第984話 大浴場で待ち構える男が一人



 お腹が膨れたら後は寝るだけ……ではなく、お風呂の時間。

 食前にお風呂に入る派と、食後にお風呂に入る派がいると思うけど、俺は食後派だというのはどうでもいい事か。

 広い部屋で落ち着かないらしい、モニカさんとソフィーは、ユノを連れて何か考えると言っていて、フィネさんやフィリーナもお風呂は後にするとの事。

 なので、今夜は先に俺が大浴場に入る……男女が別れていないから、そういった打ち合わせはやっておかないとね。


 ラッキースケベなんて、実際に起こったら気まずくなるだけだし。

 まぁ、そのあたりは使用人さん達が連絡をしたり管理してくれるらしいので、あんまり心配していないけど、俺が出たら皆に教えてくれるらしいし、逆の場合も同じ対応だとか。

 エルサを連れて、脱衣場で服を脱ぎ、中に入る……と。


「おぉリク殿、来られたか。待っておったぞ!」


 浴場の湯気の向こう側から、全体に響く声が聞こえた。

 湯気があるから姿は見えないけど、野太い声から男性なのは間違いなく、聞き覚えのあるというか今日聞いたばかりの声だ。


「……その声、シュットラウルさん?」

「うむ。執事から、先にリク殿が入ると聞いたのでな。先に来て待っていたのだ。男同士、裸の付き合いというものは重要だからな!」

「えーと……?」


 シュットラウルさんは俺を待っていたらしいけど……いつの間に来たのか。

 そもそも、泊まっている宿の建物が違うはずなんだけど。


「シュットラウルさん、隣の宿に泊まっているはずでは?」

「あちらとこちらの建物は、中を移動できるように繋がっているのだよ。貴族が泊まる際に、大勢の使用人などを引き連れてくる場合に備えてだな」

「あぁ、部屋が足りなかった時用とかですか。それにしても、わざわざこちらに来なくても……」

「男同士、遠慮する事はあるまい。裸の付き合いをする事で、お互いわかり合える事もあるからな! 背中も流すぞ?」

「いやまぁ、確かにそういう事もあるのかもしれませんけど……あ、背中は別にいいです」


 外から見た時も、建物の三階部分が繋がっているように見えたけど、あれはお互いの建物を行き来するための通路だったんだろう。

 お湯に浸かっていたらしいシュットラウルさんが、ザバッと音を立てて立ち上がり、こちらに歩いてくる……濃い湯気の合間から、シュットラウルさんが見えた。

 ……見て嬉しいものじゃないけど。


「リク、リク。早くするのだわ」

「あぁ、ごめんごめん。えっと洗い場は……と……」

「ふむ、エルサ様だったか……ドラゴンも風呂に入るのだな」

「エルサのお気に入りですよ。汚れていたら、せっかくのモフモフな毛が台無しですし、いつも一緒に入っています」


 背中を流すと言うシュットラウルさんの申し出を断り、エルサの要求に応えるため、洗い場へと移動する。

 後ろからシュットラウルさんも付いて来ているけど、エルサ……ドラゴンがお風呂に入るのを珍しがっているようだ。


「先程は、リク殿と話すために触れないようにしていたのだが……エルサ様、シュットラウルと申します。お見知りおきを」

「気が向いたら覚えておくのだわー」

「こらエルサ。この人は国でも偉い人なんだから、ちゃんと覚えておかないと」

「はっはっは、構わんよ。ドラゴン様と話せるだけでも、素晴らしい事だ」


 エルサが失礼な事を言うけど、シュットラウルさんは気にしていない様子。

 この国の貴族さん達って、おおらかな人が多いなぁ……クレメン子爵やフランク子爵とかもそうだし。

 まぁ、バルテルの事件の時に、バルテルと協力していた貴族は一掃されたらしいし、生き残った人が偶然こんな感じの人ばかりだったんだろう。


「そうですか……エルサ、お湯かけるぞー」

「バッチコーイなのだわ!」


 また変な言葉を使って……俺の記憶からだろうけど。

 エルサにお湯をかけて、丹念に毛を洗い始める。


「成る程、そうやって丁寧に洗うのが良いのだな」

「見て覚えても、エルサの洗い方なので他では使えないと思いますけどね」

「そうでもないぞ? 一部の魔物を従えている者もいるくらいだ、風呂で綺麗に洗うくらいはするものだろう」

「へぇ~、魔物って従えられるんですか?」


 魔物はとにかく倒すべき相手であり、ほとんどが話し合いをする余地のない相手……だと冒険者になる時教えられた。

 実際に、これまで戦ってきた魔物は人間の言葉を使うのもいなかったし、人間を見ると襲って来るのばかりだったからね。

 従えられるというのは初めて聞いた。


「ほんの一部だけだがな。我が国にもいるかどうか……といった程度だ。特殊な事例でな? 一部の魔物は人間と同じように、小さな体で生まれて成長する者もいるのは知っているだろう?」

「はい。ウルフのような獣の魔物の一部とかですね」


 鳥の魔物も、一部は卵から産まれた時にひなの状態からとか、魔物でも本当に一部が赤ちゃんのような状態で生まれて、人間と同じように年月をかけて成長するのがいる。

 どちらにせよ、魔物だし成長したら人間を襲ったりするので、討伐対象だったりするんだけど。


「うむ。その魔物の中で、生まれたばかりの頃から育てていれば、人間に従って行動する事もある。まぁ、魔物を育てようと考える者も稀だし、生まれたばかりの魔物を見つけるのも稀だから、そういった事はほとんどないのだが」

「小さい頃から育てているから、懐くって事ですか。その育てた人以外を襲ったりはしないんですか?」


 擦り込みに近い感じかな? 育てられた事で懐いたり、生まれてすぐ人間を見た事で敵ではなく、味方だと認識するとか。

 エルサを洗いながら、シュットラウルさんから話を聞く。


「育てる者と、魔物の気性次第らしいが……大体は育てた人間に従うので、いきなり襲う事はないらしい。まぁ私も見た事はなく、話しに聞いただけなのだがな。もしそういった魔物を育てて従えた場合、リク殿がエルサ様を洗うやり方は、参考になるだろう?」

「うーん……希少な例過ぎて、本当に参考になるのか微妙だと思いますけど」


 そもそも、シュットラウルさんが魔物の子供を育てる事なんて、そんな状況になる事がないだろうしなぁ。

 誰か知り合いが魔物の子供を拾って……とかならまだあるかもしれないけど、ほぼほぼないと言っていいくらいの確率だ。

 参考にして覚えておく必要性はない気がする。


「はっはっは、あらゆる事を想定し、あらゆる事を学ぶ。これもまた楽しい事だ。人の一生は短い。だからこそ、貪欲にな。知識を学んでも何かに役立つとは限らないが、知らない事を知るのは楽しい事だ」

「シュットラウルさんがそれでいいのなら、いいんですけど。っと……ほら、洗い終わったぞエルサ」

「ふわぁ~、気持ち良かったのだわー! それじゃ、お先になのだわー!」

「はいはい」


 知らない事を知れる楽しさ、というのはあるのかもしれない……エルフとかと比べれば、確かに人間の一生なんて短いからね。

 その分、学べるうちに学んでおきたいという事なんだろう、あくまで、シュットラウルさんの趣味みたいなものらしいけど――。



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