(ラム)だ。艦首に頑丈な槍のような部位を設けることで、敵船に対して体当たりをかますという仕組みである。

 これにより海戦は様変わりし、互いに敵船の側面に衝角(ラム)をぶち込もうと必死になった。依然として拠点の役割が大きかったものの、船が船を沈められるようになったのだ。

 陣形も横隊から、敵側面を左翼、または右翼によって突くための片翼包囲や、中央突破からの背面展開を狙った縦隊が組まれるようになる。

 

 ——サラミスの海戦——

 

 古代の前半において、世界史に最も大きな影響を与えたのが【サラミスの海戦】だ。

 紀元前450年。ペルシア戦争の渦中に行われた、ギリシア連合艦隊とペルシア艦隊の戦いである。

 ギリシアの都市国家アテネの指揮官だったテミストクレスを中心に結成されたギリシア艦隊が百四十隻〜三百隻程度であったのに対し、ペルシア艦隊は少なくとも三倍以上の数であった。

 そもそもこの戦いの目的は、ペルシア艦隊によるペルシア陸軍への補給を断つことにある。十万を超えるペルシア陸軍を正面から撃破するのは難しいと判断したテミストクレスは、

 ・小型で機動性に優れた艦船

 ・地形を生かした戦術

 を利用することを実施した。

 前者は衝角(ラム)を側面にぶつけることで敵艦を沈められる場合は、最低限の重量を保ちながら小さく速度のあるガレー船が有利なため、アテネ艦隊の主力として活躍する。

 後者は

 

 ・第一に、敵艦隊の数を減らす。

 ・次に、敵を逃げ場のない海峡へと誘い込む。

 ・最後に、敵を殲滅する。

 

 この三段階によって行われた。

 まずは「ギリシア艦隊が逃げ出そうとしている」との情報を利用して、敵艦隊の一部をギリシア艦隊の退路へ移動させることに成功する。退路を塞がれる形になるため後がなくなりはしたものの、目の前の敵を減らすことには成功した。

 

 そして艦隊を出港させて逃亡の動きを見せることで、サラミス海峡という狭い回廊内に誘い込んだ。

 

 そして最後に入り組んだ海岸線に隠していた艦隊を出港させ、敵艦隊の側方を強襲した。功を焦ったペルシア艦隊が渋滞し混乱したこともあって、ギリシア艦隊は大勝した。

 

 この海戦によってペルシア軍は後退を余儀なくされ、続く【プラトン】で敗れることとなる。

 

 古代において、あくまで海戦は陸戦の補助であった。サラミスの海戦は確かに戦争の帰趨を決定づけたが、それはペルシア艦隊が陸軍の補給を担っていたからだ。

 海を支配した国家が世界を支配する時代までは、およそ二千年を待つこととなる。

 

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