第21話 腹話術師

 延々と続く検盤、試聴、お会計のループ。

 検盤っていうのは、お客さん自身が目視でレコード盤の状態を確認することをいうんだ。

 中古レコードは、同じ品物であってもそれぞれにコンディションが異なるから盤面のキズとか擦れとかをチェックして買う人もいる。ダメージが許容範囲内ならそのままお会計へ流れるし、やっぱやーめた! ってされると、またビニールに入れて値札をセットし直して店頭に並べる。状態なんて見ただけじゃわからないって人は、実際にプレイヤーを使って試聴することもある。状態云々じゃなくて、ただ単に知らない曲だからお試しで聴いてみてよかったら買うって人もいたりするね。そこでまた、やーめた! ってされると店頭に戻すし、逆にそのままお会計になることもある。

 わりと煩雑なんだ。いらっしゃいませー、ありがとうございましたー、っていう一辺倒な流れであることがほとんどない。それに今朝は普段はあまり店頭で見ることのない、神経質そうな人が多くて購入に至るまでやたらと気を遣った。

 開店時に並んでいたお客さんは数人だったけど、その後もお客さんは増え続けててんてこ舞いの朝市だったね。店長はいつもに和やかにおっとりした接客をするんだけど、今朝ばかりはめちゃくちゃぶっきらぼうで怖かった。そんな接客がおもてなし大国日本で許されるの!? って感じ。受け取ったお札をわざわざ明かりにかざして偽札チェックみたいなことしてたしヒヤヒヤしちゃった。店内BGMもやたらと激しかったし。まぁカリカリしちゃう気持ちをわかる。私もいっぱいいっぱいだったし。ほんとに忙しかった。 

 それでも、八時を過ぎたころには、ぱったりと客足は途絶えた。店の前の路地は通勤とか通学の人がいそいそと歩いてるけど、さすがに入ってくる気配はない。

 私はすこし澱んだ空気の入れ換えをしたっくってドアを開けた。

「換気終わったら今日は閉めるか」

「いいんすか? 臨時休業みたいになっちゃうっすよ」

「今日は閉めまーすつってツイートしておいたから大丈夫だと思う。なんだったら、俺が二階にいるし」

 そういやそうだった。店長の家ってここなんだった。さっきまでキレ気味だった店長もひと息ついてすこし落ち着いたみたいで、いつものゆるい空気を纏ってる。

「ってか、平日の朝からあんなにお客さんが来てくれるって思わなかったっすよ」

「あぁー、あの人たちはちょっと特殊っていうか」

「なんすかそれ」

「あー、いわゆる、バイヤーみたいな。自分で聴くっていうよりは、ここで買ったものをオークションとかで売るんだよな」

「は? 転売すか。そんなのっていいんすか」

「こっちとしてはあんまり気持ちのいいもんじゃねぇけどお客さんはお客さん」

 おじいちゃんが大切にしておばあちゃんが手放したレコードなのに。それを転売とかってどうなんだろ。そりゃ、オークションを経由してレコード好きの人に届くかもしれないけど、なんか腑に落ちないっていうか。

「わかる。言いたいことは。でもまぁ、防衛しようがねぇんだよ。転売するから売れません、なんて断りたくても見た目じゃ判断もできねぇし。そもそも理由になってないし」

「それはそうっすけど」

「うん。でも、俺にもできることはある。顔も覚えてるお客さんもたくさんいるし、その人が好きな音楽も探してるレコードも聴いてもらいたいレコードも把握してる。だから、そういうお客さんのための商品は予めよけてあんだよ」

 店長はそういってカウンターの中からシングルレコードを取り出して見せてくれた。私が書いた値札の付いたレコードもたくさんある。

「まったり買い物したり、ひと休みついでにコーヒー飲みに来てくれる人を、あぁいう雰囲気にバッティングさせたくないって意味もあって。だから、今朝みたいにいっぱい入荷しましたよー、つってツイートして宣伝して、朝市っていう変則的な営業で集中させてんだ」

 店長なりに考えてのことなんだ。そんなとこまで私の考えは及ばなかったよ。

「いっそ表向きは飲食店で、レコードの方は会員制にでもしようかと思ってんだけど、まだ時期尚早だな。新規開拓もしたいし。ほら、この前来てたの若い女の子いただろ。あぁいう子にレコード買ってもらえたらこっちも楽しい気持ちになるよな。店やってる意味みたいなのを実感する」

「え、語ってて好き。惚れそう」

「……」

「褒めたんすけど!?」

「うるせぇ。もうダメだ眠くて頭も回ってねぇ。恥ずかしいこと言ってる自覚も薄れつつあるし……もう今日は閉めよう」

「そっすね。私もあがっちゃうっす」

「おう、そうしてくれ」

 バックルームでタイムカードに退勤時間を記入したんだけど、車の中では寝てたし、はなさんのお店にも行ってたしで、いったい何時から何時までが時給換算されるのかわからない。ってか考える気力もなくて、最早そんなことどうでもよかった。ほんとに疲れたから。


 外はもうすっかり日が昇っていた。開かない目を無理矢理こじ開けてオレンジ号にまたがる。サドルがひんやりして、ちょっとだけ目が覚めた。

「おつかれ。こんな時間までありがとうな。助かった」

「柄じゃないっすねそれ」

「前歯に青のりつけてる女にだけはいわれたくねぇよ」

「え、マジかよ。ハヤクイエヨ……」

 口を閉じながら喋ったら腹話術師みたいになった。青のりとか死ぬほど恥ずかしい。口の中で舌をぐるぐるしながら発進する。オレンジ号は私がどんだけ疲れていても、青のりつけっぱのだらしないやつだったとしてもぐいぐい前進してくれるし頼もしかった。


 駅前にある二十四時間営業のビジネスコンビニに立ち寄った。のれんの製作をお願いするにしたって手書きの紙一枚じゃまずいと思って。スキャナーで紙に描いたのれんのデザインを読み取って、画像データにしてから文字と円のアウトラインを抽出してからUSBに保存する。慣れないPCソフトの操作にだいぶ手間取ったけど、時間もいい感じだしその足でのれん屋さんに向かった。

 受付のお姉さんは、私のわがままを気持ちのいいくらい訊いてくれてその存在が女神そのものだったけど、女神の正面に座る徹夜明けのゾンビみたいな私はクリアーライトで浄化されて何度も粉になりかけた。実際ちょっと粉っぽくなってたかもしれない。

 のれんが出来上がるのは今日の夕方らしい。家に帰ってお風呂に入ってすこしだけ寝よう。すこしだけね。まだまだやることはたくさんあるんだし、惰眠を貪ってる暇はない

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