第23話 ビールってマズいんだね

 生中を覚えた。

 冷蔵庫で保管してあるめちゃくちゃ冷たいジョッキを傾けて持ってビールサーバーってやつの注ぎ口にくっつけてコックを倒す。じょわわーってビールが出てくるから、こぼれないようにジョッキを徐々に起こしていくんだ。最初から起こした状態で注いじゃうと泡が立ってうまく最後まで注げない。あと、ななみなみに注いじゃダメ。最後にコックを逆に倒してあげると泡だけもりもり出てくるからそれで蓋をしてあげる感じだ。にしても、ビールの樽ってどう見ても冷やされてないのに、なんできんきんに冷えたビールが出てくるんだろう。謎でしかなかった。

「UFOの子ー! こっちも生おかわりちょーだーい!」

「あッ、はーい! すぐ持っていくっすー!」

 のれんとお品書きも完成したあと、はなさんが『今日はレセプションやるから』って言って、私はレセプションの意味がわからなくって『?』みたいな顔をしてるうちに厨房に引きずり込まれて、作務衣と前掛けと頭巾を装着されて、また『ん?』みたいな顔をしてると商店街店主の人たちがぞろぞろと店の中へ入ってきた。どの人も星見ヶ丘公園の屋台を出してる人たちだから顔見知りだ。

 それからは注文を訊いて、はなさんに伝えて、ドリンクを作って、料理を運んで――なんていうか給仕をやっていた。いったいなんでこんなことになってるかわけがわからない。わりとほんとに眠いんだけど。

「はーい、なまちゅーですー」

「お、ありがと! UFOの子はあれだね、甲斐甲斐しくっていいねー」

「は? それセクハラっすからね」

「いやはや、手厳しい! くぅー!」

 完全に酔っ払いなのはパン屋のおじさんだ。パン屋さんって早朝から支度してる印象だけどこんな時間まで呑んでて大丈夫なのかな。もう二十二時過ぎちゃってるよ。ほかのみんなだって仕込みとかあるでしょうに。呑兵衛になに言っても通じないだろうけど。

 お好み焼きはなまるの一品料理ってそんなにレパートリーはない。でも牛すじ煮込みはほんとに美味しそうだった。おじさんたちにも大人気。

「環ちゃーん、お腹すいたでしょ。好きなもの作ってあげるー」

 そんなこといわれたら遠慮なんてしてらんなかった。

「牛すじ煮込み! あと、すじコン焼きそばーッ!」

「あんたたちどんだけすじ肉好きなのよ……。さ、そこ座って。なんでも好きもの飲んでいいからね、あ、お酒はダメか」

 店員業務から開放された私は食い散らかした。商店街のみんなは、焼きそばパンの開発がどーとか、寿司屋さんの仕入れ先からいい魚介類が手に入るかも、みたいなお仕事話で盛り上がっていた。やたらエネルギッシュで愉快で自由で無責任な時間を共有できて嬉しい気持ちだ。


 みんなが帰ったあと、洗い物や掃除を終えると日付がかわるところだった。私は作務衣を脱いで、潰れちゃったお団子頭を整えてた。なんとなく服についた匂いが気になっていた。はなさんは、火を落とした鉄板を削るみたいにして磨いてる。汗だくだけど、やっぱり綺麗で凜々しい。唐突に、この人を描いてみたいと思った。

「はなさん、絵のモデルになってもらえませんか?」

「んー? お品書きに描いてくれたみたいなやつのー?」

「っていうよりは、働いてる姿がいいっす。そのまんま描く感じで」

「えぇ?」

 鉄板を擦る手が止まった。視線が飛んできたから、じっと見つめ返した。

「もう、わかったわよ。あたしでよければ――」

 了承を得た。早速、リングノートとペンを取り出す。

「えぇ今から描くの? 汗だくだし髪ボサボサだし――」

「余計な動きしないでください」

「え?」

「お仕事しててください、いつもどおり。ほら、早く」

「ええぇ? ちょっと、環ちゃん目がいやらしい……って聞いてないか」

 L字カウンターのこの席からは、はなさんの横顔がよく見える。頬を伝う汗、キュッと閉じられた口元、視線は鉄板にこびりついた焦げ跡に向けられてる。私のことなんて微塵も気にしちゃいない。仕事に集中してるからってことはわかるんだけど、私とはなさんの間には一枚か二枚か見えない壁があって、こうしてじっと見つめていても壁のせいで見えていない部分があって、たぶんそこが見えてないと絵に色気も空気ものってこないんだ。私自身はなんのバックボーンもない空っぽの人間だけど、はなさんや店長はそうじゃないと思うし、人間味っていうと薄っぺらいかもだけど、そういうところを見て察して描けるようにならないといけない。だから観察以上の観察をすることが大切。まぁその結果、はなさんには目がいやらしいとか言われちゃったんだけど。心外だよ。もう。まぁ事実だけど。


 はなさんが鉄板を磨き終わると私もノートを閉じた。描けたけど、描けなかった。

「あれ、見せてくれないの?」

「今日は……ダメです。もうすこしだけ時間をください」

「そっかっそっか」

 はなさんは小さいグラスにビールを注ぐと、腰に手を当ててお風呂上がりの牛乳みたいに一気に飲み干した。

「ビールってマズいんだね。初めて飲んだよ」

 そういって笑う顔がキュートで、私もいつか同じセリフをいいたいなって思った。


 火の元の確認を何度もして鍵を閉めると、終電がヤバいって言って、はなさんは走っていってしまった。きっとまたびしょびしょに汗をかいて、電車に乗り合わせた誰かを惚れさせてるに違いない。

 UFOの前に停めていたオレンジ号に目を向けると店の明かりある。小窓のとこから覗くと店長の後ろ姿があった。カウンター席に座って、ノートPCを広げてレコードの査定をしているっぽい。手伝えたらいいんだけど、私の出る幕じゃないね。オレンジ号にまたがって、ぶっ飛ばす。

 時間も遅いし、コンビニのおでんが売りきれちゃう前に、店長が寝てしまう前に戻って来ないと。いそげいそげ。私はペダルを思いっきり踏み込んだ。

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